無題

何かに縋ることは悪いことではない

縋り先は家族でも、知人でも、なんでもいいけど
自分が壊れてしまうよりはなんでもマシなんだよ

わかってるんだけどさ、「縋ったところで答えは出てるから」と
縋ろうとしている人間の分際で、縋り先を信用はしないわ、あてにしないわと最低な気持ちしか持てない
答えが出ているものって、他者から見て間違っていたとしても自分が出した答えってそんな簡単に変えられるものでもないし、変わったところでどうにもならないことの方が多い

根底に「わたしなんて、」が地盤張ってるもんだからさ、その上に自分が経験して出した答えが胡坐をかいて
それが間違ってても、「じゃあ、間違ってていいや」って思うだけのこと

そのメカニズムというか、どうせ私はそうにしか思わないとひねくれているもんだから
じゃあこれ以上無様晒す必要ないねって思って、ふさぎ込んで、煮詰めたそれを大事にしまい込んでいつかそれが爆発する、と

爆発した暁には他者にご迷惑被るけど、前に迷惑させるか後に迷惑させるかの違いだけか、
もういいや、じゃあ別に後で みたいな(笑)

は~~あ

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