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#099 蹴球論⑤|1994年 アメリカW杯 〜ドラマティックな結末〜

1995年のJリーグの話をする前に!
自分がサッカーを始めてから、初めて見たワールドカップ。
94年アメリカW杯について語りますが、そしてその前に!

1993年にJリーグが開幕して、勢いに乗っていた日本サッカー。
更には選手も揃い、悲願のW杯出場は目前であったそんな1993年、W杯アジア最終予選で、日本サッカーの歴史に残り、今尚語り継がれる忘れてはいけないドーハの悲劇があり、日本は参加することができませんでした。

予選があった93年は小学4年生、この頃サッカー少年団でもちろん最終予選をみんな眠い目を擦らせながら見ており、「カズ!」「中山!(ゴンは当時今でいうJ2で知名度はイマイチだった)」と興奮しておりまして、ドーハの悲劇の翌日はマジでみんなクソ落ちてましたね笑

このようなドラマが世界中で起きつつ、開催されたのが1994年アメリカW杯でした。


アメリカW杯総括

メチャクチャ面白かったです。
直前で出場選手のガイドブック買って、終わった後も総括したやつ買って、多分日韓の次くらいにW杯を楽しんだ記憶がありますね。

優勝したブラジル、準優勝のイタリア、更にはスウェーデンやブルガリアの躍進、ドイツ、アルゼンチンの失速、更にはアフリカ勢(ナイジェリア)や、アジア勢(サウジアラビア)の健闘など・・・
全てが思い出に残っている、そんなW杯です。

印象に残った選手をピックアップ!



10位 ディエゴ・マラドーナ|アルゼンチン

86メキシコ大会で伝説を残し、90イタリア大会で惜しくも準優勝に終わったディエゴが捲土重来で挑んだ自身3度目(最後の)W杯。
ギリシャ戦でバティのハットトリックをお膳立てして、自らもゴール!(関係ないけどアルゼンチンの当時の2ndユニフォームカッコ良かったです)
そしてこの試合の後だったかな?ドーピングで以降の試合出場停止に・・・
俺もすごい悲しかったのを覚えてます。

そして皮肉にも決勝トーナメント1回戦、東欧のマラドーナと呼ばれていた、ゲオルゲ・ハジ率いるルーマニアに敗れて前回準優勝のアルゼンチンはベスト16で姿を消しました。


9位 パブロ・エスコバル|コロンビア

コロンビアは94W杯で優勝候補でした。
俺がこの頃、サッカーグッズを買っていた帯広のプレイヤーズというサッカーショップで、確かW杯の1〜3位のチームを当てよう!というかなり難問の企画があり、僕は1位オランダ、2位コロンビアとかで応募しましたからね(3位は忘れた)

そんな期待を背負い挑んだコロンビアですが、「すってんコロンビア」という感じ(引用元:Jドリームの塀内先生のレポート)で、まさかの予選リーグ敗退で終わったんです。
カルロス・バルデラマの夢はここで潰え、20年後このリベンジをハメス・ロドリゲスが果たしてくれた感じとなりました。

そしてエスコバルはオウンゴールしてしまったんですけど、その後コロンビアで銃殺されるという悲しい事件が起きました・・・さすが世界で一番治安の悪い国。恐ろしい国です。
この事件があり、縁起も悪いのでこれまで自殺点と読んでいた名称を「オウンゴール」に変えたんですね。


8位 ユルゲン・クリンスマン|ドイツ

クリンスマンはカッコ良かったですね。
なんせ、黄金の隼と呼ばれてましたからね。隼だけでもカッコいいのに、"黄金の隼"ですよ笑
とにかく点を取る選手で、予選リーグ全試合でゴールを決めて、非常にカッコ良かったです。この血はクローゼに引き継がれたと思ってます。
韓国戦の右からのボレーがクソカッコよかったですね。
そしてこの時期のドイツのユニフォームがすごい好きだったんですけど、帯広のライバルチームがユニフォームこれにした時は「羨ましい!」と思ったものでした笑


