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貧困になったのは、本当に暮らしなのか
近年貧困で悩まれていることが多い。
「実際に生活できないのか」と問われれば、私は「いいえ」と、こたえる。
貧困になったのは、懐や生活ではなく『心』なのではないかと、私は思う。
私が思う、人間の最大の武器は想像力だと思っている。
想像して創造することができる。
したがって、これまで人間はその発想力を活かして、生活を豊かにしてきた。
しかし、発想力がある代わりに、幸福要求もついてきてしまった。
想像して創造し、これの繰り返し。
人類にとって住みやすい環境づくりをしてきた。
先にも述べたように、人間は発想力が武器。
生きている限り、想像し続ける。
そうすると、求めることが増える→想像する→創造する→さらにほしい物ができる→求める・・・
このスパイラルで生活をしているのではなだろうか。
現代社会は、本当に生活しやすいモノであふれ返っている。
選択することもできるし、手にできるものも増えた。
このスパイラルは、心の貧困を生み出した。
生活するのに必要なものは、ある。
選択できるということは、自分で世にあふれたモノを選択し生きていかなければならない。
人は、強欲でもある。
ダイヤモンドを手に入れたら、今度は金が欲しくなる。
それだけにとどまらず、持っていたダイヤモンドの価値が自分の中で落ちて、ダイヤモンドを持っている自分の価値も下げる。
自分の価値を失い、人をねたみ、心が疲れていく。
豊かで幸せそうな世の中に見えるが、みんな常に何かを欲し、今の現状で事足りているのに、他人と比べ「あれがない、これがない」と、自分の幸福を望む。
本当は必要なものは、みんな持っているのに、輝く金に見とれて、手から落とし、知らない間に踏んでいる。
だから自分の本当の美しさだったり、欲求だったり、価値だったりを見られない。
そうすると、自分は不幸だと思う。
他の人と比べると、自分はチープに見える。
これが心の貧困へとつながる。
みんなそれぞれの価値観と、大切なものがちゃんとある。
それを私は、見失わないように生きていきたい。
生活の貧困より心の貧困の方が何倍も、辛くて生きにくいそんな気が私はする。
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