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やっさん、母に告る。 ②

やっさん、母に告る。①の続きです。

待機スペースで親戚たちが淹れてくれた緑茶のような液体はぬるくて味がしなかったけど、法要中は亡くなった叔母のことを考えていられたし(実際に尊敬できるひとだった)、親戚とのやりとりもソツなくやりとげた。

法要後、親戚一同、マイクロバスでお食事する場へ移動する。
お酒がはいる場での立ち振るまいも、もはや心配することなどない。
シンプルになにもしないで通した。実際、気の利かない女なのだから仕方あるまい。
叔母が好きだった日本酒がふるまわれたので、それに関してはありがたくにこにこしながら何杯もちょうだいした。

デザートが出されたあたりだっただろうか。母から電話がはいった。
「おとうさん迎えにいったよ。今はおちついてるけど顔がひどく腫れているから病院へいってくる」



ことの顛末はこうだ。

が、本当のことは誰にもわからない。
当事者のやっさんにもわからない。
だから事実と憶測を交えながら記述する。


母は上京する際、やっさんにいつもより多めにおこづかいをわたしていた。
冷蔵庫にはいくつか惣菜をつくっておき、炊飯ジャーにはご飯もはいっていたが、自分が帰ってくるまでのおやつ代の意味合いが大きかったのだとおもう。
いつものコンビニで買い物でもして待っていてくれるだろうと。

だが、やっさんにとっては、ひさしぶりに“満足な買い物ができる“額だった。

やっさんはきっとウキウキしながらバスに乗り、市街地へ向かったに違いなかった。ほんの少しのおこづかいを握りしめ、親の目を盗む解放感でたのしくなってしまった子どものように。

携帯電話を持たせていたので、認知症であることがわかってからもやっさんがひとりで出かけることは珍しくなかった。ただ、この日は出かける前に携帯電話を持つことを忘れてしまったのだ。

母は台風が近づいていることはもちろん知っていたし、家を出るときにすでに雲行きがあやしかったらしい。
それもあってやっさんが“遠出をすることはない”とふんだ。

実際、やっさんがどこへ向かったのかはわからないが、家の前から乗るバスの行き先は地元の駅だけである。
これを間違えることは可能性として低い。
おそらく駅から家に戻ろうとしたときに、乗るバスを間違えたか、どこで降りるかわからなくなってしまったかのどちらかだろう。


警察に第一報が入ったのが18時すぎ。

「台風の雨のなか、傘を持っておらず、ひとりで歩いている老人がいる」と誰かが通報してくれたようだった。

場所的に歩いている人はほとんどいないので目立ったこともあるらしい。
そのとき、警察はすぐに通報があった場所へ向かったがそのときはやっさんを見つけることができなかった。

20時過ぎに第二報。
これもまた市民からの通報とのこと。
同じように「道端で座っている人がいる、危ない」と……。
この通報を受けて警察が探しにいき、やっさんは保護された。
保護された場所は家とは真逆の方角で、ずんずんと山奥へ進んでいたらしい。

警察からの話では、保護したときすでにメガネをかけておらず、メガネがその場に落ちていることもなかったとのこと。
メガネがないということは、ただでさえ視界が悪い雨の夜に、やっさんはほとんど見えない状態でさまよっていたことになる。

目の上の切りキズは転倒したときにどこかにぶつけたか、メガネの破片かなにかで切ってしまったのかもしれないといわれた。
止血はしてもらっていたが、のちに病院へ行き1cmほどの縫傷になった。膝や腕には擦りキズ、切りキズもみられた。


幸運だった。
やっさんは様々な偶然が重なって、いろんな人の手によって救われた。
本当に命を救ってもらったとおもっている。今こうして文章にできることが“奇跡”といっても過言ではないだろう。

あとから調べてわかったこと。
認知症患者の行方不明者数は2019年の1年間で延べ1万6927人。2012年以降、6年間連続最多を更新している。
たらればを言いだすとキリがないが、最悪なことになる状態はいくつもそろっていたことになる。




この事件が起きた3ヶ月後に、母は介護うつで入院した。

入院してすぐに、お見舞いがてら近所や親戚一同への連絡はどうしたらいいかなどの相談をあれこれしているなかで、母がやっさんを警察に迎えにいったときのことに言及する場面があった。

「迎えにいったらね、初めてみたよ、あんなに弱ってるところ。
顔はあんなだし服は血まみれで、それでわたしの顔みてこういったんだよ。
『俺はあんたがいなきゃダメなんだ』ってさ」


なぜ母が急にそんな話をしたのかはわからない。
長年夫婦をやってきたなかで、今この状況になり、ふたりの関係性がとても複雑なものになっていることだけはわかった。

病院からの帰り道、わたしはチョコを食べながらまたひとりで泣いた。

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もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。