7位 洪明甫|韓国

韓国史上最高のリベロと呼ばれていた洪明甫。
日本を交わしてアジア代表で出場して、DFながらスペインとドイツ相手にゴールを決めたのは流石でした。
見ていて羨ましく思った反面、アジアでもここまで頑張る選手がいて非常に嬉しかった記憶がありますね。
そしてこの後に洪明甫は初のKリーグからJリーグに移籍した第一人者となり、日韓友好の先駆者となったナイスガイです。


6位 ゲオルゲ・ハジ|ルーマニア

この時期のルーマニアはラドチョウとかペトレスクとかいてクソ強かったですが、なんと言ってもこの選手、ゲオルゲ・ハジです。
小柄ながらその左足がエグく、確かコロンビア戦だったと思いますが、クソエグいシュートを決めたのを覚えてます。
当時のサッカー少年団が「ハジはいいね」と言っていた記憶もありますね。


5位 ホルヘ・カンポス|メキシコ

そしてアメリカW杯でかなり話題になったのは、このメキシコ代表の170cmに満たないゴールキーパー、ホルヘ・カンポスでした。
小柄なのに抜群の反射神経でピョンピョン飛び回り、そしてなんと言ってもこのヴィヴィットな自分でデザインしたユニフォームを着て、そして更にFWとしても点を取るという漫画のようなキャラクターであり、なるべくしてキャプテン翼のリカルド・エスパダスのモデルにもなった男です。


4位 フリスト・ストイチコフ|ブルガリア

そしてこの大会で旋風を巻き起こし、ブルガリアをベスト4まで勝ち上げた原動力となったのはこの男フリスト・ストイチコフでした。
とにかく前述のハジ同様、左足がエグく、そしてシュート精度が高い。
あまりにもカッコよくて使ってしまいましたが、ドイツを沈めたFKは圧巻だった。
確かこの年のバロンドールも獲得し、その後はレイソルにも来てくれましたね(バロンドールのJリーグ移籍は初だった記憶も)
なんと言っても8番のストライカーってのがカッコ良かったですね。


3位 ロマーリオ|ブラジル

この大会はロマーリオのための大会でしたね。
予選でも決勝トーナメントでもキレキレで、そんなに上背は無いのにドンピシャのタイミングでヘッドを決め、まさに優勝&M.V.Pに相応しい大暴れっぷり。
晩節はアレでしたが、この時期は世界最高峰のFWでした。


2位 デニス・ベルカンプ|オランダ

そして僕は常に世界大会ではオランダを応援しているんですが、この頃が最初だったと記憶しております。
この時のオランダはレジェンド(フリット・ファンバステン・ライカールト)と世代交代の時期で、その中で一人気を吐いていたのがベルカンプ。
キレッキレの動きでチームをベスト8まで引き上げる原動力になっておりました。


1位 ロベルト・バッジョ|イタリア

そしてなんと言ってもロベルト・バッジョでしょう。
1994年ワールドカップは、ロベルト・バッジョという演者が主人公の映画を見ているようなドラマチックな大会でした。
グループ予選での不振でメディアやサポーターからも叩かれる中、決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦で同点&決勝ゴール、準々決勝のスペイン戦のゴール、準決勝のブルガリア戦での2ゴールと、決勝トーナメントだけで5得点という救世主としての暴れっぷりの中、負傷などの影響もありコンディションは最悪な状態。
そしてそれでも決勝戦にも出場し、PK戦までも連れ込んだ試合の最後キッカーでPK失敗・・・この瞬間、ブラジルの優勝が確定しましたが、この後ろ姿はカッコ良すぎました。

そして後日にこの名言を残しています。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」

ロベルト・バッショ


まとめ

振り返ってみましたが意外と覚えているもんですね。
98・02・06もこれくらい覚えてますが、むしろここ最近は全然覚えてないという笑
(特に10・14は全然覚えてない)

この時期の海外サッカーは楽しかった。
そしてこの辺から僕はJより海外サッカーに魅了され始めてしまう、ありがちなスタイルに陥ってしまうのでした。

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