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「園芸」の「芸」は「お家芸」の「芸」。

今日は「園芸」ってなんで「芸」が付くんだろうということを考えながら仕事していた…。
「芸」とはそもそも「学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術。技芸。」のことを言うそう。

というのも今日、職場の女性従業員から「新しい人が入ったらこの仕事、できると思う?」という一言があったから。
あわせて連日報道されている「契約社員の格差」問題も共通する点があると思う。
つまり「スキル」の考え方が少しずつ変わってきているのだろう。

「農業」という仕事の大部分は、身体を通したオペレーションによって商品が生産されていく…だからこそ農業の手技における技巧の優劣は当然ある、というのが一般的。
どういうことかと言えば、身体を使うからこそ、技の習得・修練には時間を要するということ。

そのうえでどのように作業を行えば効率よく、ミスなく業務をこなすことができるのかも長くその仕事に携われば分かってくる。
身体だけはなく、行動の組み立て方(頭の使い方)も時間を掛ければある程度は養成される。

けれど現代は、少子高齢化。
農園芸業に携わる作業員は年を追うごとに高齢化。
高齢者が現場を指揮監督し、高齢者が作業に当たるという状態がもはや常だ。

そうすると年齢の若い作業員は、経験値の高く、作業も早く巧い高齢の従業員の下で働き、主な作業を携わる機会が格段に減少。
しかも「家業」としての色合いも強いので、いわゆる「下積み」の仕事しか与えられない可能性が高い。
人材の流動性の高くなる世間とは裏腹に、流入する人材は極めて少ない。
他業種は当然のように、ITなどを駆使して「誰もがすぐにできる仕事」にどんどん切り替わる。

結果として、高齢化した「師匠」が現場に出られなくなってからはじめての初舞台となる。
まさに「芸」ごと。
しかし、初舞台のときには現場は荒み果て、荒寥とした砂漠が残るだけだ。

ここで女性従業員からの返答を申せば、僕もこの仕事に耐え得る人材はいないと考えたほうが良いと思う。
そこには「今のままでは」を付け加えたい。

よく文化芸能や職人の世界では「技術は目で盗め」などという。
園芸業界も「水やり3年」などといい、植物の動きを見極めるには最低、3年間は掛かるという比喩でもある。
けれどもうそんな時間はない。
日本の業界全体でそんな徒弟関係の労働を行った結果、技術を多くの人に伝えることのできる国や企業に、日本の技術は追い抜かれてしまった。
はたまた日本人が大切にしていた手工業は、あれよあれよという間に機械化され、素早く、無駄なく、ミスなのない機械に取って代わられようとしている。
なんなら機械のほうが質が高かった…なんてことはザラにある。

つまり、技術は「秘技」やら「免許皆伝」やら、誰かに習得させることを「躊躇う」ものではなくなり、「伝達」するものに変わってきた。

いま、世間で問題となる契約社員の待遇は「スキル」について議論が交わされることが多い。
僕が思うに作業が細分化された結果、誰でもできる労働が多くなり、そこに付加する「責任」の所在だけでしか従業員の階級を指し示すものがなくなった。
「あの人はこれができる」とかでなはなく「あの人は部長だから、課長だから」のヒエラルキーによって賃金が決定される現場が多い。
農園芸業界はさらにもまして、その傾向が強い。
賃金だけならともかくとして、技術や知識も階級によってしか得られない場合が多い。
つまり、若い労働者は「農奴」として、単純作業のみが与えられ、次のステージに到達するまでに多大な時間と労苦が必要になるのだ。
その間、賃金は地を這う如く低いということが他も多数。
これでは長く仕事を続ける若い労働者は皆無だろう。
他の産業に流れて行ってしまう。

ゆえに僕は、新しい人材に長く勤めてもらうには、上司や先輩の責任が多分にあると考える。
つまり、教え方が下手か上手いか。
技術を伝達する術が優れているのか、劣っているのか。
それによって長いスパンで企業の成長に変化を及ぼすのであれば、これ以上重大なことはない。

非常勤講師時代、特に言われたのが「学生が理解しないのは教師が下手だから」ということ。
実際に経験してまさにそうだと感じた。
下手な教師は学生の芽を摘む。
授業がストレスフルな現場であればあるほど、成長の機会を奪う。
仕事もその意味においてはまるで変わらない。
部下の芽を育てるのも枯らすのも、同じことだ。

園芸の芸をほんとうの意味で「芸事」にするには、従業員ひとりひとりが「芸人」にならなければならない。
しかし、時代は「芸人」を育てるほどの時間を待ってはくれない。
あらゆる演芸・芸能の「芸事」ですら、その門は大きく開かれている。
農園芸はまさに「お家芸」が一般化し、高齢化によって衰退。
本来ならば「芸」を用いて、それを価値へと換金しなければならないものを、薄利多売の低利益を理由に単純作業の繰り返しに終わる。
これでは「芸」は磨かれない。
つくられる商品が「芸」として価値あるものにするためには、まずは人材の育成が喫緊の課題であると僕は思うのだが、なかなかその真意を理解されない。


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