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母親から解かれ、母になる

踏み出せない理由

『助産師学校に通いたいと思っているけど、なかなか踏み出せない』
というテーマでセッションが始まった

セッションのはじめは、もっともらしく
『夫や子どもに迷惑かけてはいけないから』
なんてことを『いい妻、いいママ』のような顔をして答えている

でもセッションを進めていくうちに
違和感やズレが生じてくる

夫も子どももきっと応援してくれそうだし、
金銭的にもなんとか なりそうだ

じゃあ、本当の理由は?

前々から気づいていたような気はするが
どんどん問いを深めていくうちに、改めて気がつく
ここまできては、もう誤魔化せない

『母が、反対すると思う』

これは、幼い子どもが発した言葉ではない
12歳の息子がいて、今月ついにアラフォーに仲間入りするわたしの言葉

言葉にした途端、鼻がツーンと痛くなり
なにかが溢れ出しそうになった

ハハハンカチ

母親と自分、夫、子どもの関係性を何か物で表せそうかと聞かれた

すぐそばにあったハンカチと3本のペンを手にして、
ハンカチで3本のペンをドーム状に包んだ

ギュウギュウに縛られているわけではない
母を表すハンカチの中でなら家族3人自由に暮らせている
そんな気がした

どうしてそのような形なのか?と質問が続く

母親は私を、私たちを掌握したいのかもしれない
と感じた
なんでだろう…?

ジーッとハンカチを眺めているうちに、
母のハンカチを更に包む大きなハンカチ
いや、風呂敷?が見えた気がした

ああ、祖母だ。と思った

祖母は上品でチャーミングでありながら
とても真面目な人のように思う
母から聞く祖母の話は、なんだか厳しいイメージで私が知る祖母とは違う人のようだった

母が若かった頃、そんな祖母に反発したり
家を出たりしたことがあったとも聞いていた

それを思い出した時に、
母は、私が母のように反発しないか、
母のように家を出ないかと不安なのかもしれないと思った

うーん…それだけじゃないような?(´-`)
ハハハンカチからは震えながらも強い意志も感じる気がする

私が傷つかないように
孫である息子が傷つかないように
色んなものから必死で守っているような

父がいなくなり、1人で家族を守らなきゃ
と踏ん張っているのかもしれない

そんな感じがした

giverでありたい

ハハハンカチは
母の、母親としての愛情でもあり
母が祖母に抱いている子ども心でもあった

『それに気付いた今、どうしたい?』
とコーチが真っ直ぐな目で聞いてくれる

まずは母親に大丈夫だよと伝えたいと思った
わたしが居なくなることはないこと
母のことを愛しているということ

それを口にすると
ペンであるはずの私がブワッと大きくなって翻り、
母と祖母を包み込むイメージがした

そうだ
今度は私が2人を支え、守る番だ

守られてばかりだった私
包まれていることを窮屈に感じながらも
どこか安心して、甘えていた私

でも今は違う
大人になったわたしは、母のことも祖母のことも守ることができる

『giverでありたい。
give & take じゃなく、惜しみなくgiveする人
これからは、みんなに与える人になりたい』
という言葉でセッションをとじた

敬老の日の旅立ち

セッションから10日後、
祖母が入院している地元の病院から今日が峠だと連絡があった

祖母は足腰は弱っていたがとても元気だったが
コロナに感染して肺炎をこじらせていた

コロナがなければまだまだ元気に生きていたのかもしれないけれど
コロナがなくてもこの時が祖母の天命のようにも感じた

ある程度覚悟はしていたものの
その時が来たのかと思うと涙は止まらなかった

それでも今までの私とは少し違う
祖母と母になにができるだろう

台風で飛行機が飛ばず、
新幹線と車を乗り継いで
母、姉、わたし、息子たちで祖母の元へ向かう

何かに導かれるように乗り継ぎがうまくいき、
祖母の元に着く頃にはなぜか地元だけ晴れ間が見えるという不思議な天気だった

かなり時間はかかってしまったが
祖母は家族が到着するのを待ってくれていた

痩せ細った祖母を抱きしめながら
祖母に贈る言葉をかけると
祖母は大きな涙を一粒流し
みんなの声を聴きながら天に召された

祖母を見送る母は 初めてみる顔だったように思う
母親を脱ぎ、娘として祖母を見送っていた

告別式が終わり
気丈に振る舞いながらも涙を流す母を
心から強く抱きしめることができた
あの日のセッションがなければ
祖母や母を抱きしめ、支えることはできなかったと思う

