見出し画像

#733 蹴球論65|中田 英寿 ~Hidetoshi Nakata ~

パリオリンピックメンバー選出EURO2024、更には愛するコンサドーレの低迷などサッカーに関して書きたいテーマはまだまだ山積しているのですが…
ドイツワールドカップの総括が終わったので、この流れでドイツワールドカップで現役を引退したレジェンド・中田英寿について紹介したいと思います。

中田はデビューから追い続けていますが、これまで紹介したサッカー史において、常に最前線で活躍してくれていましたし、日本のサッカー史を綴る歴史において先導者としてマジで活躍してくれましたね。


中田英寿とは?

もはや語るまでもないレジェンドでしょう。

U-17から世界を体験し、Jリーグではルーキーイヤーから活躍し、オリンピックは飛び級で参加、ワールドカップでは21歳で司令塔として活躍し、同年に海外移籍し、当時世界最高レベルだったセリエAで1年目から活躍し、翌年にはローマに移籍して、スクデット(リーグ優勝)を獲得…と、これまでの日本人サッカー選手が成し遂げられなかった偉業を次々と達成し、順風満帆なキャリアを歩んでおりました。

日本人プレイヤーで初めて海外で成功し、幸甚に道を切り開いたフロンティアであり、本当にカリスマでしたね。


中田の所属チーム変遷

ベルマーレ平塚

高3の頃、Jリーグ12チーム中11チーム(オファーしなかったのはヴェルディ)からオファーを受けて「試合に出れそう」「留学させてくれる」というデジタルな理由でベルマーレへ。
当時は小島、田坂、名塚、名良橋、岩本輝、野口とかがいて、後にはホン・ミョンボや呂比須ワグナーも加わり、平塚は結構強かったです。
中田はそこの王として君臨し、完全にチームを掌握していましたね。

移籍後もnakata.netがスポンサーになったり、サポートしてあげていますね。


ペルージャ

そうしてワールドカップを終えてイタリアに移籍します。
日本人の海外移籍はカズぶりで、JAPANマネー目的と揶揄された雑音を1試合で黙らせたのは、マジで興奮しましたね。
当時のペルージャは全然無名のチームでしたが、それでもラパイッチとか覚えてます。
ペルージャ1年目の中田が一番結果は残していたと思っております。


ローマ

ローマへの移籍は、完全に実力が認められての移籍でした。
当時のローマはトッティという王様がいて、エースにバティストゥータがいて、カフーアウダイールサムエルトマージザネッティモンテッラetc..とかなりワールドクラスのチームでしたね。


パルマ

ローマではトッティの控えだったので、出場機会を求めてパルマへ。
パルマではムトゥアドリアーノ中田の3トップで攻めていたのが印象的でしたが、この辺から監督との確執などピッチ外で苦悩したりします。


ボローニャ

出場機会を求めてレンタルでボローニャへ。
そこでチームの残留に大きく貢献し、復活と思われていたのですが…予算の関係で完全移籍はできず、フィオレンティーナに移籍します。


フィオレンティーナ

ヴィオラ(フィオレンティーナの愛称)への移籍は「Viva!Carcio」を読んでいたものとして非常に嬉しかったですが、ヴィオラではケガであまり活躍できず。


ボルトン

そして現役ラストイヤーは長年過ごしたイタリアを離れてプレミアリーグのボルトン・ワンダラーズへ。
活躍してましたがケガの不調もあり、本人の望むプレーができないとのことで引退を決意してしまうんですね。



中田の名場面BEST15

番外編ラ王CM with |前園ゾノ

このCMが制作された時は、ゾノの方がスタープレイヤーでしたので、ヒデはまさかの三枚目役という感じでして、何故か裏声で「ど、ど、ど、どーする、ゾノ??」みたいな感じでコミカルな役を演じてます笑
この数年後だったら、どんだけ金を積んでもこの役はやってくれなかったでしょうね笑


15位|1995年 Jリーグデビュー

以前にも書きましたが、この試合のハイライトをサッカーの遠征中の宿舎で見ていました。
ルーキーでゴールを決めたベルマーレの中田はこの時点で僕の記憶に残り、その後もちょくちょく動向が気になる選手でした。


14位|1996年 マイアミの軌跡

マイアミの奇跡の時、ヒデはまだ19歳と世代では一番年下だったんですが、松田と並んで堂々のスタメンでした。
この試合はとにかく「守備!」だったので中田自身はそんな印象に残ってないですが、しっかりとスタメンフル出場で歴史に名を刻んだのは流石です。
そしてナイジェリア戦での西野監督への采配に対する批判が問題視され、最終戦のハンガリー戦が出れなかったのは残念でした。


13位|1997年 圧巻のA代表デビュー

そして順調にA代表へ呼ばれ、20歳でデビュー。
当時不調だった前園に代わり、背番号8を受け継いでデビューし、そのまま8番はしばらくの間は中田の代名詞になりました。
この試合からスタメンに定着し、日本の司令塔になります。


