掛川に居を構えた意味をつくる

興味がわくままにYouTubeやネットの記事を検索し見てきた結果、自分の中で塊になって意識するようになったことをつらつらと書いてみる。
その浮かんできた塊をつないでみようと想いたち、掛川に居を構えている意味があるのか?という問いから、意味をつくってみることにした。

歴史とは、互いの解釈について意見を交換すること

今回の探求はこの動画からはじめった「明治150年 真の日本の姿」 この動画の語り部である小名木善行さんの話される内容からいくつかのアイディアをいただいた。
「歴史は事実の解釈から学ぶ」のではなく、「事実に対する問いの連続」という作法なんだと思えた。答えを重要視するのではなく、考えること、読み解くこと、時間の中で、自らの解釈を持つことが大切なのだとわかった。

地理を学ぶことは、郷土愛を育むことにつながる

上記の動画で小名木善行氏が、江戸時代の寺子屋では、住んでいる町の地図をつくることから学んだと紹介していた。町の地図をつくることによって、そこに記される町名について問いをたて、その町名の由来について調べることによって、先人の暮らしや社会、経済があぶりだされてくるという。そしてその調べ学習をとおして郷土への愛が芽生えるというのだ。この方法に興味がわいた。子供たちへの調べ学習という方法とともに、生まれ住んでいる場所への興味関心が芽生える方法だと思えて試してみたくなった。

戦後教育の仕組みは、日本人を弱くしているという話

上記にあげた歴史と地理は、戦前までおこなわれていた方法であり、戦後はGHP政策の影響もあり、行われなくなったとの話だった。小名木さんの解釈ではあるが日本で行わなくなった方法が欧米の大学で当たり前のようにおこなわれる方法だという紹介も興味を持った。出身校でも欧米スタイルだと紹介された講義スタイルが実は日本にもあったってことに興味がわいた。

そこで思ったことは、もともとおこなっていた方法なのだから、再開すればよいということ。これを公の教育というレベルで解決方法を探すと、多様な価値観の人たちとの合意形成という協議の過程が必要になることから、僕は顔の見える人間関係の中で取り扱ってみたい方法だと考えた。ここでのイメージは寺子屋や私塾といわれるものじゃないかと考えいる。

赤松小三郎という教科書には載っていない人物

YouTubeをみていて、自分の中で意識する塊として「明治維新」がみえてきた。学生時代に勉強してこなかったので知らないことばかりな私にとっては、司馬遼太郎氏による明治維新のとらえ方と、それ以外のとらえ方があることに興味がわき、どちらも動画の語り部の解釈を聞いてるという点で、事実を知りたい、事実の現場に立ち会いたいという想いが込み上げてきた。その中で「赤松小三郎さん」という人物の存在を知った。赤松小三郎さんというのは長野県上田の人で江戸で学び、武力ではなく政治による国づくりを訴えていたということを知った。拓殖大学の関良基准教授という方が「赤松小三郎ともう1つの明治維新」という本を出しているというので、読んでみたいと思う。出身地には博物館もあり紹介されている。

掛川にある大日本報徳社と報徳思想

赤松小三郎さんのような人物は日本全国にいたのではないだろうかと思う。またそういった人が生まれてくる環境というのも地域の違いがあってからだと。ふと頭にでてきたのが、地域に根付いた教えがあれば、探求するための手がかりになると思い、掛川には二宮尊徳の報徳の教えと、その教えの啓蒙のためにつくられた大日本報徳社があることを思い出した。

大日本報徳社のホームページ、そこで石野茂子さんが紹介している動画をみて考えた。この教えを現代に活かすことができないか?学校での学びだけではなく、社会、経済を豊かにする仕組みづくりに活かせないかと。

掛川に居を構えた意味をつくる

つたない言葉でつづってきたが、僕が掛川に居を構え、東京との二重生活をしていることを活かすとしたら、掛川に生まれた人たちが豊かに暮らすために、グローバルに考え、ローカルに行動できるような、そんな情報を集積されることや、情報から探求することの楽しさを伝えることや、掛川での学びがグローバル経済でも役に立つということを気づき、考え、修得するような機会をつくることに我が身を活かしたい、今はそのように内省し、自分自身への問いをはじめようとしている。

そこに加えたい「音楽教育」

先週から考え始めた「音楽教育」 音楽について学ぶのではなく、音楽から学ぶという方法で、ヒトの成長を応援したいという問い。
このことについても、今日の探求と結び付けて、僕なりのビジョンなり方法なりを可視化したいと思う。
報徳思想+音楽教育=? 二宮尊徳が道徳と経済の大切さを説いた時代から時間が経過し、いま必要なまなざしは、道徳と経済ということを説いた人の視点、視座、視野を育むことなんじゃないかと思えてきた。その審美眼というのか感受性といった方が音楽に近づくかもと思うが、そういった感じる力を養うこと、表現すること、伝えること、伝えたことをさらに受け止めること。そういった感性を磨くことによって、この道徳と経済という考え方が今の時代にさらにマッチすることのように思えてきた。

何から始まるか?
それはまず、掛川に暮らす家族の理解を得ることだと思う。


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