見出し画像

ワタミの宅食・石本さん



 認知症であるやっさんの食欲モンスターっぷりは以前に紹介しているとおり。満腹中枢が機能していないので、1日中なにかを食べていないと落ちつかない。
やっさんの抗えない食欲と供給する側としての果てしない戦いは、一生続くだろうと思われていた…が! 世の中にはすばらしいシステムが爆誕していた。
宅食サービスである。はい、神です、神。

調理済みのお料理をレンジであたためるだけ、の多忙なママや単身者には特にありがたい冷食システム。重ね重ね肯定的な立場でございます。
様々な会社が参入している中、やっさんの昼食用に選んだのはワタミの宅食
噛める度合いによってやわらかさを選べる点と、栄養バランスを考慮した冷蔵のお弁当を“決まった時間に毎日決まったスタッフが配達してくれる”点が決め手となった。

わが家のある地域一帯を担っていたのが3人の子どもを育てる働くママ、石本さんである。まさかの同世代であり、彼女のご出身が母の実家近くだったということもあって母とも仲がよく、なんといっても重くなりがちな話をふんわり受け取ってくれるのがありがたかった。

土日をのぞく月曜から金曜の5日間、雨の日も雪の日も玄関を開けるとそこには毎日変わらないやさしい笑顔で「こんにちわ〜」とお弁当をもった元気な石本さんがいた。ショッキングピンクのダウンがよく似合う。
なんたる安心感、なんたる癒し!!

やっさんの謎の行動に不安になったときも、朝から大げんかして引きつった顔のときも、前日の夜に泣きまくって肉まんみたいに腫れた目を冷やしながら出迎えたときも、身支度がなんにもできなくて寝癖の頭とすっぴんのときも、石本さんは変わらずにいてくれた。

石本さんの顔を見るとほっとして、本当のじぶんに戻れた。
「あなたがいるべきところはココですよ」と、天上に逝きかけた魂の端っこをつかんで、ニコニコしながらぎゅっと抜け殻のカラダに引き戻してくれるような人だった。


そして、このお弁当を使うことには最大のメリットがあった。やっさんの服薬がない昼間のタイミングに自由時間を確保できることである。
お弁当を家のなかにあるワタミ専用の宅配BOXに入れておき、お昼の時間になったら電話でやっさんに「お弁当あるからあっためて食べてね」と遠隔操作をする。おかげで最大3時間ほどをやっさんと向き合わずにひとりになる時間が持てた。

画像1

(↑ある意味、わたしの命綱だったワタミの宅食弁当)



ひとりになれる時間を使ってなにをしていたかというと、入院している母のお見舞いやおつかい、食材や日用品を買いに出たり、地域包括支援センターにやっさんの相談をしに行ったり、市役所の支所で年金の手続きをしたり…。

田舎では死活問題である自家用車がないため、実家に戻ってすぐに自転車を買った。バスは1時間に1本。気軽に戻ってこられないことが不安で、特に大事な用でない場合はなるべく自転車を使ってペダルを漕ぎ続けた。
Google マップさんと仲良くなって田んぼとリンゴ畑のなかを突き進むのが日課になった。(坂道が表示されないから地獄をみたりもしたよ)

画像2


当然ながら遠隔操作がうまくいかないことは一度ではない。
例えば、宅配BOXに隠していたお弁当がやっさんに見つけられてしまい、出先から電話をかけた頃にはすでにやっさんのお腹のなかであったとき…。

「玄関の入り口のあおい箱のなかにお弁当が入ってるから、見てみて」

「弁当なんてないぞ」

(え、なんでー?)

「いつ帰ってくんだよ、お昼ごはんどうするんだ、コンビニに行って買ってくるか?」

(やっさん、おかね持ってないじゃん。)
「わかった、じゃぁ今から帰るからちょっと待ってて。○○の引き出しのなかにおせんべい入ってるよ(毎日のおやつチャレンジ)」

「………そんなものない! 腹へった!」

(ちょいちょーい、それも食べてるんかい!!! こわ!)

急いで家に帰ると、美しいまでに空っぽの弁当がやっさんの席の目の前に置いてあった。(ホラーかな…?)

どうしても午前中から出かける用事があってわたしがお弁当を受け取れないときは、石本さんと事前に打ち合わせをして宅配BOXのなかにいつもより多めの保冷剤とお弁当を入れてもらい、BOXを開けただけではすぐにお弁当とわからないよう、パンフレットなどの資料を重ねてもらったりしていた。

“どうしたら見つからずにすむのか”ふたりで考えた作戦だったが、やっさんの食欲の前にあえなく敗北した瞬間であった……。



石本さんとお別れの日。

それは唐突に訪れた。石本さんが子どもたちとともに単身赴任中の旦那さんの元へ引っ越すことになったのだ。時を同じくして、わたしも実家を離れることが決まっていた。

きっと数を数えてしまえば、石本さんの顔をみて言葉をかわした時間は、とても短い。だからこそ、心から信頼して、あの時期の自分のありのままの感情をありのままに言葉にして吐き出せたことは「感謝」という文字だけではあらわせない。

「来週、私の代わりの担当を連れてご挨拶に伺いますので」

「わたしは来週からいなくて…母か姉が対応しますので……」
(石本さんと会えるの、今日が最後かー)


別れ際、石本さんもわたしも「また」という言葉は発しなかった。「また」がないことは互いにわかっている。

「ありがとうございました。ほんとうに。」というと、ショッキングピンクのダウンがお似合いの石本さんは、いつもの顔でほほえんでくれた。

ある日の朝、わたしの表情を見てすぐに「昨日は眠れました?」と聞いてくれた石本さんの顔を、今でもふと思い出す。



これまでのやっさんについてはこちらからどうぞ


もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。