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友人

 中学2年生の時から新聞部に入った。小学生の時、壁新聞を作っていたことがキッカケといえばきっかけであった。中学1年生の頃は実はテニス部だった。球拾いが嫌で、放課後は友達と紙に書いた野球盤に消しゴムのカスを指で飛ばして遊ぶ野球ゲームに夢中になって、ほとんど行かなかった。
 新聞部に入ると、先輩が1人だけで、その先輩が卒業すると、僕1人という状況になっていた。幸い1年生の後輩が数人入部してきた。幽霊部員だった同級生の女の子も戻ってきて、危惧された状況には至らなかった。新聞作りは担当の先生からいろいろ教わった。
 高校に入っても状況は似たようなものであった。新聞部に入ると、3年生の先輩が卒業すると経験者が誰もいないという状態であった。同時入部の2年生がいたが、彼らは写真を撮るのが目的で、記事なぞ書いたことがなかった。だから僕が中心になって動かざるを得なかった。もっとも先輩からはカメラの面白さを教わり、写真を撮っては現像したりしていた。
 大学に入るとスポーツ新聞部に入部した。先輩がたくさんいた。同級生もたくさんいた。こんな状況は初めてだったので、とても嬉しかった。ただカメラに詳しい人はいなかったので、今度はカメラの方で、僕が中心になって動くようになった。
 そんな体験をしてきたので、大学の時は先輩からだいぶ生意気に見られていた。正直生意気だった。歯に衣着せぬ態度であった。それでも心の広い先輩ばかりで、僕は救われた。いまだにLINEを通して交流がある。いい人たちと巡り合えた。
 息子も大学時代の思い出でよかったのは、友人たちと出会えたことだという。それだけでもこの大学に入ってよかったと言い切る。先日その友人の結婚式に兵庫県まで行ってきたところだ。
 皆それぞれ人生いろんなことがあるが、やはり大切なものは友人である。勿論家族が1番ではあるけれど、若い頃を共有した友人は何物にも代えがたいものである。

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