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メアリと魔女の花【おそらく聞いたことがない話】

米林宏昌監督の『メアリと魔女の花』の公開が始まった。
この映画、スタジオジブリにてプロデューサーをしていた西村義明が独立して設立したスタジオポノックというスタジオが制作を行っている。スタッフの多くがジブリ出身なので、絵柄はそのまんまジブリだ。
加えて主人公はホウキに乗った魔法使いの少女とくれば、宮﨑駿監督の往年の名作、『魔女の宅急便』を思い起こさずにはいられない。こういうばあい、『メアリと魔女の花』『魔女の宅急便』の二番煎じに終わってやしまいかと不安になるのだが、そこは安心してほしい。師匠である宮﨑の影響下にありつつも、米林自身の作風を濃厚に感じる映画となっている。

『魔女の宅急便』の主人公、キキと『メアリと魔女の花』の主人公、メアリの違いは、なんといっても「魔法の才能があるかないか」ということだ。先ほど、メアリのことを魔法使いの少女と紹介したが、じつはメアリには魔力は備わっていない。森でたまたま手に入れた魔力を宿した花のおかげで、魔法が使えるようになっているだけで、その花を失えば魔力も消えてしまう。ここのところが、もともと魔女の家系に生まれ、自身の血の中に魔力を有していたキキとは事情が異なる。

そのことと関連して、映画のなかのホウキによる飛行シーンの描かれ方がずいぶん違う。
子供のころから空を飛ぶことが当たり前だったキキは、ラジオをホウキの先に引っ掛けて優雅に空を飛んでいた。作画では、空を飛ぶことの気持ちよさが表現されていた(映画後半ではその快楽を失ってしまうことに対する不安が描かれる)。
他方、初めて空を飛んだメアリの場合はまったくそのような優雅さはなく、猛スピードで疾走するホウキに必死でしがみつき、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、無茶苦茶に振り回されるのを観客はハラハラしながら見守るはめになる。
『魔女宅』の気持ちよさげな浮遊感を感じさせる作画に対し、『メアリ』ではスピード感や地面からの高度を強調するカットや着地に失敗して放り出される痛そうなカットが執拗に描かれる。

この飛行シーンの違いから、『魔女宅』と『メアリ』が全く正反対のベクトルを持った作品なのだということを、改めて感じることができる。
『魔女宅』は魔法の世界に属する主人公が現実の世界に旅する話だった(魔法→現実)が、『メアリ』は現実の世界に属する主人公が魔法の世界に旅する話(現実→魔法)なのだ。
さらにいえば、主人公の性格についても、両作品の方向性の違いが示されている。キキは、「現実にはこんな子いないでしょ?」と思わせるほどの純真な少女だったが、メアリは「こういう子、ほんとうにいそうだな」と思わせる性格の持ち主だ。頑張り屋だが、失敗ばかりで落ち込んだり、腹を立てたり、少し頑固で、おだてられれば調子にのり、時には嘘をつく少女なのである(ちなみにメアリのついた嘘が重大な事件の引き金となってしまう)。

この主人公の性格の違いというのは、単に『魔女宅』と『メアリ』の違いというよりも、宮﨑と米林の根本的な趣味の違いに起因しているだろう。
キキに限らず、ナウシカ、シータ、千尋など、宮﨑は少女を純粋な善として描く(描きすぎる)が、米林の描くところの少女はもっと多面的だ。いいところもあるし悪いところもある。
米林の前作『思い出のマーニー』の主人公、杏奈は、ちょっとおせっかいな同級生の女の子に向かって、「太っちょブタ」と暴言を吐いていた。そしてその後に安直にキレてしまったことを後悔するのだった。宮﨑映画の少女が同級生にたいし「太っちょブタ」と罵るシーンを想像できるだろうか。

両監督の設定する主人公のこのような性格の違いについて、どちらが好きかというのはまた観客それぞれの好みの違いになってしまうのだが、私は米林監督ってとても実直な人だなあ、と感じた。主人公だからといってことさらに美化しない。それはきれいなものだけを見たい人間の反感を買ったり、ストーリーの軽快さを失ってしまうことにもつながるのだが、あえてそこを引き受ける。宮﨑はキキに自分の理想を託すが、米林はメアリが次に何を考え、どういう行動をとるのか、あえて口を出さず、様子をうかがっている。そしてメアリはホウキに振り回されたり嘘をついてピンチに陥ったり、自分のうかつさに落ち込んだり、勇気を出して友達を助けたりするのだ。

映画「メアリと魔女の花」2017年7月8日劇場公開
http://www.maryflower.jp/

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