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#362 蹴球論35|2002年 日韓ワールドカップ⑤ 〜日本 vs トルコ〜

これまで何度も言ってますが、2002年に開催された日韓ワールドカップは思い入れが強いです。
ほぼ全試合見てましたし、本当にこの時期自由な学生でよかったと何度も思いながら、大会を全力で楽しんでいました。


そんな中で我らが日本代表は、圧倒的なホームの利を得た状況で初戦のベルギー戦でW杯初の勝ち点を獲得し、続くロシア戦でW杯初勝利を挙げ、グループリーグ最終戦のチュニジアも勝利して、初の決勝トーナメント進出を果たしました。

これまで、開催国はすべてGLを突破してきた伝統があり、2010年大会で南アフリカがこの記録を破るまでは開催国の最低限のノルマでしたので、まずここを突破するのが一つの命題でした。

で、ここを突破したので・・・多少雰囲気が緩んでしまったのはあったかも知れません。



トルコ代表とは?

2000年開催のEUROで決勝トーナメントに進出し、非常に勢いのあるチームでした。
エースのハカン・シュケル(パルマ)を筆頭に、ニハト(ソシエダ)、サス(ガラタサライ)、そして更には、イルハンという大会屈指のイケメンにしてシンデレラボーイも登場しましたね。
守備はのちにバルサに行く(も干される)守護神のリュシュトゥ(フィネルバルチェ)という攻守のバランスの取れた好チーム。後に浦和レッズを速攻クビになったアルパイもいましたね笑
あとサスはウイイレでみんなマスターリーグで使っていた記憶があります笑

予選リーグでもブラジルを苦しめて、2位通過と言えど相手は油断ならない相手でした、が!
それでも1位通過のブラジルに比べると闘いやすい相手であるが故に・・・若干ここでも緩んでいた可能性はあります。


2002年6月18日(火) 15:30 キックオフ

そうして決勝トーナメント1回戦、これまでと違った布陣で日本は挑みました。
まず、これまでの不動の2トップだった鈴木&柳沢を変えてきました

これは後日談によると、柳沢が調整中のサッカーテニスで首を痛めたという事情があったようです。何をやっとんねんって話ですが・・・笑
柳沢は点は取っていなかったものの、稲本の2ゴールは2つとも柳沢のアシストだったので、かなり貢献してくれてました。

鈴木を変えたのは、コンビを組む柳沢が出られないというのと、少し休めたかったのがあるんでしょうが、それ以上に西澤と三都主というフレッシュであり、これまで出場していない選手を出すことで「違い」を見せたかったのかと推察されますが、結果として、この起用は失敗します。

スタメン


前半

会場の宮城スタジアム、天気は雨でピッチ上の選手達の足取りが重く、コンデュションも十分ではない模様。
早々に中田浩二がバックパスをミスリ、コーナーキックとなります。

そして前半12分。そのミスパスで与えたコーナーキックから、一瞬のマークのスキを見つけたモヒカン野郎のウミト・ダバラに先制点を叩き込まれます。0-1。
しかしながらベルギー戦の例もありますし、まだ時間もある。ここで焦る必要ないと思っていました。
現に三都主のFKもクロスバーと、あと一歩でゴールという場面も見えていたのですが・・・


後半

後半開始早々、トルシエは動きます。
チュニジア戦よろしく、稲本に変えて市川、そして三都主に変えて鈴木を投入します。
それでもチュニジア戦のような化学反応は起きず、焦り出す日本代表。
一方トルコは試合巧者で、もう1-0で充分と感じたのか、焦らずに自陣でボールを回し、刻一刻と時間は迫ります。
そして、後半から出場した市川に変わって森島の交代。これは明らかに采配ミスですね。

前半は鈴木&西澤の2トップで、後半から小野に変えて三都主、明神に変えて市川、鈴木に変えて森島で、西澤&森島でセレッソ2TOPにしてもいいし、西澤に変えてゴンという選択肢もありました。

奇襲を狙ったトルシエの気持ちもわからなくもないですし、こんな話をしてももう20年以上前の話ですが・・・


最後に

トルコ戦が終わり、日本代表の挑戦は終わりましのた。

前回大会は3戦0勝3敗(全敗)と考えると、4戦2勝1分1敗と、大きく成長することができました。

2回目の出場でいきなりベスト8とか4とか行くのもアレなので、こういうのは一歩ずつで良いんですね。
そこから20年経って、いまだにベスト16の壁を突破できてないですが、この時代から追っかけているだけに、ベスト16を突破したら俺は嬉しくて震え上がるでしょう。

あと、日韓ワールドカップを振り返るには、是非「6月の勝利の歌を忘れない」も見て欲しいですね。
これメッチャ見てました。


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