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古草紙昭和百怪3 令和元年師走「吸血鬼を殺せ」(「少年マガジン」 昭和44年) / 令和2年睦月 「『日本の易者』の嘘つき記録」(「週刊新潮」 昭和43年)

「吸血鬼を殺せ」 (「週刊少年マガジン」 昭和44年)

  帝劇にて TDV。サー・クリストファー・リィ所縁の愛称を持つ蝙蝠は新たに目を朱く光らせて頭上を旋回、加へて、案内板等を蜘蛛の巣や護謨製玩具で飾る凝り様は今回からでは。子供の頃から原作映画に馴染んだ身には、本邦封切より丁度半世紀を経た記念公演と独りごちながらも、地方で回る小屋との兼合ひゆゑか、ガウディによる龍を象った鉄扉を想はす、壮麗な城門の大道具が変更されたのには一抹の寂しさも。
 この主題に適ふ週刊誌切抜を探したものの見当たらず、念の為、「大宅文庫総目録」を覗いてみると、吸血鬼に関はる記事は書評その他に限られる様です。そこで、「吸血鬼を殺せ!」(「SF怪奇名作劇場」9~11 レイアウト・水野石文 構成・大伴昌司 映画紹介・淀川長治 「週刊少年マガジン」昭和44年22~24号 5月25日~6月8日号)全3回の内、切抜が家蔵ある第二回を。この連載は従来、フィルムからの齣焼写真と推定できますが、24号巻頭の図解特集「吸血鬼百科」共々、宣材を用ゐたのでせう。なほ本作は銀幕ならで、数年後に放送された、千葉耕市や滝口順平の吹替版が初めて。従って往時より深く心に留めた放映題名通り、「シャロン・テートの 吸血鬼」と呼称しないと、未だに違和感を禁じ得ません。
令和元年12月 1日 (日)

補注
Tanz der Vampire … 言うまでもなく、ロマン・ポランスキーの映画『吸血鬼』 The Fearless Vampire Killers 1969 原作の音楽劇(ミュージカル)。維納初演版も監督本人が演出。令和元年11月帝国劇場での、実に五回目を数へる日本公演も成功を収めた人気演目。映画『吸血鬼』は2年遅れ、昭和44年9月14日に本邦で封切られたが、直前に悪名高きチャールズ・マンソン事件に巻き込まれ、女優で妻のシャロン・テートが落命。この惨劇は、往時の週刊誌でも記事に。この経緯を踏まへ、昭和48年「木曜洋画劇場」で放映の折に、文中で触れた角書が付いた。
リー君 … 帝国劇場公演の宣伝動画に登場した、羽ばたきながら旋回する玩具 Flying Bat 。何故か、サー・クリストファー・リィに肖り命名。強ひて東宝との縁故を辿れば、出世作『吸血鬼ドラキュラ』 Horror of Dracula 1958 の日本配給は後に東宝東和と改称される東和だった。なほ、「オペラ座の怪人」に主演したマイケル・クローフォードを迎へながらも、迷走の上に打切の憂目を見たTDVブロードウェイ公演には、この玩具に似た小道具(プロップ)が登場する。

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「『日本の易者』の嘘つき記録」(「週刊新潮」 昭和43年)

 今となっては流石に、予言の類はすっかり影を潜めた感があります。
 「『日本の易者』の嘘つき記録 『ポンド切下げ』の予言者も居たが」(「週刊新潮」 昭和43年1月13日)によれば、「『ライフ』誌に毎年“予言”を発表」する「易学界の第一人者といわれている」大立者さへゐた程、往時は辻占や八卦見が流行した様子。この風潮に逆らひ、前年の当りはづれを月旦するのですから、だうしても採点が辛くなる嫌ひは否めません。「…驚いたのは、大方の“予言”の内容が実に大ざっぱだった、ということである。…。どうやら、諸センセイの『読み』は浅いところで行われたらしい。といって悪ければ、大へん慎重な方が多かったようだ。」 それでも、前出の大家は「ジョンソン大統領の病気を、時期的には二ヶ月のズレはあるが、ピタリと当てている」とも。
 中でも興味深いのは、別の占星術師が「バラバラ事件」の犠牲者になり果てた「銀座のマダム」について、「あの方は三浦光子さん(元女優)のご紹介で見えられて…、ダンナさんと別れて他の男と付き合うと、災厄が起き、命を失うと、私は忠告したんですがね。結局、疊の上では死ねない運勢の方だったんですねえ」 これこそ、大当りぢゃないですか。因みに三浦光子、『一寸法師』(昭和30年)しか記憶にありませんが、元は松竹だったのですね。
令和2年1月 1日 (水)

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