最近の記事
【沖縄戦:1944年12月11日】「国軍創設以来初メテノ不祥事件」「当軍ノ戦力半減セリ」─沖縄県営鉄道稲嶺駅付近で弾薬輸送列車の爆発事故おこる
弾薬輸送列車の爆発事故 この日午後3時30分前後(午後4時30分前後とも)、当時沖縄にあった沖縄県営鉄道(沖縄県鉄道、軽便鉄道)の稲嶺駅近くの神里集落付近(現在の南城市大里稲嶺と南風原町神里の境界付近)において、軍の燃料や弾薬を大量に積載していた輸送列車が突如爆発し、軍民あわせて200人以上の死者と多数の負傷者を出す大事故が発生した。 事故の経緯は次のとおりである。 このころ沖縄中部に配備されていた第24師団は、配備変更により沖縄南部への移動を進めていた。これに関連して
【沖縄戦:1945年1月27日】「軍の指導を理窟なしに受け入れ、全県民が兵隊になることだ。一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ」─第32軍長勇参謀長が紙上談
第32軍参謀長の紙上談 この日、当時の沖縄の地元紙である「沖縄新報」紙上に、第32軍長勇参謀長の紙上談が掲載される。長くなるが、以下紹介したい(引用にあたっては、文意を崩さぬ範囲で最小限度で句読点を補った。また若干意味の取りづらい部分もあるが、そのままとした)。 非常に長い記事なので重要な部分だけを引用したが、戦況緊迫するなかで県民の士気を鼓舞するため多少乱暴で極端な物言いをしていると考えたとしても、軍参謀長の紙上談からは、軍の指導を理屈なしに受け入れ、全県民が兵隊となっ
【沖縄戦:1945年1月1日】B-29来襲─元旦の沖縄に鳴り響く空襲警報 「一億すべてが特攻隊員たるの実を示さう」─“決戦”に向けて緊張状態で迎えた沖縄の新年
1945年1月1日の沖縄 1945年(昭和20)1月1日、新年を迎えた沖縄は、”決戦”に向けた緊張状態にあった。 前日の大晦日には、沖縄新報に荒井退造沖縄県警察部長による「浮かるなお正月 県民の自粛要請」との訓戒が掲載された他、西表島や与那国島が空襲に見舞われ、沖縄島上空にもB-29が現れ偵察飛行するなどの動きがあった。 大晦日には県会(県議会)も開会された。B-29の偵察飛行による空襲警報の解除直後の開会ということもあり、議場には鉄兜や非常袋が置いてあるなど「敵前県会」
【沖縄戦:1944年11月4日】第9師団の台湾移転─台北会議によりレイテ決戦のため沖縄から兵団抽出 戦力削減と本格化する住民の「根こそぎ動員」
レイテ決戦と各兵団の用兵 このころの沖縄の第32軍は、十・十空襲での米軍の猛攻撃により多大な損害を出したものの、全体としてはおおむね所望どおりの兵力を得て、南西諸島一帯への部隊配備も進み、沖縄島で米軍と一大決戦に臨むとの決戦主義の方針を固めていた。 他方、大本営は、フィリピンでの米軍との決戦(捷1号作戦)を志向し、10月下旬にはフィリピン・レイテで地上戦が始まる(レイテ決戦)。大本営は付近のルソン島や台湾の兵力をレイテに投入し、その穴埋めとして部隊を満州などから補充するなど
【沖縄戦:1944年10月10日】十・十空襲─予期されていた空襲と背後で展開された情報戦 「婦女子は凌辱せらるゝ等、軍紀は全く乱れ居り」─空襲後の第32軍の軍紀の乱れ
南西諸島全域への空襲 この日朝6時40分ごろから午後3時45分ごろまで、沖縄東南沖に展開する米海軍第3艦隊の第38高速空母機動隊(マーク・A・ミッチャー司令官)の空母計17隻から発艦した艦上戦闘機や爆撃機延べ約1400機が、奄美諸島から沖縄島、先島諸島までの南西諸島全域を計5波9時間にわたり、非戦闘員や非軍事施設の別なく無差別に空襲した。死者は非戦闘員含め少なくとも668人、負傷者は768人におよぶ。 この米軍の無差別空襲は、十・十空襲(10・10空襲)、南西諸島空襲、南西
【沖縄戦:1945年9月3日】白石信治大尉以下沖縄北部の海軍部隊約200名、米軍に投降─住民虐殺・食糧強奪を繰り返した海軍部隊
海軍部隊の投降 この日朝10時ごろ、現在の名護市の嵐山を拠点に遊撃戦を展開していた海軍沖縄方面根拠地隊第27魚雷艇隊司令白石信治(信次とも)大尉以下約200名の海軍部隊が、同じく名護市古我地において米軍に軍刀や軍旗を返納し、投降した。 降伏式は30分程度のものであり、部隊の兵員はただちに米軍のトラックに乗せられどこかへ連行された。おそらく屋嘉収容所に連れていかれたものと思われる。 降伏式に臨む海軍部隊 こちら側を向いている集団(降伏する海軍部隊)の中央で軍刀のようなものを
【沖縄戦:1945年8月29日】「天皇陛下の命により米軍の方に行く」─歩兵第32連隊約300名が米軍に投降 第1回沖縄諮詢会開催
生き延びた歩兵第32連隊 第32軍が首里司令部を放棄し南部へ撤退して以降、第24師団歩兵第32連隊(北郷格郎連隊長)は摩文仁司令部防衛線の左翼の守備を担っていた。具体的には現在の糸満市の国吉台地と同東側地区、そして真栄里東側を陣地として占領し、洞窟などを拠点としていた。 米軍の南下に伴い、同連隊第1大隊が拠点とする国吉台地の洞窟陣地は6月15日から、連隊本部や第3大隊が拠点とする真栄里東側の洞窟陣地は18日から米軍の馬乗り攻撃をうけるようになった。部隊は米軍の爆薬攻撃や火炎
【沖縄戦:1945年8月24日】慶良間の日本軍の投降 「米軍上陸の場合は朝鮮人を皆殺しにした方がよい」─慶良間に連行された朝鮮出身者と日本軍
海上挺進戦隊の投降 この日、慶良間諸島渡嘉敷島の海上挺進第3戦隊が米軍に降伏、武装解除した。同諸島阿嘉島の同第2戦隊も前日23日に武装解除している。 米軍の沖縄上陸以前、第32軍は慶良間諸島への米軍の上陸はなく、沖縄中部の西海岸へ直接上陸するという戦略的判断をおこなっていた。そのため慶良間諸島に特攻艇部隊である海上挺進戦隊を配備し、西海岸に上陸する米船団の背後を襲う作戦を立案し、慶良間諸島の座間味島に海上挺進第1戦隊(戦隊長:梅澤裕少佐)、慶留間島および阿嘉島に同第2戦隊(