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#444 蹴球論43|2004年 ドイツW杯 アジア二次予選 〜全勝〜

そんな感じでジーコジャパンが指導して1年半が経過し、まったく期待できない感じで時間だけが過ぎておりました。
2003年は相手国がやる気のない親善試合では勝利できたものの、コンフェデも予選敗退、東アジア選手権ですら取れず、ジーコの手腕に関して、誰もが首を傾げ、一抹の不安を覚えていたものでした。

しかし、就任から1年半が経過し、早くも2006年ドイツワールドカップの予選が始まろうとしていましたのです。

とは言え、二次予選ですし、「監督はダメだけど、個の力は十分だし、まぁ二次予選だし突破できるっしょ」っとタカをくくっていましたが、なかなかハラハラドキドキの1次予選でした。


ワールドカップ二次予選

一次予選は日本は不参加で終わって、二次予選からのスタートです。

レギュレーションは「日本」「オマーン」「シンガポール」「インド」の4か国がホーム&アウェイで戦い、全6戦を終えて最も勝ち点が多いチームが決勝リーグ進出となります。

前回の日韓W杯は開催国で予選免除だった為、日本がアジア予選に出場するのはフランスW杯ぶり、8年ぶりとなります。
ジョホールバルの歓喜含めて最終予選は覚えてますが、フランスの1次予選はそんな印象は無いです。ただ、オマーンが当時もいたのは覚えてますし、アウェー戦は小村のゴールで1-1で引き分けた記憶もあったりしますね。

招集されていたメンバーは基本的に昨年のコンフェデなどのメンバー同様ですが、昨年2003年のJリーグを制し、東アジア選手権でも活躍したドラゴン久保や、ボンバー中澤も代表入りして、万全の体制で初戦のオマーン戦に挑みました。


第1戦|1〇0 オマーン

そして始まりました。
2002年日韓W杯のトルコ戦で置き忘れた荷物を取りに行く、ドイツへの旅がここから始まりました。

初戦のDFは楢崎、DFは三ちゃん、宮本、坪井、山田暢、MFはボランチに稲本、ヤット、オフェンシブに中田英と俊さん、そしてFWは高原と柳沢の布陣でキックオフ。ちなみに余談ですがこの時期、僕らは三ちゃんは論外と置いて、俊さんと高原にも批判的なスタンスでした。

で、相手のオマーンはとにかく民放泣かせの国名ですがそれは置いておいて、この日GKのアル・ハブシは僕が後にも先にも名前を知る唯一のオマーン人選手なんですが、この日はキレキレでした。

で、この日も大学の友達4人くらいで見てたんですけど、前半に俊さんがPKを外して、「もう俊輔ダメ!満男に変えろ!」と僕らは激高してました。
そしてシュートを外しまくる高原にも僕らは怒り、「はやくタツ(久保)出せ!」とも憤慨してましたね。

で、後半です。
柳沢に変え、ようやく久保を入れてくれて、明らかに機能するようになりました。
それもその筈で(久保が優れているのもありますが)柳沢はこの日超絶体調不良だったようで、宮本も山田も体調を崩していたそうですが、ジーコがその辺の配慮ができる訳もなく、強行出場させ、案の定機能しないという笑

スーパーさぶっ劇場もつけておきます

で、引き分け濃厚だったんですが、最後に日本、そしね、て何といってもジーコを救ったのはドラゴンでした。
後半ロスタイム、俊輔の足に当たった(アシストとは言えない)こぼれ球を拾った背番号9が冷静に左足でコースを狙い、好守アル・ハブシも止められないコースでゴール!日本先制!僕らも狂喜乱舞!
とにかくホッとしましたね。


第2戦|2〇1 シンガポール

薄氷のオマーン戦の次はアウェイでのシンガポール線です。
今回の招集メンバーですが、不動の右サイドバックの山田暢、前回のオマーン戦でも後半途中からゲームメイクした小笠原、そして何より決勝ゲールを決めた久保が招集外だったんです。「なんでやねん!」という話なのですが、その理由に関しては次回あたりの蹴球論で紹介しましょう笑

で、シンガポールから全然点が取れないんです。
黄金の中盤も機能せず、高原も全然ダメで、10本くらい打ってようやく高原が1点決めれたんですが、その後もパッとせず、気づいたら同点に追いつかれ・・・この試合もヒヤヒヤでしたが、後半から出場した藤田俊哉が劇的な勝ち越しゴールを決めて2-1で辛勝。

とにかくこの2試合を通じて「海外組が機能しない」「試合を決めたのは国内組」ということで、状態最悪でした。

この辺で流石にジーコも考えを改め、機能している3-5-2をベースとしたスタイルに変えたような記憶がありますね。


第3戦|7〇0 インド

このインド戦も覚えてます。もう圧勝でしたね。
前半開始早々、左後方から三ちゃんのクロスをタツがダイレクトボレーで決めて先制。マジでこのシュートクソカッコよかったですね。
そしてその後もタツのポストから福西、俊さんのFK、玉田のシュートが師匠のケツに当たってゴール、満男のゴール、そして俊さんのFKから中澤が2点!

師匠がファールをもらい、俊さんがFKを決めたり、中澤に合わせたりと、セットプレイのスタイルが確立されたのはこの時期かもですね。



第4戦|4〇0 インド

アウェイのインド戦は、アジアカップ2004が終わってからだった気がします。
このアジアカップも激熱でしたのでまた長編で語りますが、この辺でチームは出来上がっており、まったく問題なく買った記憶がありますね。
師匠、小野、福西、宮本が決めて4-0で完勝。
試合中に停電があったのをかろうじて覚えてます。


第5戦|1〇0 オマーン

そしてアウェイでのオマーン戦。
この試合で引き分け以上であれば、突破が決定とかだったと思うんですけど、俊さんの巧みなステップで相手を遅らせ、左からのクロスに師匠!
師匠らしくないカッコいいヘディングでしたね笑


第6戦|1〇0 シンガポール

そしてこの試合はほぼ覚えてないですが、玉田のゴールで勝った記憶があります。
とにかくシンガポールは苦手なんですね。


まとめ

結局6戦6勝で全く問題ない突破だったんですが、8年前の二次予選では31点取ってるのに対し、今回は16点と得点数が半減してしまっており、うち4戦が1点差と、アジアのレベルが上がったのが、ジーコジャパンが弱いのか、はたまた両方か、この時には分かりませんでしたが・・・

とにかく、そんな感じで決勝リーグに進みますが、決勝リーグに関してはヨーロッパ遠征やアジアカップ、アテネなどボリュームが多い2004年のサッカー話が全部終わってから紹介します!


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