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坊主女子になるまでの人生〜暗黒サブカルJK時代〜

私が入学した高校は進学校ではなく偏差値は低め〜普通で、特に部活強豪校でもなく特色のない学校だったのだけれど、たまたま入った年が周年の節目の年であり進学に力を入れていこうということになったらしい。

事前に一切そんな話は聞いてなかったのだけど、入試のテストから英語の成績が上位の生徒を1年1組に振り分けたらしく、私もその40人の中に入っていた。
だからなのか、クラス全員が気圧されるほどフレンドリーでご機嫌というかとにかくアメリカンな高齢女性英語教師が担任だった。
比較的物静かで読書家な私は育てやすい真面目な子だと思われたのか、NHKのラジオ英語講座を聴くことや英検を受けることを半ば強引にすすめられた。
実際は優等生というよりただのシャイなサブカル女子だったので、流されて英検を申し込んだはいいけれど面接がある準2級以降は複数回にわたり面接をボイコットしてしまい、それ以降は担任も諦めて(呆れて)あまり期待されることはなくなった。
今となっては頑張って勉強しておけばよかった。

進学に力を入れると同時に私の入学した年から極端に校則を厳しくしたらしく、髪を染めることや化粧はもちろん禁止で、スカートを短くできないように制服には特殊な細工が施されていた。
最初はギャル系の女の子が自前の可愛いカーディガンを着ていたけど、それも一瞬で注意されるのを見て規定のカーディガンのみという厳密なルールがあることを知った。
女子たちの攻防は続き、私も先陣を切るギャル達と先生のバトルを観察しつつ、こっそり規定のカーディガンからブラウスの襟を出してみたりしていたが、それすらも注意されて一切の着崩しが禁止されている不文律を把握して諦めることにした。

高校に入学して1ヶ月ほどは、それまでの病気の後遺症で休みがちだったし、学校に行かず浮世離れしていたことによるコミュニケーション能力の遅れからなかなか友達もできずにいた。
でもGWを超えたあたりから友達もできはじめて、スロースタートながら学校生活にも慣れてきた。

進学に力を入れはじめた学校からの丁寧な授業と、元々独学していたり勉強に抵抗がなかったこともあって、成績は平均よりはよかったと思う。
元々読書が好きなこともあって模試を受けても国語の偏差値は70を切ったことがなかったし、その他の教科も実力より下の高校に入ったおかげもあって学年トップ3に入る成績だった。
きっと順調に高校生活を送っていれば、推薦入試でそれなりの地方国公立大学に進学していたのだと思う。

高校2年生の夏休みには、大学受験を視野に入れて1日15時間程度の勉強を続けていた。
ちょうどその頃から家庭内で揉め事がたくさん起きるようになって、特に金銭面でのトラブルが明るみになってきていた。
元々家計に余裕はなく国公立しか選択肢がなく、両親も大卒ではないため受験へのサポートもない中で、揉め事を耳に入れながらの受験勉強はかなりストレスのかかるものだった。
その負荷に耐えきれなくなったのか、徐々に文字が頭に入らなくなり問題集はもちろん趣味の読書もうまくできなくなってきたので、夏休み明けから一切頭を使うことをやめるようになった。
そこからは定期テストの勉強すらしなくなり、冗談抜きで一秒も勉強することなく受験を迎えた。

突然やる気をなくした私に当然先生たちは戸惑うわけで、色々と心配してくれたり時には怒られたりしたのだけど、私の姿勢は変わることなく何もしない日々を過ごしていた。
頭を使うことは一切拒否していたけど、当時かなり好きだったL'Arc〜en〜Cielの曲を聴いたり映像を見たり歌詞解釈にハマったりして、相変わらずサブカル女子として過ごしていた。

そして本格的に大学受験の時期を迎える。
元々真面目に勉強していた頃は心理学に興味があって専門的な本を読み漁ったりしていて、受験するとしたら心理学を学べる大学に行こうと思っていた。
ただ、一切勉強もしていないから国公立はもう目指せないし、私立に行っても学費は払えないし「一体どうするのかな〜」なんて他人事みたいに考えていた。
結局担任のすすめで奨学金を満額借りて私立大学に行くことも視野に入れて進学先を探すことになり、少々自暴自棄になっていたこともあって最終的には一切勉強していない今の学力でも多分入れるだろう東京の大学を担任任せでリストアップしてもらって、心理学科の評判がよさそうな大学を試験2週間前に決めて受験し合格した。

そしてここから大都会東京での生活がはじまる---!

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