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【読書】日本純文学オジサンリベンジその6 幸田露伴『五重塔』

文語体という厚い壁

日本の文学を味わい尽くすために乗り越えなくてならないものは、様々あるのであろうが、その代表格として文語体がある。

夏目漱石と並ぶ文豪の森鴎外は口語体の小説を多数残しているにもかかわらず、漱石ほどに読まれていないのは『舞姫』の文体所以であろうことはよく言われる。

日本「近代」文学が好きというならば、口語体となった作品から楽しめばいいわけだが、何か言い訳じみているので、読んだ上でああだこうだいいたいのである。

僕も多分に漏れずこれまでいくども文語体の作品に挑戦し投げ出しての繰り返しであった。
悔しさと一緒に記憶された作品は多数ある。

今回はこの文語体コンプレックスを解消するが主な目的であった。作品を選ぶに際しては、東京の下町を新たな視点で楽しめるものを、ということで、幸田露伴の『五重塔』を手にした。

谷中散歩と露伴の足跡

幸田露伴が気になっているのは、僕がよく谷中を歩いたからである。以前千駄木で一人暮らしをしていた頃に意味もなく、谷中銀座や谷中霊園を歩いていた。

日暮里駅から谷中方面に歩き、人気パティシエのショコライナムラショウゾウのある左側の路地に入る。
ちなみに、この店のお菓子をプレゼントとすると鼻高々である。

すると谷中霊園の傍に、幸田露伴の旧宅跡という看板が残っている。


裏手には朝倉彫塑館という素敵なアトリエの裏手に、ひっそりとある。ここは何度も行っても心地よい。

五重塔の跡はもう少し谷中霊園の奥地にあるが、今は基礎部分の石をみることができるのみだ。※ちなみにトップの写真は全然関係のない成田山の建物

谷中散歩記事になりつつあるので、谷中から離れよう。

以下の点については、関連文献を読み切れてないので、
「そうらしい」としかいえないのだが、露伴の話もなかなか面白い

・露伴の生まれた場所も下谷とありアメ横あたりで生まれた
・一度北海道に官使として2年ほど勤めていた
・しかしそこから一念発起で東京に徒歩で帰るという無謀な旅をしていた
・露伴、というペンネームもその旅先で思い浮かんだ
・「里遠しいざ露と寝ん草枕」という句から取られた
・『突貫紀行』という作品にその旅のことが書かれた
・全集の「対髑髏」に名前の由来が書かれている

『五重塔』どうにか読了

今回も何度も何度も投げ出しそうになったわけだが、どうにか読了することができた。

文語体だと、やはり意味が読み取りづらいのだが、特に困ったのは句点が少ないこと、そして主語が分からなくなることだ。

漢字が多いだけでなく、文章が切れないために密度がさらに凝縮される印象もあり、消化不良がおきやすい。
あたかもポストモダンの前衛的な文章を読まされているかのような感覚にすら陥ることもある。

しかしながら、数ページ耐えて読んでいると、落語でも聞くようにスピードがあがってきた。

話のストーリーも意外と山あり谷ありで、飽きずに読ませてくれもする。

十兵衛の耳が切り落とされる、五重塔が建てられたら暴風雨に襲われる、など驚きの展開もあるわけだが、会話がストーリーの中心にあり、理解しやすい内容であった。

文語体コンプレックスの解消

コンプレックスは解消された、といいたいところだが、そうとも言い切れる自信がない。
『金色夜叉』を読むほどの根気はなさそうなので、次は『舞姫』あたりチャレンジしようかとは思う。

五重塔の十兵衛の職人としての強い意思は感動的ではあるのだが、意識の背景が描かれないために感情移入しづらい。
むしろ十兵衛に気を使う源太の方が、よっぽど感情が表れるため共感しやすいかもしれない。

日本語、文章、が素晴らしいのか、と問われるのであれば、多分そうだろう、といいたくはなる。
使われている単語や喩えなどみれば、やはり圧倒されるだけの文章ではある。

ただ、これを噛み締めるように楽しむことが出来る人はなかなか稀なように感じている。
美しい古典の日本語、美しくない日本語それぞれに触れた回数が多くなくては、それも判断つかないのではないか。
または美しさは分かっていてもそれが心地良くなるまでには相当量の日本語を浴びていないと感じれないのではないか、そんなふうにも思う。

ともあれ、作品本来の楽しみ方ではないが、谷中霊園を五重塔を片手に散歩して思いを馳せることができるのであれば、それはそれで価値があるのだろう。

今回もコンプレックス解消とまではいかなかったが、ここまで。ボツラクボツラク

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