何かに呼ばれ
然るべき時にこれに気付いた
そんな気がした


calling☎️

日常は、callingで溢れているように思う

なんとなくモヤモヤする
なんだかずっと気になっている

そのような時はきっとあなたの中で
電話の音やノックの音がしていることだろう

相手が何者かわからない電話やノックは
なんだか不気味で出ることを躊躇ってしまう 

でも、その音はきっと
始まりの音

勇気を出して電話に出ると、扉を開けると、
新しくも懐かしい、あなたの物語が待っている

例えば1人で静かな部屋にいる時に
見知らぬ電話やノックが鳴ると
居留守を使ったり、着信拒否をしてしまったり
気付かないふりをしてしまうかもしれない


でも、誰かが一緒だとどうだろう?


一人では怖いことも
ふたりならなぜか冒険のように感じることもある

『何度もきてるなら、大切な用事なのかもよ?
出てみたら?』
と背中を押されることもあるだろう


まさにわたしはこの体験をした


1人だと 気付かないふりをしてしまうことを
1人だと もっともらしい言い訳をしてしまうことを

ありのまま真っ直ぐに伝えてくれて
一緒に感じ、一緒に味わってくれるのがコーチングなのだと思う

1人じゃないから目を逸らせないし
1人じゃないから向き合える

コーチは、人生における
最高のバディだ

電話の相手は、わたし自身

ハハハンカチに気づき、
『Giverでありたい』と口に出した後から
私の母親に対する見方はすっかり変わってしまった

今までの私は、母親のことを『母親』としてだけ見ていたのではないかと思う

母親なのに、ありのままの私を受け入れてくれない
母親なのに、ものすごく感情的だ
母親なんだから、もっと祖母と仲良くしたらいいのに

そんなふうに考えていた

母親のことを『掌握したがっている』と思っていたが
それは私の歪んだ眼鏡で見た母であって
本当の母は 無邪気でパワフルで
でもどこか自信がない
守りたくなるような可愛い女性だった

callingの正体は
母親への過敏なアンテナをもったわたしだ

耳を澄ませてみよう

必要な時に、callやノックが起こる

あなたに気づいてほしくて、
今のあなたなら気付いてくれる!と
もうひとりのあなたが
あなたにサインを送ってくれる


いかなる問題も、
それを作りだした時と同じ意識レベルで
解決することはできない

アルベルト•アインシュタイン


コーチングを習った際、教わった言葉だ

コールもノックも
それを完了させるには
今までのあなたと変わる必要がある

変わる必要があるというよりは
自然と変わっていくという方が正しいかもしれない
気付いた時点で新しい物語が始まっていく

時には何かを手放し
時には何かを手に入れる
そうすることで、自然と心地の良い自分へ
変容していくことができるのだ



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読んでくださった方、ありがとうございます

様々な母子と関わらせていただく中で、
実母や義母との関係性に悩む方々に多く出逢います

今回のnoteに書かせていただいたように、
わたしもいつも母との関係性に悩んでいました

母のことを心から愛せていない気がする
なんとなく母に縛られている気がする
昔母に言われた言葉を引きずっている

そんなふうに思う自分はダメ人間だと思っていたし
そんな自分は見ないようにしていました

今回、私はgiverになるという選択をしたけど
傷ついた昔の自分を無かったことにして
与えるようにならなければならない
ということを伝えたいのでは決してありません

母のことを愛さない自分を許すという選択肢もあるだろうし、
昔母に言われて傷ついた自分を今の自分が癒す選択肢もあったと思います

選択と行動に正解はありません

コーチングを通して
生まれ育った家族や
新しい家族との関係性と向き合ってみる
という選択肢がある
ということが
callingを感じている方に伝わったらいいなと
願っています

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