12位|1997年 ジョホールバルの歓喜

アジア予選は全試合に出場し、司令塔として大活躍
初戦のウズベキスタン戦でゴールを決め、苦しい局面でも耐え抜き、プレーオフのイラン戦は2アシスト+Vゴールのおぜん立てで、確かサッカーダイジェストとかの評点が9.0とか見たこと無いスコアだったのを覚えてます。
その後のヒーローインタビューでも浮かれず、「次はJリーグを盛り上げましょう」と20歳と思えない発言をしていましたね笑


11位|1997年 世界選抜に選出

これは本当に凄かった。
ロナウドとバティにパス出してましたし、後日に村上龍の本か何かの対談で「みんな思ったより下手で…」みたいなこと言ってた記憶があります笑
もうこの辺からスケールの大きさは半端なかったですね。


10位|1998年 フランスワールドカップ

そしてワールドカップです。
金髪の8番は一人レベルが違い、ピッチを縦横無尽に躍動していました。
クロアチア戦のゴンへのパスとかエグかったですね。


9位|1998年 ペルージャデビュー戦で2ゴール

そしてこのゴールはリアルタイムでWOWOWで見てましたが、マジで興奮しました。
時系列でランキング順位つけてますが、実質1位か2位の衝撃でしたね。
デルピエロジダンダーヴィッツがいて、世界最強だったユベントス相手にデビュー戦で2ゴール!エグすぎです!
ここから世界のNAKATAになりましたね。


8位|2000年 シドニー五輪 PK失敗

96年のアトランタは最年少で出場しましたが、2000年は早生まれなので一番上の年齢層で松田と一緒に2大会連続で出場しました。
スロバキア戦ではゴールも決めましたが、準々決勝のアメリカ戦。
唯一のPK失敗となり、メダルも期待されてましたがここで散ってしまいました。
まぁバッジョしかり、中田でもPKを外すのがサッカーの醍醐味ですね。


7位|2001年 サンドニの悲劇も孤軍奮闘

そしてこの試合も忘れられないですね。
まさに孤軍奮闘とはこのことで、唯一脅威になっていたのが中田でした。
まさに経験に勝るものはないという事でしょう・


6位|2001年 コンフェデのイーグルショット

この試合もカッコよかったですね。
当初はこの試合は出場予定じゃなかったのですが、トルシエのアホが我儘言ったので無理やり出場したんですが、その試合でしっかり結果を出して期待に応えるのが流石。決勝も見たかったですね・・・


5位|2001年 ローマのスクデットに大きく貢献

これもセンセーショナルでしたね。
スクデットをかけた天王山の相手はユーべで、調子が上がらないローマの王子・トッティに代わって出場し、豪快ミドルを決めて1-2に追い上げ、その直後にも豪快ミドルを撃ち、ファンデルサールがはじいた所をモンテッラが詰めて2-2に追いついたんですが、この2ゴールにからむ大活躍で勝ち点差をキープし、優勝に大きく貢献しましたね。
トッティをFWで使って、中田をトップ下において前での共存が見たかったですね。



4位|2002年 日韓ワールドカップ

そして日韓ワールドカップは勝ち点積み上げ、初勝利、初の決勝トーナメント進出と着実にステップアップを体験。
チュニジア戦ではゴールも決めて、歴史に名を刻みましたね。


3位|2005年 世界選抜

そしてこの年の絵s回選抜もエグい。
マジでウイニングイレブンの世界を実現するあたりに非常にシンパシーを感じたものでした。このメンツマジですごいですよね。デコがなんでこっちにいるのかが謎ですが・・・
しっかり世界選抜で代名詞の7番をつけれるあたりが熱いですね。


2位|2006年 代表ラストゴール

ワールドカップドイツ大会直前のテストマッチのボスニア・ヘルツェゴビナ戦、1-2のビハインドだった後半ロスタイム。
なんとなくこの試合、中田が点を取る予感をしていましたが、起死回生のヘッドで同点に追いつく激アツ展開!興奮しましたね!


1位|2006年 ドイツワールドカップ~引退へ

そしてラストダンスとなったドイツワールドカップ。
当たりの強さといい、ミドルシュートといい、前を向く姿勢といい、日本代表の誰よりも走っているように見えましたし、まだまだ十分活躍できると思いましたが・・・この試合がラストマッチとなりました。

この大会で色々と確執があったと後日談で言われていますが、これは当事者じゃないと分からないですよね・・・


まとめ

そんな感じで長くなってしまいましたが、日本が誇るサッカー選手・中田英寿について熱く書いてしまいました。
引退後もストイックに活動し、オシャレで本当にカッコいいですよね。

あれから20年近くがたった今、多くの海外で日本人選手が活躍していますが、やはり中田の活躍が一番興奮しましたね・・・
(本田さんのミランも熱かったですが・・・)

改めてそんな中田英寿にリスペクト!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?