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詩との出会い、それから童話へ


1,私にとって詩や童話を書くこととは

書けども書けども上達しない詩や童話。
小学校3年生より詩を書き始め、6年生から童話も書き出しました。
私にとって詩や童話を書くこととは、
・イヤな世界から離れること
・自分の感情を吐き出すこと
これが大きかったです。

辛く激しいイジメを耐え抜く術を私なりに模索し、たどり着いた答えでもあります。
今も書き続けることができているの、感情が死んでるわけではないとホッとします。

私は人に『こうしろ』という詩や童話をあまり書きません。
詩や童話は、著者の価値観であり数ある中の正解のたった1つにすぎないですし、誰かの考えに固執して欲しいとも思わないからです。
なんなら、私の文章を違う角度などから見て、私とは違う解釈をして欲しいと、思うくらいです。
そうしたならば、私の世界はもっと広がり深い物になると思うからです。

文章を書くこと、それは私の価値観をさらけ出すことと同時に、対話の意です。

2,詩との出会い

気付きと視野の広がり

国語で詩の授業がありました。確か小学校3年生と記憶しております。

その時の詩の中で、
『かつお節がご飯の上でおどっいる』
と、いったニュアンスの詩がありました。
作者が誰で前後の文章の脈略も覚えていません。
ただ、衝撃を受けました。

日常の一コマを切り取った詩、ただの情景にすぎ、そこに教えや教訓はなかったかと思います。 

そこにあったのは、『気付き』です。
かつお節という、ありふれた見逃すワードを、この著者は面白いと思ったんだと思います。
世界は『気付き』で、できていると、この時の私は解釈しました。

私も書いてみたい

その詩に出会ってから、
「私も日常の1コマを切り抜いて、詩を書いてみたい」
と、思うようになりました。

私は手当たり次第まずは、書いてみることにしました。すると、今まで苦痛だった学校が、違って見えました。
『イジメられるだけの場所』と、感じていたところを、宝の宝庫だと感じたのです。

『気付き』の連続と発想をとばすこと
私にとって、いかに人生を楽しむかという原点担ったのではと思います。

最初は確かこんな詩でした
[オオイヌノフグリ]
私はオオイヌノフグリ
隣にはおっきくてキレイなチューリップさん
チューリップさんには気付くのに
私には気付いてくれない
誰か私に気が付いて
でもね 私は色も形も変えたくない
ありのままの私でいたいから

詩を書いてみて思ったこと

詩を書くことは楽しかったです。
自分でも信じられないほど、たくさん浮かんだのです。

小学校4年生になり、最初の頃のを読み返した時、そこで新たな『気付き』と出会いました。

それは、私がなんとなしに書いていた詩の内容が
・自分自身を映し出していた 
・自分の価値観の塊 
と、いう『気付き』です。

詩はまるで、私の心を代弁してくれていようでした。
私の価値観や考え方を、整理する媒体となっていました。
最初は身近な生活の一部を切り取っていたものが、自分の考えを書くものへと変わっていました。

小学4年生の時の詩でこんなことを書いていました。
 
[ぜんとあく]
この世から悪がなくなればいいのに
全部なくなればいいのに
でも待てよ
この世から悪がなくなれば
悪という言葉がなくなる
悪がないということは反対のぜんもなくなる
いけないこともなくなれば
正しいこともなくなる
なら少しくらい悪もあっていいのかも

詩が私にくれたもの

私は詩のおかげで、今も生きていると言っても過言ではないかも知れません。
詩は私に広い世界や見方、生きる強さや意味、そして命をくれました。

詩は考える力や、人を想う心をくれました。
私は私なりの詩を書いて生きてきました。
『誰かに同意して欲しい、誰かを納得させたい』
そういった気持ちで書くというより、
『安らぎが欲しい、私の気持ちを分かって欲しい、私という人間を理解して欲しい』
と、いった主観的でワガママな思考でかいていました。

それだからなのか、私は人を説得させたり、思考を押し付けてくる詩は苦手だったりもします。
読んでいて、考え方一緒だなと思うことももちろんありますし、巧みな表現力だなと感じることもあります。
でも、そこで受けいれたら私は私ではなくなるので、一部同意しても全てを受け入れる気はありません。
私の詩を読んだ人にも、同じ様に感じていただけたらなと、思っています。

詩は私に柔和な頭と広い心をくれました。

3,童話を書き始めたきっかけ

童話は小学校6年生の頃より書き始めました。
書き始めたのは、
・詩では自分の考えや価値観を伝えきれない
・ずっと身近にあった本を私も書いてみたい
と、思ったのがきっけでした。

書き始めると、上手い下手関係なく、文章が浮かび手が操られるかのように動いたのです。
最初の童話は、その頃[おジャ魔女どれみ]が流行っていたからか、魔女の成長を記した物でした。
それは、原稿用紙120ページありました。

そのあと中学1年生の時、《あの世とこの世の中間点で》と、いう作品を書き上げそちらも100ページ越えをしました。
その作品は、生きるか死ぬかを考える作品でした。
友だち、家族等との愛情や人への疑心暗鬼の心が、変わっていく様を書き上げたものです。
文章力があまりにもなく、今読むと恥ずかしさでいっぱいです。

中学生の頃、周りに漫画や小説を書く子がいたので、私の童話や詩を書く熱は大きくなりました。

4,文章との私

人生の半分以上、詩や童話をを書いています。
一向に上手くなりませんし、相変わらず自分の感情や思考を御披露目しているだけです。

でも、それができている内は私は生きることができますし、気持ちを吐露することもできるのです。

『同意はされなくてもいい。ただ人の心に残る文章を書きたい』 
なんて、生意気にも思ったりするのですが、たぶんこれも続けられている要因の1つ何だろうなと、最近では受け入れられるようになってきました。

文章は私を成長させてくれると同時に、生きる喜びを与えてくれました。
・生き方や考え方は、多様的でいいのだと
・文章を書くことで、読むことで自分の世界を広げられること
・自分を見つめ直すことができること
・書いている間に、文章の過程や結末は変われること
・文章、すなわち人間の考えに答えはないこと
・可能性は無限であること
そう、私は信じながら書いています。

文章とは私の生きる力であり、源でもあります。
この世に、言葉や文章があること、そしてそれを伝える媒体がたくさんあることに、感謝しながらしめます。



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