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#327 蹴球論32|2002年 日韓ワールドカップ② 〜日本 vs ベルギー〜

思い出多い2002年日韓W杯、
予選リーグの試合は下記でA〜Gグループまでは紹介しましたが、Hグループの試合はやはり1試合ずつ解説したいですね。



惨敗から4年

98年フランスW杯はジョホールバルの歓喜などでドラマとして盛り上がりはしたものの、やはり同ブロックで余裕綽々で突破できた韓国とは違い、プレーオフギリギリ滑り込みでなんとかW杯に行けたのも事実。
そんなに強いチームではなかったんです。


そんな中で精神的支柱だったカズを外した岡ちゃんの愚行、愚行、大愚行
岡ちゃんは監督としてリスペクトしてますが、この決断だけは支持できないですね。
FWとしての序列がゴン、城、呂比須、岡野の次だったのは分かりますが、日本代表の誇りを持った闘う選手としての序列で考えると、ゴンか井原かカズが1番だったはずなので、そこはカズを連れてって欲しかった。
(関係者の方いたらすいませんが)服部とか齊藤とか平野の枠は、カズで使うべきだったと今でも思いますし、カズがいれば、ジャマイカには勝ってた気します。


と、いつもの如く話が脱線してしまいましたが、99年以降のトルシエ体制。
U-20、U-23からチームを仕上げて、イズムを浸透させ、かなり良いバランスでチームが作れていた記憶があります。
アジアカップの栄光、サンドニの悲劇の屈辱、コンフェデの躍進など、成功と失敗を積み重ねながら、チームは確実に前に向かっていました。


2002年6月4日(火) 18:00 キックオフ

そうして4年の歳月を超えて・・・
日本代表がW杯の舞台に戻ってきました。

初戦の相手はベルギー
この時期のベルギーは、94年くらいでちょっと強かったプロドームとかシーフォがいた時代から世代交代し、後のアザールら黄金世代の育成をバリバリやってた過渡期であり、そこまでパッとした選手はいなかったですね、
ヴィルモッツもそこまでメジャーな選手ではなかったですし、強いて有名だったエミール・ムベンザは怪我でメンバーから外れてましたね。

この時に、グループで一番強いのは2戦目に当たるロシアと言われていたので、なんとしてでもこのベルギー戦は「勝ち点」が必要という論調でした。

自国開催W杯の初戦、まさに「絶対に負けられない戦い」です。

スターティングイレブン

4年前のアルゼンチン戦のスタメンで、このベルギー戦でもスタメンだったのは、当時21歳だった中田英寿のみ(それがあり得ないですが)。

GK楢崎は意外でした。確かに川口はポーツマスで出場機会を逃してましたが、流石に川口と思ってました。
(山本昌邦「備忘録」によると、トルシエは曽ヶ端を推していたようですが)

DFは99年ワールドユース、00年のシドニーオリンピック、アジアカップを経験し、トルシエが提唱するフラットスリーを極めた森岡松田中田浩という文句なしの顔ぶれ。

MFボランチはこの時期キレキレだったものの、アーセナルで出場機会の無かった稲本と、潰し屋・戸田のコンビ。
そして左サイドが小野、右が市川、そして真ん中がデーヒーですね。
トルシエは真ん中の選手をサイドで置いたり、DFの選手を中盤、中盤の選手をDFに置いたりする傾向がありましたが、オーディエンスとしては楽しく見てましたね。

そしてFWの柳沢鈴木のツートップも納得。
ツートップは連携が何より大事なんで、鹿島で組んでいる2人がそこまま試合に出るのは◎だと思ってました。
で、柳沢はゴールこそないもののキレキレで結果的には大活躍で、鈴木はこの時期、01年のコンフェデでは活躍したものの、「カッコいいだけで全然点の取れないFW」という評価が一般的でした。僕もそう思ってました・・・
この辺の戦前の評価は、本大会の成績でガラリと変わるんですよね。
カタールW杯の初戦のドイツ戦の浅野のように・・・


前半戦

とにかくホームでのW杯初戦、会場は埼スタ2002。
この大会、この試合の為に設立したサッカー専用スタジアムで、18:00に試合スタート、
僕はこの頃、大学に入りたてて、まだサッカー好きではない身近な友人3人と僕の4人で、僕の部屋で観戦していました。

