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料理が苦手な母だからこそ、子どもを「料理好き」に育てられる

家事が苦手。特に料理。苦手というより好きではない。

それでもそれなりにやっている。「それなり」とは家族が不満なく生きていける程度、まぁ「高くない」レベルである。

子どもが小学生だったころ、友達の家から帰ってくるなり玄関先で

「コロッケってお家で作れるの?〇〇ちゃん家のコロッケはいつもお母さんが作るんだって!」


と叫んだ。靴も脱がずに言うくらいだから、よほど驚いたんだろう。わたしは焦った。そうか、「母の手作りコロッケ」の存在をついに知ってしまったのか、と。

自慢するわけではないが、コロッケを作ったことは1度もない。

我が家のコロッケは手作りは手作りなんだけど、「お肉屋さん」の手作りだったり、「イオン」の手作りだったり、あるいは「お弁当屋さん」の手作りだったりするわけだ。

わたしは料理へのモチベーションが低く、探求心もない。どうしても「やらされてる」感がぬぐえず、前向きに楽しめない。好きじゃないからアイディアも浮かばずに「やれやれ。今日もまた作らなくちゃ」と気が重い。

だから、料理を楽しんでいるひとを見ると心の底から尊敬する



新メニューを試したり、手間ひまかけてご飯を作っているひとを見ると、あぁ、こんなお家においてもらえないかしら、と思う。



だって、食べることは好きなんだもの。

料理のどこが苦手?と聞かれると、材料や調味料などを細かく量るのが苦手なのだ。おおざっぱな性格のせいだろうか。

レシピには玉ねぎ300gと書いてあるのに、家にある小ぶりの玉ねぎが2つで350gだったら「まぁいいか」とその2つの玉ねぎを使ってしまう。

そんな調子で材料1つ1つが「まぁいいか」と多めになったり少なめになったりして、そうなると調味料を計算するのも面倒で「まぁいいか」と目分量になる。

火加減を調整するのも苦手でこれくらいで「まぁいいか」となってしまう。

そんなふうに「まぁいいか」が積み重なった一品は、なんども作っているメニューなのに、どういうわけか毎回ちがう味になる。

いったいどうやって作ってるんだろう。

「わたしの料理は一期一会だから、今回のこの味を楽しんでね」


言い訳になるかどうかも分からないようなことを述べて、食卓に並べる。

それでも残さずに食べてくれるオットと子どもたちは、とうにあきらめているか、あるいは、実はわたしの料理に満足しているか、のどちらかだ。わたしからの反撃をおそれてなにも言えない、というのも考えられる。

家族が生きるために作らないといけないから作るけど、やらなくていいのであればやりたくない。その1つが、わたしにとっては料理なのだ。

でも、世の中はうまくできているもの。

こんな母親なのに、ムスメたちは料理好きになった。いや、こんな母親だからこそ料理が好きになったのかもしれない。

いいや、ちがう。わたしの思惑「料理好きな子どもに育てる」にまんまとハマったのだ。

保育園のころから、積極的に子どもたちに料理の手伝いをさせた。コップやお皿を運ぶという簡単なことからスタートし、休日には子ども用の包丁とまな板を使わせた。

保育園で「ピーマンマンシリーズ」の絵本を借りてくると、ピーマンの種をとって切ってもらう、「ちいさなたまねぎさん」の絵本を読み聞かせて、玉ねぎの皮をむいてもらう、という具合だ。

お手伝い中は、ムスメのことを「玉ねぎ姫~♪」と呼んで盛り上げていた。

子どもたちは、ちくわやキュウリを包丁で切ったり、ボウルで材料をかきまぜたりするのが好きだった。とちゅうで飽きたり、機嫌が悪くなってちくわを放りなげたりすることもあったけれど、なんとかなだめすかして最後までやってもらった。

小学生になると包丁を使いこなせるようになり、できることはグッと増えた。ギョーザの具材をまぜて皮で包んだり、フライパンで卵料理を作ったり、ポテトサラダの味つけなどもできるようになった。

それでも子どもなのだ。いつも親の思いどおりに動くわけがない。

とちゅうで口ゲンカになることもあったし、プイッと不機嫌になり自分の部屋に行ってしまうこともあった。思わず声を荒げたくなるようなそんなときでも、わたしはジッと耐えた。

ここで怒るべからず。子どもたちを料理ギライにしない。将来わたしがラクをするため。


こんなことが何度もあり、そのたびに「将来ラクをするわたし」像に思いを馳せて、なんとかやり過ごした。

そして。

昨年のステイホーム期間中に「将来ラクをするわたし」像が一気に近づいてきた。ヒマを持て余していたムスメたちは、進んで料理するようになったのだ。冷蔵庫の食材をチェックし、ネットでレシピを検索し、お気に入りの音楽を聞きながら料理する。

K-pop好きのムスメは、料理も韓国風がお得意。チヂミ、チーズタッカルビ、キンパなどをよく作る。オムライスもお手のものだ。うまい。とてもうまい。わたしよりうまい。



もう1人のムスメは、とにかく手際がよい。うらやましいくらいだ。食材をパッと見てサッと調べてスッと作る。夕食を作っているわたしの横で、おやつのスイーツをササッと作ったりもする。そしてうまい。とてもうまい。わたしよりうまい。



いまでは、土日やテスト週間のお昼を自分たちで作るほどに成長したムスメたち。仕事中のわたしの分も作ってくれる。わたしの出番はないのだ。これぞパラダイス!

わたしよりも手の込んだ料理を作るし、なんといっても美味しい。なんでも、お皿に「映える」ように盛りつけるのがマストらしく、インスタ万歳!なのである。

オットは、ムスメたちの料理を食べているときのほうが幸せそうな顔をしているし、わたしも幸せだ。週末のお昼ご飯を作らなくてもいいなんて最高じゃないか。

わたしの思惑どおり「料理好きな子ども」になったムスメたち。毎日の夕食を作るのはわたしだけど、週末のお昼を用意してくれるのでずいぶん助かっている。

「この家では、自分で作らないとお昼ご飯ないからねぇ」


そう言いながら冷蔵庫をチェックするムスメ、今日はなにを作るんだろう。

小さいころから料理の手伝いをさせておいてよかった。心からそう思う。子どもたちが幼いころ、キッチンで「わたしがやったほうが早い!」と、手を出したくなるのをガマンしたことは、何回もある。

あのころは「将来わたしがラクするため」に手伝わせたけど、料理ができると生活力はグンとアップするのだ。

この夏独り立ちしたムスコも、家にいたころは自分のお昼ご飯をせっせと作っていたので、食事については心配していない。

ムスメたちがいつか巣立つときにも「料理ができるからどこに行っても大丈夫。小さいころから手伝いをさせておいてよかった」って思うんだろうな。

さて、と。

子どもたちがみんな巣立ったあとも「わたしがラクをするため」に、今度はオットに料理を手伝ってもらおうか。



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