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高村薫『リヴィエラを撃て』再読

実家でお片付けをしていると思わぬモノに遭遇しがちである。

例えばこんな本。IRAもののスパイ小説だが、こんなものを所有していたのかとやや驚いた。

片付けの最中にそんな感慨にふけっていてはいけないと知りつつも、ついつい再読してしまったのである。

高村薫の最高傑作とも言われる、日本推理作家協会賞受賞作品である。

北アイルランド、ロンドン、東京を舞台に、「リヴィエラ」なるコードネームのスパイおよび文革期中国との外交を巡って謀略が繰り広げられる。MI5、MI6、スコットランドヤード、警視庁外事課、CIA、IRAと登場人物がやや多くて最初は混乱するが、途中からは一気に引き込まれた。

本書の魅力の一つは、たくさん登場するアイルランドや英国の地名であり、またその情景の描写の丁寧さである。

テロリストやスパイもにつきものの権謀術数も面白いが、登場人物がそうしたプロットや組織の掟に操られるだけならつまらない。本書の登場人物たちは基本的に情況に強いられて行動する存在だが、ときどき自らの意思を貫く。たまに現れるその瞬間がたまらなく愛おしい。

掟破りや作戦行動中のミスは、たいていは小さな綻びにすぎず、そこに違和感があったとしても取り越し苦労に終わるものだ。しかし本作の愛すべき登場人物たちがおかすそうした間違いは、ときに致命的なダメージとなって返ってくる。

致命的になりうると知っていても、人情から己の決断をしてしまうのが人間なのだなあと詠嘆するほかないのだった。

情況に流されるままのある登場人物の一節を引用してみる。

なぜ警察を辞めたのか。なぜメアリーと別居しているのか。俺はメアリーを必要としているのか、いないのか。この仕事が、いったい俺は好きなのか、嫌いなのか。そうした迷いは多くは一過性のものであり、結論を出さずに通り過ぎるのが賢明な道だと、人生は教えていた。だが、あれかこれかの結論を迫られない賢明な人生の、この虚脱感はどうしたことか。

彼が対峙するのは、「あれかこれかの逼迫した選択」を迫られて決死の逃避行を繰り返すIRAのテロリストであり、その切迫感を前にして自身のあり方を振り返るとき、虚無感を禁じえないのである。

でもまあほとんどの人間は慌てて結論を出す必要のある人生を生きてはいない。だから先延ばしすることにもなんらかの意義はあるだろう。

だからLive another dayだよな。




ところで高村薫という作家は文庫本にするとき大胆に加筆修正するらしい。だからいつか単行本も読んでみたいね。


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はむっち@ケンブリッジ英検
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