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【読書】日本純文学オジサンリベンジ その11 永井荷風『つゆのあとさき』

浅草と荷風

浅草はとにかく美味しい食べ物屋さんが多く感じます。
行っても行っても尽きない大好きな街。
歴史も文化もなんでもある。
浅草は大好きな街です。

浅草の街を知るにつれて、永井荷風の名前をよくみることが多くありました。

特に蕎麦が好きな僕の場合は、尾張屋。いつの間にか閉店してしまったアリゾナキッチン。
さらにはロック座やフランス座など、演芸の場面でも荷風の名前が出てきます。

永井荷風の作品は全くと言っていいほど、読むことができていませんでした。
そのため、浅草を闊歩する耽美派の文士と認識することで、浅草の粋なイメージを永井荷風の人間像にそのまま重ねてしまっていました。

耽美派?

『つゆのあとさき』は銀座のカッフェーの女給(今でいうラウンジ嬢のようなものだろうか)の君江とそれを取り巻く下品なおじ様たちを描いた作品。

時代的なものもあって直接的な性描写はあるわけではなく、耽美という文字のように美に耽るというよりも刹那的に快楽のままに行動している人々が描かれている、といった印象でした。

刹那的といえば、かっこいいけど、軽佻浮薄というか突発的な感情のままに生きる人たちが描かれていて共感をする隙を与えてくれはしません。

そもそも全般的に描き方が、とても冷静で客観的なものであるように感じられ、没入感は得られないように思いました。

要するにイメージしていた明るい浅草のような軽妙なものではなく、とても知的で緻密に筆致されているように受け取れるのです。

文体、と言われるものを学んだことはないので、正しいのかはわかりませんが、翻訳から作家となったという経緯や金融機関で勤めていたような経歴から、とても真面目で静かな目線を作品の背後に見てしまいました。

これも私の単なる思い込みかもしれません。
しかし、そんな風に考えると耽美派とは何か、永井荷風とはどんな作家だったのか、よく分からなくなるのでした。

結果として、永井荷風と言われる作家について一言では語りきれない何か腑に落ちなさが残った読書でした。

終わり方が分からない

物語は君江がある男に嫌がらせを受けているために、占ってもらう、というところからはじまります。
陰湿な妬み僻みが存在しているのも、作品の暗いイメージに繋がっているかもしれません。

極め付けは、ラストです。
君江が恨みを買った男に怪我をさせられて、唐突に自殺を仄めかす別の男が出てきて物語は閉じます。

暗い雰囲気で終えるのがとても不思議に思いました。

君江の新しい時代の新しい感性を手放しに讃えているようには受け取れず、場合によっては道徳的な観点で悪い意味で解釈されてしまう可能性すらあると感じました。

荷風の楽しみ方

当時の文化に触れられて面白い、というような感想もあります。
たしかに円タク、待合、カッフェー、などその時代を象徴するような産業やアイテムが描かれ、大変興味深いです。

改めて考えてみると、荷風はそういった地理的、時代的、文化的な学びを得られる作品として語られがちなようにも感じました。
場所でいえば、浅草、玉の井、市川、そして作品名も墨東奇譚、葛飾土産など、古き良き東京を描く作家な訳です。

しかし戦前の東京を学ぶのは小説でなくてもよいでしょう。
純文学はむしろ時代を超えた普遍的ななにかが描かれているから評価されます。

そんなことを考えていると、本当の荷風の楽しみ方を見つけなくてはいけないように感じました。

今回の読書で荷風への違和感を得られました。
ちゃんとした評論を読んでないのも良くないかと思ってます。
もう少し、作品数を増やして、解説など周辺もフォローアップしながら、自分なりに永井荷風を腹落ちさせたいと思います。

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