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『「社会正義」はいつも正しい』読んだ

先月、訳者解説が出版社のWebから削除されたことで話題になったこの本やっと読んだのである。

記事を削除したというのは、要するに「キャンセル」されてしまったということで、本書の内容の答え合わせになっている。出版社としてはある意味美味しい情況で、高度なマーケティングという疑惑すらもたれている。

本書の内容を正しく理解しているなら削除することはないと考えられるし、編集者らが理解していないとは思われないので、私としてはマーケティングとしてあえて削除したのだと考えている。

著者のヘレン・プラックローズとジェームズ・リンゼイは、フェミニズム版ソーカル事件をおこしたことで知られている。ポストモダン風の意味不明な言葉遣いで無内容な論文を学術誌に投稿したら、そのうちのいくつかがアクセプトされちゃったというソーカル事件の再現実験である。

くわしくはこちらの記事を参照されたい。

というわけなので本書は、ポストモダニズムやポリコレやWokeとかアイデンティティポリティクスを手厳しく批判するものである。

とはいえそうした批判は日本のアンチフィミニズム界隈などでもさんざん見てきたような内容である。外国にも似たようなこと考える人は当然いるよなあって思った(KONAMI)。

ところが日本人による批判は受け入れないが、本書のような西洋人による批判ならありがたく拝聴するという変わった人たちもいるようだ。

まさに西洋中心の価値観を転倒させることこそが、ポストモダニズムとかポストコロニアリズムだったはずなのだが、、、


本書の内容は日本でもよく見かけるようなものだが、少なくとも私にとっては、読む価値があった。ポストモダニズムについてわかりやすくまとめてあるからだ。

ポストモダニズムは雑にまとめるなら、旧来の価値観を疑うことである。脱構築ってやつだ。

脱構築するのはいいけど、それでは後になにも残らないし、なにも達成できない。最初の世代はそれでよかったかもしれないが、後に続いた人たちは満足できず、政治的活動に身を投じていったのである。

終わりなき解体と断絶-あるいは彼らが言うところの「脱構築」-は自分自身を消費し尽くすハメになったにとどまらない。おもしろいものすべてを消費し尽くすので、退屈になってしまう運命にあった。
つまり、〈理論〉はニヒリスティックな絶望だけでは満足できなかったということだ。それは何かやるべきこと、実践可能な内容を必要としていた。

こうしてポストモダニズムは政治的に実践可能なかたちで応用されることになるのだが、あらゆるものに懐疑を向けるが自分たちの正しさだけは疑わないという極めて独善的な活動になっているのは、見ての通りである。

またポストモダンの巨人たちも、ほとんどが白人男性だったこともあり、活動家たちの批判に晒されるようになるのであった。

個人的にはフーコーの生権力批判などは、昨今の日本においては極めて有効であるように感じられるし、ポストモダンすべてを捨て去るのは惜しいと思うのだが、それを応用した人たちのお行儀が悪すぎたね。。。

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