前述の通り柳沢がキレキレでチャンスを作ってました。
当時バリバリ、セリエAのパルマに所属するワールドクラスのゲームメーカーだったが故に、デーヒーにはマークが集中していましたね。
あとはやはり初戦だったのもあり、両方とも硬いような。
そんな印象で前半は特に両方に見せ場なく終了。


後半戦

試合は後半、劇的に動きます。
後半12分、セットプレーからの一瞬のラインの乱れに対して、恐らくベルギーは研究してたと思いますがラインの裏に絶妙な浮き玉をあげて、そしてキャプテンでありエース・ヴィルモッツのビューティフル・オーバーヘッド・シュート。あれは取られて文句ない、完璧なゴールでした。

98年のアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ戦に続く、4試合連続で先制点を献上。
「今回もダメか・・・」と日本国民が頭を下げたわずか2分後、劇的なドラマが生まれます。

中盤の自陣浅くでボールを持った小野は、「何故そこに出そうと思うのか?」という発想がとても及ばないような、鈴木のスピードにドンピシャで、相手DFの足が絶妙に届かなく、GKは絶妙に出られないここしかない一点にピンポイントのロングボールを供給。

そこに走り込んだのは師匠こと金狼・鈴木隆行


精一杯全身を伸ばし、利き足ではない右足の爪先にかろうじて当たったボールはゴールに吸い込まれ、わずか数分で試合を振り出しに!もうテクニックじゃなくて気持ちなんだよな、気持ち!
このゴールはメチャクチャテンション上がりました。
日本中が熱狂していた宴で、意気消沈を吹き飛ばす一発。
僕が人生で一番興奮したゴールは、ジョホールバルの岡野でも、フランスのゴンのゴールでも、マイアミの軌跡でもなく、やっぱこのゴールなんですよね・・・

そして勢いの止まらない日本、中盤で柳沢が稲本に絶妙のパスを送り、稲本がワンタッチでDFを振り切り、左足で豪快にゴール!
2-1!逆転!
日本サッカーの歴史で、初めてW杯でリードを奪う展開に!ウオオオオーッ!!

しかし、そこは試合巧者のベルギー。
焦らずに高さを活かし、裏を狙ってあっさり同点弾をGET。
この試合の2失点が似たような形からの失点で、フラット3への批判が高まったりもしましたが、正直それは結果論でしかないと思ってますし、フラット3でラインを高くしていたが故に、鈴木や稲本のゴールもあったとも思っているので、そこの批判は筋違いでしょう。

で、稲本の幻のゴールもありました。
この試合は開催国の初戦であり、審判もかなりジャッジポイントが難しかったのは分かるのですが・・・明らかな日本へのファールがノーファールだったり、線引きに違和感を感じる内容もありました。
まぁ、この大会の誤審はこんなもんじゃなかったんですけどね笑

そして結局、2-2のドローで試合終了
先制されて追いつき、逆転し、追いつかれて、幻の逆転弾と、非常にドラマチックでロマンチックに盛り上がった試合でしたね。


試合を振り返って

勝てた試合を落としたとの論調もありましたが、勝ち点を取れただけで上等と思いましたね、
この試合のMVPはチャンスメークしまくっていた柳沢、相手を潰しまくった戸田、奇跡的なパスを出した小野、マークに囲まれても圧倒的な存在感だったデーヒー、逆転&幻の決勝ゴールを挙げた稲本と活躍した選手は多数いますが・・・やっぱ師匠でしょう。
師匠は本当にカッコよかったですね。

この時期、大学でちょっと仲良かった同級生のドレッドの女がいたんです。
で、そいつが喫煙所とかで「タカユキ(師匠)マジかっこいい」と言い、代表戦を追っかけて全国行脚を行うサポーターだったんです。
で、僕らは「お前は分かってない!あいつ顔はいいけど点取れないからダメだよ!」とか言ってたんですけど・・・恥ずかしいですね。

その子はそのゴールの時どう思ったんでしょうか?
もう興奮しすぎて失神したかも知れないですね笑

そして、このHグループのもう1試合、ロシア vs チュニジアは、2-0でロシアが危なげなく勝利し、歴史的な日となった6月9日、第2節に続きます。


余談)
この日、とにかくテンション上がりすぎて、試合観戦後に家にいた友達を駅まで送って行った時、同じくテンションが上がっていた大学の先輩(男2 vs 女2)と鉢合わせて、そっちに合流して先輩の家で浮かれて飲みまくり、先輩のトイレでローゲーを吐きまくりまして、卒業するまで言われました笑
この日はそんな苦い思い出もあります笑




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