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正月の思い出

 僕が中学生と高校生の頃は祖父と祖母、父と母、僕と妹の6人家族であった。あと犬のコロがいたが。
 大晦日はだからどこにもいかずに、親戚関係が、挨拶に来るのが恒例であった。
 そのためおせち料理は、お正月の数日前から沢山作っていた。特に祖父が好きな巻き寿司は、噛めば酢が滲んでくるくらい、効いていて、僕は苦手であった。祖父の好みであったらしい。僕は、いい加減気が抜けた状態ではないと、それが食べれなかった。
 数の子も大量に作った。あとは煮しめに黒豆に栗きんとん、海老、ハム等々。
 うちの人は誰も酒を飲まない。揃って下戸なのだ。僕がこっそり飲んでいるくらいだった。
 父の妹が正月の挨拶に来る時、当然ながら、その旦那も来る。この旦那が酒が強い。この人のために、我が家は酒を買っているといっても過言ではない。ある時など、ビール瓶を7本開けて、家族を乗せて車で帰ったこともある。今では絶対にタブーである。当時でも違反ではあったのだが。それでも何でもない、平気というくらい強かった。
 この酔っ払いの叔父さんが実に気前が良くて、叔母さんからお年玉を貰った後に、また裸銭でくれるのである。気前のいい叔父さんであった。
 そういう時代が5年程あった。ぼくが高校3年生の時に祖父は亡くなった。
それでも祖母がいるので、正月は相変わらず、おせちを食べて、来客があって、といういつものパターンであった。
 やがて僕が就職した頃に祖母も亡くなった。そして僕は結婚をし、少しずつ正月の有り様も変わっていった。
 父が亡くなってからは、母と家族とで旅行に出かけるのが慣例となった。僕と妻の運転する車で鹿児島や唐津や別府にいった。母はおせち料理から解放された。
 今は母は高齢で独り暮らしである。旅行に行くのももうきついということで、行かなくなってしまった。友達は頻繁に遊びに来るようだけれど、1人減り、2人減り、である。正月といっても親戚関係も僕と妹、叔母さんの家族しかこなくなった。
 家族6人で過ごした正月が、あの頃はまるで永遠に続くようにも感じられたけれど、当然ながらそうではなかった。みんな歳を取って世代交代していく。

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