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記憶(ショートショート)

「いやー元気にしてたかね。ずいぶんとひさしぶりじゃないか」
 突然知らないおじさんに声を掛けられた。歳の頃なら60代前半恰幅のいい気前のよさそうな顔をしている。俺はどうしたものかととまどいながら、おじさんの顔をじっと見た。
「さては、憶えておらんな。憶えておらんのも無理はない。私もついさっき昔の記憶が蘇ったところだからな」
「そんな昔にどこでお会いしましたっけ」
「人吉だよ。最後はね」
 人吉というと熊本県だ。それくらいはしっているが、俺自身はいったことがない。
「熊本城攻めた時も一緒だったじゃないか」
 攻めた?熊本城を?誰だ?この人?
「権兵衛忘れたか、肝付半蔵じゃ。西南の役で一緒に戦ったではないか」
 西南戦争。西郷隆盛の。何で俺が。権兵衛。誰が。俺か。その割には薩摩言葉がでてこないではないか。このおじさん、どこかおかしいのではないか。
「ちぇすとー。お主、薩摩言葉がでないことを不審に思ったであろう。薩摩言葉で進めれば、お主だけでなく、読者も意味が分からなくなるから標準語をつかっておるのだ。それくらいわかれ」
 なるほど。わかったような、わからないような。
「実はな、私も権藤文雄というのが今の名前でな。お主と一緒に戦った頃を思い出したのも、お主の顔を見た瞬間だったんだ。いや~懐かしい、懐かしい」
 こっちはわけがわからない。何て言葉を返したらいいかもわからない。
「めでたいから、丁度時間も夕方だ。一緒に飲みに行こう。焼酎を飲みに行こうではないか。勿論私のおごりだ」
 おごりといわれて、これは何か得なことがありそうな気がしたので、ついていくことにした。
「お互い戦場でしか出会っておらんかったから、ゆっくりこうやって飲むこともなかったな」
 俺はどう答えたらいいものか悩んだ。つられてきたものの、くるんじゃなかった、と一瞬思った。
「薩摩男子だ。芋焼酎を生で飲むバイ」
 東京生まれの東京育ちなんですけれど。
「まだ思い出しやせんとね」
「ええ、まあ」
「私はお主の顔を見てすぐに思い出したばい」
「恐縮です」
 そこへ芋焼酎を持ってきた店のお姉さんが突然、俺に向かって
「直人さんじゃあありませんか」
 とまた訳の分からんことを言い出した。
「学徒出陣で、お国のために敵に向かって突っ込んでいって亡くなったときいておりました」
「人違いじゃあありませんか」
「間違いないです。直人さん、私を忘れなすったか。あなたの妻です。さゆりです」
 困った。今度は妻が現れた。
「あんたここへきてまだ浅いんじゃろ」
 後ろで酒を飲んでいる老人がいった。今度は俺は何になるんだろう。
 すると突然むこうのほうから男がやってきた。
「おのれ、見つけたぞ。山本健蔵。父の仇なり」
 刀は持っていないが、いきなり俺に襲い掛かったのを肝付半蔵、今の名前を権藤文雄がとめた。
「待ちんしゃい。こんお方は山本健蔵ではなか。権兵衛じゃ。田中権兵衛」
 喋りがだんだん薩摩言葉に近づいてきた。
「ちがいます、私の夫の直人さんです」
 店のお姉さんがいった。
「いいや、山本健蔵に相違ない」
 俺の後ろの席のじいさんが笑いながら俺に向かっていった。
「あんた、精神病院あたりに紛れ込んだとでも思っているやろ」
 俺は頷いた。
「そんなオチやあらへん。3人がいうとるのは皆本当なんじゃ」
 本当なんじゃってなんじゃ。
「あんた、最初に肝付何とかに会う前に何しとった」
「え~、あ~、そうだ、車が後ろから暴走してきて轢かれたんだ」
「それでここへきたんじゃよ」
「えっ、ここは天国なんですか」
「そうじゃ」
「でも三途の川渡ってませんけど」
「ナニ、それはおかしいの。さてはせっかちにまだ死んでないのに魂だけここへきたんじゃないかいな」
「え~そうなんですか」
「だからお前さんは昔の人たちに会っても思い出せなかったのじゃろう」
 つまり俺は宙ぶらりんのままここにいるのだ。西南の役で戦ったことも、学徒動員で出陣したことも、誰か知らんけど、人を殺めて仇討ちとして狙われてることも、全然覚えていないのである。
 瞬間、回りが真っ暗になり、誰もいなくなった。じいさんの声だけ聞こえた。
「どうやら、死に損ねたようじゃな。天寿を全うせいよ。そんときゃちゃんと順序をへて迎えにくるわい」
「あなたは誰だったのですか」
「お前さんが死ぬときになったらわかるよ」

 事故から1週間、俺は昏睡状態だったらしい。目が覚めて、母親の顔が見えて「母さん」といった瞬間に、母親は涙を流して喜んだ。
 事故の後遺症でリハビリが長く続いたけれど、なんとか無事に体が動かせるようになった。
 あの時の天国の様子は今もしっかり覚えていた。輪廻転生ってやつなんだろうな。実際何回も生まれ変わっては死ぬの繰り返しをしてきたんだろうな。死んだら、またさゆりさんに会えるかな。
 あのじいさんがやがて迎えに来るまでは必死に生きることにしよう。
 

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