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一部で話題の軽部謙介『官僚たちのアベノミクス』読んだ

軽部謙介氏は経済政策に強いジャーナリストで、過去にその著書を紹介したことがある。

軽部氏は第二次安倍政権の経済政策について新書を出しており、その続編が最近上梓され経済クラスタの間で話題になっている。というわけで私も遅ればせながら一作目から読むことにしたのだ。

始まりは、2012年11月当時の総理大臣野田佳彦による突然の解散宣言である。野田を含め数人しか知らなかったという。もちろん安倍晋三も知らない。

霞が関では解散が近いことはみな感じていたし、解散となれば自民党が勝利するとわかっていたものの、こんなに早いとは思っていなかった。
経産省の一部官僚たちはすでに民主党に見切りをつけて、個別にではあるが甘利明ら自民党議員らに接近していた。特例国債法案を抱えていた財務省は身軽には動けなかったが、12月の解散総選挙後は正月返上で汗をかくことになる。
官僚たちも明らかに民主党政権より自民党政権で熱意をもって働いていたのがヒシヒシと伝わってくる。また民主党首脳がすでに諦め気味だったのにも驚く。

解散総選挙と前後して安倍晋三の周辺に政策ブレインが形成される。本田悦朗、浜田宏一、高橋洋一らである。リフレ派と目される彼らは、小泉政権期官房長官を務めていたときに日銀に疑問をもっていた安倍と馬があったものと思われる。

白川方明率いる日銀に不満をもっていたのはリフレ派だけではなかった。なかでも財務官僚も不満だったというのは知らなかった。けっこうな量的緩和を実施しつつもその効果を否定するような発言をする白川氏の態度は、たしかに不満を持っていた人は多そうだ。

本書では、結果的に第二次安倍内閣の唯一といっていいマクロ経済政策となった金融緩和の成り立ちに焦点をあてる。言い換えれば日銀との押し問答だ。

安倍政権は長く続くデフレの責任を日銀の無策と断じ、インフレターゲットの導入などより積極的なコミットメントを求めた。これに対して2%のインフレターゲットだけでも断腸の思いであった日銀は、2%の目標達成の期限を切ることだけは断固拒否した。官邸側が断固拒否したのは、目標達成できなかったときに政府にも責任を負わせることであった。

つまり、政府は日銀法改正をちらつかせてインフレターゲット導入と物価にたいしては日銀のみが責任を負うことを求めたのだ。日銀はこれを受け入れざるをえず、期限を設けることだけはなんとか拒否したというところだ。官邸サイドは期限についても要求を飲ませようとしたが、正副総裁が3人そろって辞任という噂が流れるに至って矛を納めたという次第である。

こういうぎりぎりのやりとりが淡々と描かれていてなかなか面白い。また官邸と日銀の間に立って右往左往する財務省も、最強官庁といえど板挟みになることもあるのだあと小学生並のことを感じた。

日銀との押し問答以外にGPIFのポートフォリオリバランスについてのひと悶着にも紙幅を割いているがこれは割愛。

本書は2018年初頭に出版されており、終章でアベノミクスについて簡単に評価している。金融政策から財政政策へと軸足を移した浜田宏一の言葉を引用しているのが興味深い。いま思えば当たり前のことだが金融政策だけで物価が動くわけはなかったのだ。日銀が2%の物価目標を設定していることなどほとんどの人は知らないだろう。

終章では日銀での世代間断絶にも触れている。今の現役日銀マンにはかつて独立性をめぐって政府とやりあった姿はみられないという。むしろ政権は自分たちの意見を聞いてくれるので仕事がやりやすいという声もある。私は政府と中央銀行が同じ方向を向いているのは良いことだと思う。

全編を通して印象的なことは、著者が極力事実のみを記載しようとしていることだ。つまりマクロ経済学の神学論争に立ち入らないようにしている。それぞれの立場で譲れないものを淡々とつづっている。経済政策のジャーナリストであって、経済学のジャーナリストではないと自覚しているのだろう。

理論の正否をかっこに入れるスタイルの本書から感じるのは、政治とは落とし所を探す作業であって、正しいことがまかり通るとは限らないということだ。

この記事は経済学に関心を持つ団塊ジュニアの小市民という立場で書いた。そうしたことの舞台裏を知ることができよかったかなと思う。

なので続編も読みます。


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