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#394 蹴球論38|2003年 コンフェデレーションカップ 〜暗雲〜

さて、そんな感じで前回ジーコJAPANの船出を懐疑的に振り返りました。


その手腕に対する疑念が払拭されないまま、迎えたのはFIFA主催の大陸別王者決定戦、すなわちコンフェデレーションカップですね。

日本代表は2000年に開催されたアジアカップを制したので、その翌年の2001年、そして2003年に出場する機会をGETしていたのですね。


そして2001年大会は、プレW杯の意味合いもあり、日韓で開催されました。
日本代表は健闘し、準優勝という好成績で良い形でW杯に突入し、結果として初の勝利、初の決勝トーナメント進出を実現しましたね。


コンフェデレーショカップ2023

そして2003年、日本が3度目の出場となるコンフェデレーションカップはフランスで開催されました。

召集メンバー

ジーコJAPANの真価が問われるこの大会、招集メンバーは下記の通りでした。当時のベストと言っても過言ではないでしょう。

GK  1 楢崎 正剛(27)名古屋グランパスエイト
DF  2 名良橋 晃(31)鹿島アントラーズ
DF  3 秋田 豊(32)鹿島アントラーズ
DF  4 森岡 隆三(27)清水エスパルス
MF  5 稲本 潤一(23)フルハム
DF  6 服部 年宏(29)ジュビロ磐田
MF  7 中田 英寿(26)パルマ
MF  8 小笠原 満男(24)鹿島アントラーズ
FW  9 大久保 嘉人(21)セレッソ大阪
MF 10 中村 俊輔(24)レッジーナ
FW 11 松井 大輔(22)京都パープルサンガ
GK 12 土肥 洋一(29)FC東京
MF 13 奥 大介(27)横浜F・マリノス
MF 14 三都主アレサンドロ(25)清水エスパルス
MF 15 明神 智和(25)柏レイソル
MF 16 中田 浩二(23)鹿島アントラーズ
DF 17 宮本 恒靖(26)ガンバ大阪
FW 18 永井 雄一郎(24)浦和レッドダイヤモンズ
MF 19 遠藤 保仁(23)ガンバ大阪
FW 20 高原 直泰(24)ハンブルガーSV
DF 21 坪井 慶介(23)浦和レッドダイヤモンズ
DF 22 山田 暢久(27)浦和レッドダイヤモンズ
GK 23 川口 能活(27)ポーツマス

最年長が秋田で、最年少が大久保ですかね?
シドニーの世代が中核の代表となり、若く才能あふれる選手が多く召集されていましたね。
海外組も5人と、徐々に増えてきていた状況です。
この時期Jリーグはマリノスが独走している状態で、奥が選出されています。


出場国&グループ組分け

そして日本代表が所属するAグループは、
開催国でありヨーロッパ王者(EURO2000覇者)のフランス、南米王者(コパアメリカ2001覇者)のコロンビア、オセアニア王者(OFCネイションズカップ2002覇者)のニュージーランドというまさに大陸王者決定戦に相応しいグループ。

ちなみにBグループは、アフリカ王者のカメルーン、北中米王者のアメリカ、そして前年のワールドカップを制したブラジルと、3位のトルコ(準優勝のドイツが辞退した模様)と、こっちもこっちでなかなかデスでしたね。


コンフェデ2003 グループリーグ

第1戦 3○0|ニュージーランド

初戦のニュージーランド戦は、確実に勝てる相手というか、勝っておかなきゃマズイ相手でした。

スタメンはGK楢崎、DFは三都主、坪井、宮本、山田とパラグアイ戦と引き続きのメンバー。MFは後ろが稲本と遠藤、前に中田英&俊さん、FWは高原と大久保という布陣で、早々に俊さんが角度のない所から決めて先制すると、後半には中田英の豪華なミドルで2-0、そして山田暢のクロスから、珍しい俊さんのヘッドで3-0。格下相手でしたが、圧勝でした。

そしてこの試合のジーコの采配は相変わらずで、グループリーグは中1日での3試合が続き、早々にリードした段階でメンバーチェンジ、もっと言うとターンオーバーもするべきだったんですが、1人も選手交代をしなかったのが物議を醸しました。

この時、周りでこんな会話をしたのを覚えてます。

「あのアホ(ジーコを指す笑)、ひとりも選手変えなかったね・・・」
「フランス戦で負けを見越して主力休ませるんじゃない?その為、コロンビア戦まで主力を温存させて、中3日の状態にする為、この試合はフルで出して・・・」
「いや、それはない笑」
「俺もあのアホはそんな策士ではないと思うな笑」
「普通に、フランス戦も今日と同じスタメンだと思うよ笑」

そんな感じで一縷の望みを託して、フランス戦に挑んだのですが・・・


第2戦 1●2|フランス

蓋を開けてみると、スタメンは前試合と全く変わらない布陣でした笑
僕らみたいな素人ですらターンオーバーを予測したのですが、裏の裏というか、何も考えてないというか・・・

それでも日本は欧州王者フランス相手に善戦します。
前半終了間際に稲本がPKを与えて、ロベール・ピレスに決められてしまうのですが、後半に俊さんが圧巻のフリーキック!
このゴールは過去に俊さんについて熱く書いた時、ベストゴールに挙げたくらい興奮しました。
あのファビアン・バルテズの手を巻いて入りましたからね、大したFKでした。


しかしながらその直後、シドニー・ゴブに決められて力負け。
それでもジーコジャパンで最高の好ゲームでしたね。


第3戦 0●1|コロンビア

そして第3戦のコロンビア戦。
共に1勝1敗で迎えて、引き分け以上で日本が決勝トーナメントに進出できる展開でした。
スタメンはケガの俊さんに変わって満男と、累積で出場停止の稲本に変わって中田浩二が出た以上は、例によってほぼ変わらず笑

で、後半に宮本がヒールでミスパスして決められて敗戦。
ジーコが宮本に試合後にダメ出ししていたのが印象的でしたね笑
選手のせいにするんじゃないよって笑


そんな感じで3戦を終えて1勝2敗でグループリーグ敗退。
MVPは3ゴールの俊さんでしょう。


大会その後

Bグループはブラジルがまさかの予選敗退で、カメルーントルコが勝ち上がります。
そして準決勝第1試合はフランスがトルコに勝利し、第2戦はカメルーンがコロンビアに勝利したんですが・・・
この準決勝2戦目で悲しい事件がありました。

カメルーン代表のMF、マルク・ヴィヴィアン・フォエが、この試合の後半途中でピッチに倒れ込んで搬送されたのですが、肥大型心筋症にて逝去してしまったんです。
元々体調不良などもあったとのことですが、非常に悲しい事件でしたね。

これは超過密日程も原因している為、この大会から開催期間を2年に1度から、ワールドカップの前年の4年に1度とルールが改められました。
それだけ、過密日程は危険であるということを、悲しくもフォエの逝去で気付かされたという感じです。
日本の監督もほぼ選手交代しなかったので、マジで明日は我が身でしたからね・・・

そして決勝はフランスがアンリのゴールで1-0で勝利して大会2連覇
MVPは大会4得点のアンリが受賞となりました。


まとめ

相変わらず結果を残すことができなかったジーコJAPANですが、ニュージーランドに圧勝したり、フランスに善戦したし、コロンビア戦もミスがなければ失点はなかったし・・・と考えると、割とジーコに対しても情状酌量というか、まぁ「穏便に」というエアーが流れていましたが、少なからず「ジーコで大丈夫か?」というコメントが多く散見されました。

そんな感じのジーコJAPANですが、次回は2003年のJリーグを総括したいと思います。

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