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見直しって大事~文章力アップ~


私は下手くそながら童話を年に3、4個作っています。
小6の頃より書き始めて、やっと分かったことを頭の整理のためにまとめることとしました。


1,自分勝手な文章は物語が可哀想


自分でいうのは憚れますが、昔から視点が変わっているとか、発想力が豊かだとか言われてきたので、お話の種を考えるのは得意な方だと思っています。
言っても、木に葉っぱがちょこんとついたくらいですが。  
2,3年前までは1つの童話につぎ込む時間が、見直しも入れて4時間ほどでした。
せっかく良い案が浮かんでも、そんな短時間で仕上げた作品は結局、輝きを持たず自己満で日の目を見ずに終わります。
誤字脱字は当たり前。 
練られていない文章。
そんなお話、誰が読みたい?
そう考えられるようになったのは、本当の意味で童話を愛し、向き合うようになったからだと私は思っています。 

2,私に欠けていたもの~発見の連続~ 

今まで誰かに読んでもらい、ゆっくり時間をかけて直すという作業をしてこなかった私。
夫と結婚してからは、嬉しいことに夫が読んで感想や直した方が良い点など指摘してくれるます。

私は童話を書くに当たり決定的に欠如してたものが、3つもありました。
そのことにやっと気づけたのです。

(1)文章力と語彙力の圧倒的乏しさ

数年前までは夫に指摘されても、何故そう思ったのかも、自分の書いたものを読み返しても違和感を覚えなかったのも、圧倒的な文章力と語彙力の乏しさが影響していました。

ここ1年半、本を読めるときは読み、読めないときはアプリで色々な童話を聞き込んでいました。
すると内容が感動するわけではないのに、温かい気持ちや涙が出そうになることが多々ありました。
何故そのような気持ちになったのか、童話を書く前に改めて自分の気持ちと対話してみました。
そうして分かったことは、
『文書が洗礼されているため、綺麗で分かりやすく私の中に流れ込んでくる』
ということでした。

名作と呼ばれる作品には文章力と語彙力とがふんだんに詰め込まれていました。
この2つが存在するとき、文章上で表現力が産声をあげるのです。

表現力は美しさです。
表現力のある本は端的に、でも場面のすみずみまで読み手に想像させることが可能になるのです。
文章の中身と巧みな表現力は、私の心に潤いを与えてくれていたのです。

私は新しく作品を書いて、夫に読んでもらうということを続けました。 
童話を聴いたり書いたりする日々を送っていたら、夫の指摘箇所の根本的な欠点が姿を見せました。

何度も書き直し読み直していると、その欠点はあざ笑うかのように、創作活動を中断させるのでした。

(2)文章の違和感に気付く力の欠如

私は読み返して、手直しをすることをしなかったわけではありません。 
書き始めたころから、完成した作品の推敲をずっとしていました。 
それにも関わらず、私は文章の違和感に気付けませんでした。
気付けるようになったのは、ここ半年ほどです。 

夫が私の文章を読んで感じたことを簡潔に言うと
「楽をしている」
ということでした。
私には、どういうことかさっぱり分かりませんでした。
半年前に書いたモノを見直したところ、確かに楽をしていたのです。
さらには中学3年生の頃に書いた短い童話を読み返しましたが、楽、楽、楽のオンパレードでした。
当時の私は、傑作ができたなとおもっていましたが、今読み返したら迷昨でチープな童話でした。
発想は確かに良いのですが、文章に強烈な違和感を感じることができたのです。
恥ずかしさを感じると同時に、今の自分が当時より確実に文章力がついている自信がわきました。 

新しく書いた童話も中学時代に書いた童話も、スッと自分の中に入ってきませんでした。
読む気をなくしそうになる作品すらありました。
 
私は自己満の世界で自己流の表現でしか、物語を書けていなかったのです。
読んだ人が本当におもしろいと思ってくれるような作品は、1つとしてありませんでした。 
今のままでは、文章中に潜む違和感が、読み手を疲れさせてしまうとハッキリ分かりました。

この違和感をなくすために、私は合間合間を推敲するだけでなく、本筋はそのままに全体にメスを入れる作業をしました。 
その甲斐があってか、まだまだ完璧とは言えませんが、違和感が薄れ読みやすく書くことが出きるようになりました。

(3)圧倒的な読書力の欠如

疾病になるまで、小さい頃から絵本や童話、小説などに毎日触れてきましたが、それでも少ないというこどがここ数年で、痛感しました。

ここで言い訳をするのであれば、読めない期間がずっと続きブランクもあったから。
でもそれは、甘やかしでしかありません。 

私は童話を書く力が欲しいですし、良い部分はもっと高めたいと思っています。
そのための近道は、本を見聞きすること。
私にはこの方法が、最善で最速の近道であるということが、分かりました。

実際アプリで童話を聴き込んだ結果、アイデアと表現の幅が広がりました。 
文章の書き方もなんとなく分かってきました。
前よりも書くことが、楽しくなりました。

本に触れることは、童話を書くためだけでなく、心と人生を豊かにしてくれます。
また多ジャンルの作品を読むことは、思考や気持ちの偏りを緩やかにしてくれることにも繋がります。
今はギリシャ神話と対話したいと考えています。

3,気付きの先

童話との向き合い方や自分に欠如しているものを知った結果、もっと色々な童話書きたいと思うようになりました。
書いた童話を愛したいし、大切にしたいです。
それには自分の限界を決めつけず、常にアンテナを張り美しい世界から汚い世界、面白い世界などを見つけ、その世界の一粒を貰ったら、どう育て、どう肉付けしていくかが必要です。
思い通り育ったら、自分の意志をそっと忍ばせて物語として一人前にする。
自分が思ったものと違うモノができた時、耳を傾け新しい知見を楽しみながら物語作り、新たな世界の誕生に立ち会えると、喜べる心の余裕が欲しいです。

私に才能があるとは、思いません。
最終的に才能より好きという気持ちが大切だと、信じてこれからも、可愛い子どもたちを生み出していきたいと思います。

2023,10,21  
  頭の整理のために~ゆうき~




 

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