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#185 蹴球論19|1997年 フランスW杯アジア最終予選 〜ジョホールバルの歓喜〜

カタールW杯も終わったので、また昔のサッカーに関して熱く語ります。
なんと言っても日本が初めてW杯出場を決めた、このジョホールバルの歓喜はマジで覚えてますが、その前にアジア最終予選を振り返りましょう。

加茂監督が率いていたこの頃、圧倒的エースはカズでした。
そして最終予選が始まった頃、ドーハ組は他は井原くらいしかおらず、あとは名波山口相馬名良橋森島などのドーハ以降の選手、そしてなんと言ってもアトランタ世代の川口中田英らがチームの中核を担っておりました。


この頃は2002年の日韓共催は決まっていたので、初出場が自国開催の時というのは今回のカタールがそうだったんですけど「金の力でW杯に出場しやがって」と思われてしまうので、なんとか自力でフランスに行かねばならないと世間は盛り上がっておりました。

そしてアメリカW杯と形式が変わり、このフランスW杯から出場国が24→32チームと増え、アジアは2枠から3.5枠に拡大。
最終予選はABブロックに分かれてホーム&アウェイ方式で5チームが戦い、
1位が無条件で突破、2位は2位同士でプレーオフを行い、勝ったチームが本戦出場、負けたチームは更にオセアニア地区とのプレーオフに参加するというレギュレーションでした。


最終予選

この頃の布陣は確か3-5-2がベースで、GKは川口、DFは井原、小村、秋田。MFはボランチが名波と山口で、両サイドが名良橋と相馬、トップ下が中田英、そしてFWがカズと城が基本布陣。
途中で呂比須や北澤、更にゴンとかが加わるもベースは3-5-2でしたね。


カズが4得点で初戦白星

カズと城でキックオフのボールに「念」みたいなのを込めて試合スタート笑
そしてその念が功を奏したのか、カズが4得点の大暴れ。そしてヒデと城も決めて6-3で初戦突破。大分テンション上がって見てました。
この日のヒーローインタビューでカズが「いつもこんな取れるわけじゃないんでね」と言っていたのが現実となってしまうのですが・・・それは先の話。


宿敵・韓国に逆転負け

2戦目のアウェイのUAE戦をスコアレスドローで引き分けて、ホームで山場である韓国戦。ここでついに帰化したての呂比須を初スタメン。
で、試合は中盤で山口のボール奪取からの芸術ループで先制し、この瞬間はメッチャテンション上がって見てましたが、その後呂比須を秋田に変える守備固めの采配が外れ、呂比須をマークしていた選手に確か決められるなどで2点を許し、逆転負け!
暗雲が漂います。


ドロー地獄と加茂監督更迭

そしてこの敗戦後、カザフスタンと引き分けて加茂監督が更迭されてしまいます。
その後もUAE、ウズベキスタンにも勝てず、3試合連続で1-1のドローという勝ちきれない状況で、サポーターも暴徒と化します。
ちなみにこの3戦は秋田、呂比須、呂比須が決めており、もはや呂比須が欠かせないエースとなっておりました。
加茂監督の後任の岡ちゃんも顔面蒼白。辛い時期が続きました。
もう無理だと思って見ていた記憶がありますね。


起死回生の韓国戦

そしてこの韓国戦は本当に上がりました。
相馬がキレキレで、前半1分で名波の先制点、そして2点目の呂比須のゴールもアシストして、2-0で勝利してなんとか2位浮上。
韓国は確かこの時点で通過を決めており、抜いていた印象がありましたが、この勝利は上がりましたね。


カザフスタンに圧勝!

そして、韓国戦でカズと呂比須がイエローをもらい、次戦に出場できずにゴン高木が追加召集されたんですが、この試合で2人とも点を取って5-1で圧勝。ゴンが点を取った後に、下にカズのユニフォームを着ていて11番を見せてた時は「ゴン、暑くなかったのかな?」と思ったものでした笑

この試合があった際、僕は塾に通っていたんですけど、塾の先生が「お前らサッカー見たいか?」と言って、見せてくれた記憶がありますね笑
そして圧勝して、日本は2位となり、イランとのプレーオフに進みます。


プレーオフ 〜ジョホールバルの歓喜〜

日本がW杯出場を決めたその日は日曜日でしたね。
家で見ていて本当に興奮しました。

相手のイランはダエイ&アジジ要するアジア最強の2TOPを誇る攻撃的なチーム。
更にアジジは事前の公開練習で車椅子に乗って、デマ情報を流すという情報操作を行っていましたが、後日談の山本昌邦コーチの備忘録を読んだところ、この戦術はバレバレだったそうです笑

試合は、もうみなさん記憶にあるでしょう。

ゴンのゴールで先制し、追いつかれて逆転されて、カズ&ゴンの2TOPを、城&呂比須に交代し、城の劇的ヘッドで同点に追いつき延長戦。
キーちゃんに代わって出場した岡野が外す、外す、外す!
しかし!!延長後半、中央突破したこの日この時点で2アシストとキレキレだったヒデの左足シュートのこぼれ球を岡野が詰めて、日本悲願のW杯初出場!これは本当に上がりましたね。

とにかく苦しく、険しい予選でしたが、なんとかこうして出場できて本当に嬉しかったですね。


まとめ

あの初出場から24年が経ち・・・
最終予選は割と通過できて当たり前のエアーとなり、ドラマはほとんどなくなってしまいました。
そしてなんといっても次大会から出場国が48カ国になるというFIFAの大愚行が故に、ドラマはまた薄くなってしまうでしょう。

それでも、やっぱりあの初出場の記憶は色褪せないですね。
一生語り継がれる名試合でした。

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