高所恐怖症

 高所恐怖症である。高いビルディングから下をのぞむと足がすくむ。何か落としそうな、自分自身が吸い込まれそうな、そんな錯覚にとらわれる。どこかに飛び降りたいという、欲求とは違うなにか潜在的なものがあるような気がする。
 小学校の時、我が家は隣の家より一段低い所に建っていた。丁度我が家の屋根の位置に隣の家があった。隣の家の横の急な坂道を下って家に至る。
 隣の家の丁度庭に入るくらいの所から飛び降りると、我が家の庭に落ちる。つまり屋根から飛び降りたことと同じ高さになる。
 これを密かに何度もやった。見つかったら怒られるのはわかっているから隠れて誰もいない時にやった。まるで隠れて自慰をするかのごとく。
 衝動的に飛び降りたいという欲求が自分の心の底にあって、それが、飛び降りろと飛び降りろと誘うのだ。
 最初躊躇する。怖いのだ。だがやがて飛び降りろという誘いに負けて、飛び降りる。庭に両足で着いて、ジーンとすごい衝撃が走り、僕はゴロゴロゴロと転がり回る。両足の衝撃の痛みはすぐにとれる。怪我はない。
 これを何度やっただろうか。誰にもいったことのない秘密の儀式であった。
 子供だったからよかったものの、大人になったら両足骨折どころではないかもしれない。さいわいそういう癖は、その時ばかりであった。
 大人になるとジェットコースターは嫌いだったが、それ以上に観覧車が怖かった。子供が観覧車の箱の中で動き回ると、観覧車が揺れる。頼むから動かないでくれと、子供に嘆願した覚えがある。
 もっと大人になると意外や、あまり高い所が怖くなくなってきた。鈍感になってきたのだろうか。ジェットコースターは平気になった。観覧車もあまり怖いと思わなくなった。高いビルから下を見下ろしても、昔ほどではなくなった。
 例の吸い込まれそうな感覚も、飛び降りろという誘いの声も聞こえなくなった。あれはなんだったのだろうか。
 そんな経験をした方はいませんか。僕だけでしょうか。
 

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