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立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』読んだ

白饅頭さんがしばしば指摘しているのだが、今の若い世代は自らの体験をSocial Mediaでシェアするのが習い性になっているとか。

もちろん私たち中年世代でもSNSで絶景とかメシの写真をシェアするものはそれなりにいる。しかし共有するのは主にSNSで知り合った人々である。

今の若者たちにとっては、リアルで知り合った友人たちともシェアするのがコミュニケーションの一様式であり、ひどい場合は友達付き合いの必要条件でもあるという。

こうした、承認欲求とないまぜになった露出狂とでも言うべき強迫観念はどうしたことなのか、、、などと思案していると、積んであった本に遭遇したのである。

Amazonによる3年半ほど積んでたようだ。

有名人のゴシップであれ、市井の人々の悲喜劇であれ、メディアでスペクタクルとして消費される社会、また心理学が大衆化した社会についての分析である。著者の立木康介氏は著名な精神分析家なので、本書はフロイトやラカンの理論に則って展開する。

SNSなどを通じて簡単になんでもシェアされるのはいうまでもなくスマホなどのデジタルガジェットの普及によるものだ。

それらのガジェットは、快楽を簡単に得ることを可能にする。つまり抑圧が少ない。抑圧がなければ、(精神分析でいうところの)無意識が形成されない。心の闇がない。全部見えてしまっている。

抑圧がないとセクシュアリティが欠落する。つまりエロス的身体が形成されないのである。

フロイトは2種類の欲動を定義した。一つはシンプルな自己保存欲動。もう一つは性欲動(リビドー)である。リビドーの抑圧が無意識やセクシュアリティを形成する。セクシュアリティはたんなる自己保存欲動(生殖行動)を超えたものである。

現代における少子化とか草食化といった現象は、セクシュアリティの欠落という観点から捉えることができよう。
また、セクシュアリティからの撤退は、文化の幼稚化、若者であることへの称賛にもみられる。だれもが大人にならない、なりたがらない。

私自身も中二病発症以前に選んだ音楽ばかり聞いているのは前にも述べたとおりである。

またテクノロジーの発達は、人間をただの身体=モノとして認識することを促す。病院では患者をバーコードで認証することが常態化しているし、スマホの顔認証、指紋認証もそうした現象だ。器官なき身体って感じだ。

ヒトはただ生きている状態に還元され管理される。剥き出しの生政治へと突き進んでいるのだ。

というような内容で非常に面白かった。

また自分がフロイトについてなにも理解していなかったことがわかった。そりゃ『アンチ・オイディプス』なんか読んでもわけわからんよな。


ところで3年以上積んでいたこの本を今さら読んでみようと思いついたのはとある事件=スペクタクルであった。

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