本音と建前
少し前に人事考課があった。
ざっくばらんに言うと、前期の反省点を振り返り、今期の目標を決める面談である。
勤続年数が長い人は、これによって役職が上がったり部署が変わったりすることも多い。
また、それぞれの社員の活躍を評価・採点して、ボーナスとして還元する目的も担っている。
とはいえ、僕の場合は入社して初めての人事考課である。
今期、入社したわけだから前期の反省点なんてあるわけがない。
ましてや僕は仕事をまだ完璧にこなせない。だから、今後の具体的な目標が立てれるほど、会社での自分の立ち位置を理解できていない。
気楽に行こう。僕は肩の力を抜いて人事考課へと向かった。
会議室にはチームリーダーのEさんと副マネージャーのJさんが座っていた。普段、この2人と関わる機会はそんなに多くはない。
あまりいい加減な言動はしない方がいい。そう感じた僕は、気持ちを引き締めて面談へと臨んだ。
ちゃんとした回答ができるように準備をしていたが、取り越し苦労だった。
面談は、他愛のない会話で談笑するくらい和やかに進んでいった。
「まだ分からないことも多いだろうから、とりあえず今期は仕事に慣れて、自分一人でこなせるようになる事を目標にしようか。」
Eさんが今期の目標を決めてくれた。
長期的且つ具体的な目標を決めなくてはいけない。僕は勝手にそう思っていた。
「はい、まずは仕事を覚えることを念頭に置いといて、今やれる事を頑張りたいと思います。」
ハキハキとした口調で僕は応えた。
「まぁ◯◯くんは若いからね。どんどん仕事を覚えて一人前になって、ゆくゆくは役職を担うくらいの人になってもらわないとね。」
Jさんから期待を込めた激励を頂いた。屈託を感じさせない表情。僕にそれなりに本心から期待をしているように見えた。
人をマネジメントするような役割は向いていない。今までの人生経験から密かにそう思っていた。
急な土日出勤、部下への的確な指示、受託するプロジェクトの選別とそれの割り振り。さらにはそれらを考えながら部署の業績の分析と管理。
そんなJさんの普段の立ち振る舞いを見ていると、とても自分には出来ない役回りだと感じていた。
ただそれと同時に、僕は自分にはできないという本心を、素直に口に出すこともあまり良くないことも学んでいた。
「はい、頑張ります。」
期待に応えるというポーズは取るべきだな。僕はそう思い、迷いながらも返事をした。
何事もなく人事考課は終わり、仕事へ戻った。
その後、午後の業務を終えて家に帰った。
玄関を開けると、お出迎えと言わんばかりに、喉を鳴らしながら飼い猫が近付いてきた。
腹這いになり、前足を前に出したままの状態で座っている。それなりにリラックスしているように見えた。
一日働いた後に無邪気な猫の姿を見ると、心が休まる。ネコを飼うようになってから、常日頃そんな感覚を味わうことが多かった。
何ともいえない可愛らしさを感じた僕は、抱き抱えようと思い、荷物を置いて近付いた。
すると、何を思ったのか、飼い猫は「ヴッ!」と短く唸り声を上げて居間の方へと踵を返していった。
数秒前には、愛想良く鳴き声をあげていた飼い猫が唐突に心変わりする様を見て、僕は思わず唖然とした。
ある日の休日に、居間でスマホをいじっている時も似たような事があった。
居間に現れた飼い猫が、急に僕の膝の上に乗ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしてきた。
母親には毎日のように甘えている飼い猫だが、僕にそういった様子を見せるのは稀なことである。
僕は背中を撫でて応えてあげた。飼い猫は満足そうに、背中を丸めて目を細めている。
5分も経つと足が痺れてきたが、気にせずにその状態を満喫していた。
僕と飼い猫のスキンシップは、長くは続かなかった。
玄関の扉が勢いよく開く音がした。母親が帰ってきたのだ。
膝の上で喉を鳴らしていた飼い猫は、むくりと起き上がり玄関へと駆けて行った。歓迎するかのように大きな声で鳴き声をあげて。
痺れた足を伸ばしながら、僕は寂しさに打ちひしがれていた。
今回もその時と同じ感情を抱いていた。
猫は気まぐれで、自分の気持ちを正直に表現する。
抱き抱えられたくない時は、不機嫌な声を出して噛みつく。遊んで欲しい時は甘えた声で擦り寄る。
嫌なものは嫌、好きなものは好き。自分の好きなように生きているように僕には見えた。
本心のまま生きてみたいものだな。心の底から、僕はそう思った。
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