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【沖縄戦:1945年1月27日】「軍の指導を理窟なしに受け入れ、全県民が兵隊になることだ。一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ」─第32軍長勇参謀長が紙上談

第32軍参謀長の紙上談

 この日、当時の沖縄の地元紙である「沖縄新報」紙上に、第32軍長勇参謀長の紙上談が掲載される。長くなるが、以下紹介したい(引用にあたっては、文意を崩さぬ範囲で最小限度で句読点を補った。また若干意味の取りづらい部分もあるが、そのままとした)。

勝利の途、県民如何あるべきか
 現戦局と戦場沖縄
 現地軍参謀長にきく

我が郷土沖縄は文字通り戦場化し、今日も明日も敵機を邀えるやうになった。そして物量を誇る驕敵は、更にその野望を逞ふして何時上陸作戦をもって寄せて来るかも知れない。茲に現地軍参謀長に現戦局と沖縄及び戦場沖縄の県民は如何にあるべきかを訊き、決戦必勝へ邁進しよう─
 [略]
 敵若し上陸せば
  合言葉“一人十殺”で征け

 沖縄に若し敵が上陸して来る場合県民の採るべき方途、その心構へは。
 [略]ただ軍の指導を理窟なしに素直に受け入れ、全県民が兵隊になることだ。即ち一人十殺の闘魂をもって敵を撃砕するのだ。だから空襲時に職場を守ることも出来ぬ弱気では駄目だ。特に焼夷弾をもみ消す位ひのことが出来ぬとあっては戦ふ国民とは言へぬ。飛行機に対する認識が足らぬ故もあらう、敵機が自分に向って来ぬ場合は絶対安全だ。今後更に頻襲を見んとし、然もそれが二十四時間ぶっ通しの攻撃ともなれば、敵機が頭上を遠く離れたら直ぐ壕を出て、所謂間隙を縫って仕事を続けるやうにせねばならぬ。
 壮者は義勇軍
  老幼は疎開

 武装沖縄に於て未だ決戦的ならざるものがあるか。
 前にも言った通りこの沖縄は既に決戦場の一環をなしている。従って戦場に不要の人間が居てはいかぬ。先づ速かに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、稼働能力ある者は「俺も真の戦兵なり」として自主的に国民義勇軍などを組織し、此の際個人の権利とか利害など超越して、神州護持のため兵隊と同様、総てを捧げることだ。今日にして未だ個人主義的な考へ方が抜けぬでは戦争には勝てぬ。金の計算は勝って後のことだ。
 食糧を確保せよ
  土壇場では追つかぬ

[略]戦ふ県民は何にさて置いても自分が食ふ食糧だけは絶対自ら確保せねばならぬと思ふ。「軍は戦に勝って呉れ糧食の心配など決してさせぬ」と言ふことでなければならぬ。現在の情況を見てこれを極言すれば、県民の生命は食糧問題が脅かされるものと断言する。敵が上陸し戦ひが激しくなれば増産も輸送も完封されるかも知れぬ。その時一般県民が餓死するから糧食を呉れろなどと言ったって、軍はこれに応ずる訳けにはいかぬ。我々は戦争に勝つ重大任務遂行こそ使命であれば、県民の生活を救ふがために負けることは許されるべきものではない[略]
 強烈な決戦行政望む
以上要するに戦場沖縄の県民は敵撃砕の人的配慮と食糧問題、旺盛なる敢闘精神の振起なくては戦ひの勝利はかち得ぬことを銘記すべきである。而してこれは強烈な決戦行政の強行によってのみ解決されるものである。戦争を勝つためには今日遠慮せず相互に話し合ひ、矯め合って進んで貰ひたいことを切望してやまぬ。
 最後に沖縄県民の決戦合言葉を─
 「一人十殺」これでゆけ。軍も亦皇土沖縄において決して下手な戦さはせぬ。

(『宜野湾市史』第6巻 資料篇5 新聞集成Ⅱ〔戦前期〕)

 非常に長い記事なので重要な部分だけを引用したが、戦況緊迫するなかで県民の士気を鼓舞するため多少乱暴で極端な物言いをしていると考えたとしても、軍参謀長の紙上談からは、軍の指導を理屈なしに受け入れ、全県民が兵隊となって「一人十殺」を訴えている点、役に立つ者は戦い、役に立たない者は避難せよという「疎開」の実態、県民に分けるような食糧はなく、戦争に勝つことが軍の使命だとの物言い、あるいは戦争遂行に向けた行政のあり方への要望など、第32軍が沖縄と沖縄県民をどのように見ていたか知ることができよう。

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第32軍が1945年2月15日に発した戦闘指針 長参謀長の紙上談での「一人十殺」とともに「一戦車」が加えられ、さらに「一機一艦船」「一艇一船」なども付加されている:『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6

参考文献等

・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦

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第32軍長勇参謀長:NHKスペシャル「沖縄戦全記録」より