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【沖縄戦:1945年1月20日】「帝国陸海軍作戦計画大綱」が上奏裁可─「出血消耗」を強制する「捨て石」としての沖縄

帝国陸海軍作戦計画大綱が上奏裁可される

 1944年(昭和19)12月、フィリピン・レイテでの「決戦」が挫折し、フィリピン方面作戦は決戦から持久戦へ方針転換となった。これにより大本営はついに、来たるべき戦場は「本土」(以下、煩雑となるのでカッコをはずす)であるとして、最後の決戦、すなわち本土決戦を志向し、作戦準備に取りかかることになった。
 大本営陸軍部は海軍とも調整を重ね、1945年1月中旬ごろには本土決戦に向けた作戦の大綱である「帝国陸海軍作戦計画大綱」(以下「作戦計画大綱」とする)を策定した。大綱とはいえ、陸海軍が共通の作戦計画を策定したのは、開戦以来これが最初のことであった。
 大本営陸海軍部両総長は1月19日、並列して作戦計画大綱の要点を昭和天皇に上奏した。両総長は昭和天皇より「趣旨は結構であるが実行が伴わず後手にならぬように」などの御言葉を承ったそうだ。そして20日、両総長は作戦計画大綱を上奏し昭和天皇がこれを裁可、ここに作戦計画大綱が決定した。

本土決戦の前段階作戦としての作戦計画大綱

 この日上奏裁可され決定した作戦計画大綱は、本土決戦そのものの作戦というよりも、本土決戦の前段階の作戦の大綱であり、本土外郭の要域における作戦である。
 作戦計画大綱は次のように記す。

三 陸海軍ハ主敵米軍ノ皇土要域方面ニ向フ進攻特ニ其ノ優勢ナル空海戦力ニ対シ作戦準備ヲ完整シ之ヲ撃破ス
 之カ為比島方面ヨリ皇土南陲ニ来攻スル敵ニ対シ東支那海周辺ニ於ケル作戦ヲ主眼トシ二、三月頃ヲ目途トシ同周辺要地ニ於ケル作戦準備ヲ速急強化ス

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

 大本営陸海軍両総長は19日、米軍の本土侵攻について「本年秋以降ハ特ニ警戒ヲ要スルモノト思考致シマス」と昭和天皇に上奏したように、本土決戦を1945年の秋ごろと想定していた。
 すなわち大本営は、米軍が一気に本土侵攻に取りかかる可能性は低く、まずは本土侵攻に向けて本土外郭の要域(作戦計画大綱にいう「皇土要域」)を制圧し、本土と大陸や南方の連絡を断ち切り、本土空襲や本土上陸のための前進基地とした上で本土侵攻に取りかかると考え、今から秋ごろまでがその時期にあたり、秋にはついに本土侵攻を開始するだろうと予測した。
 そうした時、日本としてそれらの米軍の動きを指をくわえて眺めている必要はなく、本土侵攻を企図した本土外郭要域への米軍の攻撃・攻略を迎え撃ち、その攻勢を阻み、あるいはその戦力を低減させ、作戦を遅らせるなどして本土決戦体制の完成に寄与するとともに、本土を確保するべきである、ということである。作戦計画大綱とは、そのような本土決戦の前段階の作戦であった。

「捨て石」とされた沖縄

 それでは、作戦計画大綱における沖縄の位置づけはどのようなものであったのだろうか。作戦計画大綱には次のようにある。

一 皇土要域ニ於ケル作戦ノ目的ハ敵ノ侵攻ヲ破摧シ皇土特ニ帝国本土ヲ確保スルニ在リ
  [略]
四 皇土防衛ノ為ノ縦深作戦遂行上ノ前縁ハ南千島、小笠原諸島(硫黄島ヲ含ム)、沖縄本島以南ノ南西諸島、台湾及上海付近トシ之ヲ確保ス
 右前縁地帯ノ一部ニ於テ状況真ニ止ムヲ得ス敵ノ上陸ヲ見ル場合ニ於テモ極力敵ノ出血消耗ヲ図リ且敵航空基盤造成ヲ妨害ス

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

 このように沖縄は、皇土防衛のための縦深作戦の前縁地帯、つまり縦に深く何段階も設けた防衛線の最前線と位置づけられたのである。上述の作戦計画大綱の全体的な構造とリンクさせていえば、沖縄は本土外郭の要域であり、その前縁地帯として本土防衛のための侵攻する米軍を迎撃するポイントとされた。実際、作戦計画大綱の上奏裁可に先立つ大本営陸海両総長による上奏にあたって、両総長は昭和天皇に次のように説明している。

 即チ国防要域ノ確保ト敵戦力ノ撃破トハ実ニ今後ニ於ケル国軍ノ作戦指導上最モ努力スヘキ二大要目テ御座イマシテ前者ハ帝国今後ノ戦争遂行上必須ノ政戦両略上ノ中枢特ニ軍需生産組織ヲ包含スル我本土ノ要域ヲ中核トシ且其外周要域タル小笠原、沖縄、台湾、東南支那沿岸、上海附近ノ空海基地ヲ前哨防衛線トスル国防上緊要ナル地域テ御座イマシテ若該要域ニ敵ノ基地推進ヲ許スカ如キ場合ニ於キマシテハ敵ノ空海ヨリスル我本土攻撃ハ著シク容易トナリ我戦争遂行態勢ハ直接大ナル脅威ヲ受クルニ至リマスルノテ手段ヲ尽シテ之カ確保ニ努力シナケレハナリマセヌ
 尚従来ノ経験ニ鑑ミマスルニ右ノ如ク努力致シマシテモ敵ノ制空制海権下ニ於ケル島嶼作戦ハ仲々困難テ御座イマスノテ我外周要域ニ対スル敵ノ上陸ヲ阻止シ得サルカ如キ場合ニ於キマシテモ此機ヲ利用シ敵ニ甚大ナル戦力損耗ヲ強要致シマスルト共ニ爾後ニ於ケル敵ノ空海基地使用ヲ妨害拘束スル如ク準備シ且戦闘ヲ指導スルコトカ必要テ御座イマス

