発達段階に応じた子どもの指導 ―「怒る」と「叱る」の違い―
※TipsでもAdviceでもありません
※これは自分を戒めるために書いています
現在、私はとある学習塾で働いています。
そこでは、小学生から高校生までを対象にして、子どもの自主的な学習の支援・指導をしています。
つまり、授業内で子どもが勉強に集中していなかったり、他ごとをしていたら、それを注意しないといけないわけですが。。。
問題は、その行動が収まらなかった時。その時に、「怒る」のか「叱る」のか、これが難しいところです。
「怒る」と「叱る」の差異
そもそも、「怒る」と「叱る」の違いとは何なのでしょう。
簡単に調べてみると、それぞれこう書いてあります。
怒る
自分の感情を相手にぶつけて激情すること叱る
相手のために、激情して感情とともに咎めること
つまり、感情を発する際に、そのエネルギー元がどこから来ているかに違いがあります。
これを踏まえると、教育においては「叱る」をするべきなのでしょうが、実際に実践するのは難しいところです。
板挟みになると、「教室マルトリートメント」が起こる
教育現場において、子どもを導く立場の人間は、子どもだけを相手にしているのではありません。
例えば、塾であれば授業進行のマニュアルがあります。上司からの指示があります。
そうして、子どもと塾の方針との間に、子どもを導く立場の人間は板挟みになるわけです。
その中で、子どもを導く立場の人間は、子どもに対して、こちらが指示している行動……そうでなくとも、こちらが想定できる範囲内の行動……を求めるようになります。
そして、それらから外れる行動をしている生徒がいると、板挟みにあっている中で焦りを感じ、怒りを覚えてしまう。怒ってしまう。
こうして、子どもにとって不適切な関わりを生む空間、「教室マルトリートメント」が生まれるわけです。
そんな構図が出来上がっていくことも、あるように思えます。
感情をコントロールし、適切に「叱る」力
そこで、子どもを導く立場の人間は、感情をコントロールし、適切に「叱る」力が必要であるのかもしれません。
子どものためにどんな指導が必要なのかを考えて、常にメタ的な視点で考える。
そのうえで、子どもに指導が必要であると考えたならば、その生徒にあった方法で「叱る」。
甘やかしたりたしなめたりするだけではなく、きちんと「叱る」。
これを実現するためにも、常に自分をメタ的に見る力、そして子どものために何が必要なのかを常に考えることが大切なのかもしれません。
……という、自分に対する戒めです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?