(同上)

 こうして沖縄は、本土防衛の前縁たる本土の外周と位置づけられ、万一米軍が上陸した場合は、地上戦により米軍に出血消耗を強要するとともに、飛行場建設を妨害し、本土空襲や本土侵攻の前進基地とさせないよう全力を尽くすことが命じられた。
 つまるところ沖縄は、本土防衛・本土決戦のための「捨て石」とされたのである。このころ大本営陸軍部第2課(作戦課)の課長であった服部卓四郎大佐は戦後、「沖縄ハ米軍ニ出血ヲ強要スル一持久作戦ト認メ、国軍総力ノ大決戦ハ本土デ遂行スル」と作戦計画大綱の趣旨を振り返っており、大本営において沖縄が「捨て石」と位置づけられていたことは、疑いようがない。大本営陸軍部作戦部長の宮崎周一少将は、特にそうした思想が強かったそうだ。
 もちろん、大本営といえども、この時点で米軍が沖縄に必ず上陸すると確定的な判断はしていないが、沖縄方面あるいは広く南西諸島から東シナ海周辺に米軍が侵攻することは予測していた。
 まず19日の作戦計画大綱の要点の上奏時、次のように語られている。

而シテ帝国本土ヲ中核トスル要域就中南西諸島、台湾及上海附近ハ実ニ今後ニ於ケル敵ノ主反抗方面ト予想セラレ[略]

(同上)

 ここでは沖縄を含む南西諸島から台湾~上海付近への米軍の侵攻が予想されている。また上奏の冒頭には、今後の米軍の侵攻先として「比島ヨリ東支那海周辺要域ニ向フ」と触れられていることから、全体として沖縄を含む南西諸島・東シナ海方面への米軍の侵攻は確定的であり、同方面が作戦方面と考えられた。

航空特攻はじめ特攻作戦による決戦

 その上で、作戦計画大綱では、本土決戦の前段階の作戦においては、南西諸島・東シナ海方面での戦闘も含め、航空戦力を主たる戦力とした航空決戦が企図された。

陸海軍ハ進攻スル米軍主力ニ対シ陸海特ニ航空戦力ヲ綜合発揮シ敵戦力ヲ撃破シ其ノ進攻企図ヲ破摧ス

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

又千島、小笠原、南西諸島及台湾ニ在リテハ敵ノ進攻ニ先タチ予メ所要ノ戦力ヲ投入シテ作戦準備ヲ整フルト共ニ機ヲ失セス所要ノ航空戦力ヲ集中増加シテ之ヲ撃破ス

(同上)

 このことは考えてみれば当然のことであり、本土決戦では航空戦力よりも地上戦力の方が圧倒的に求められており、航空戦力は温存するよりも侵攻する米軍に対し投入した方が効果的といえる。こうした作戦計画大綱に基づく東シナ海方面での航空作戦は、「天号航空作戦」と呼ばれる。
 とはいえ、陸軍の航空戦力は壊滅的な状態にあり、天号航空作戦といっても、結局は航空特攻を徹底的に利用する特攻作戦を採用するしかなかった。
 一方、海軍は、比島作戦で航空戦力を消尽しており、航空戦力の再建は今年5月ごろと判断していたことから、海軍としては陸軍の想定する時期に東シナ海での大規模な航空作戦は実行できないと難色を示したが、航空戦力再建に一定の目途が立ったため、陸軍の提唱に同意した。もちろん海軍の航空戦力の再建といっても大々的な航空決戦などできるわけはなく、結局は同じく航空特攻を展開するしかなかった。
 特攻について、作戦計画大綱には次のようにある。

戦法、編制、兵器ノ創意ニ努メ特ニ奇襲特攻ヲ作戦上ノ要素トシ愈々増加スル彼我物的相対戦力ノ隔絶ニ対処ス

(同上)

 また19日の上奏時には、次の文言が記録されている。

[略]東支那海周辺地区ノ縦深地域ヲ活用致シマシテ陸海軍ノ航空戦力及目下整備中ナル敵艦船攻撃用各種奇襲兵力ヲ要時要点ニ集中発揮[略]

(同上)

 ここでは特攻とは明確にされていないものの、敵艦船攻撃用各種奇襲兵力とは、おそらく航空特攻はじめ「桜花」や「震洋」といった特攻兵器を用いた核種の特攻作戦であろう。
 実際に天号航空作戦に関し締結された「航空作戦ニ関スル陸海軍中央協定」には、

一 方針
 陸海軍航空戦力ノ統合発揮ニ依リ東支那海周辺地域ニ来攻ヲ予想スル敵ヲ撃滅スルト共ニ本土直接防衛態勢ヲ強化ス
 右作戦遂行ノ為特攻兵力ノ整備竝之カ活用ヲ重視ス

(同上)

とある。そして3月末より米軍の沖縄上陸がはじまるわけだが、そこでは地上戦においてまさしく出血消耗戦が展開されるとともに、航空特攻を中心とする各種の特攻作戦が展開され、作戦計画大綱どおり、本土決戦のための血みどろの戦闘が繰り広げられることになるのである。

参考文献

・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・同『大本営陸軍部』<9>
・同『大本営陸軍部』<10>
・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・「沖縄戦新聞」第5号(琉球新報2005年2月10日)
・玉木真哲『沖縄戦史研究序説 国家総力戦・住民戦力化・防諜』(榕樹書林)

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このころの作戦地域区分概況図:戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』より