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【記事応募】背中にまわされた大きな手

2011年

 別に大学の外国語歌コンテストで日本語の歌を歌うつもりではなかった。大学一年生の私、五十音図やっと暗記できた時期。早速外国語歌コンテストの募集が始まった。英語の歌で応募すればいいのに、ただ応募の時、外国語学部の生徒として、専攻言語の歌しか応募できなかった。日本語専攻とはいえ、勉強は始まったばっかり、英語の歌のほうは絶対有利なのに、日本語の歌しか応募できなかった。

 それもしょうがないことだった。五十音図読めるレベルで、日本語の歌を歌うしかなかった。そうすると、リズムが緩く、歌詞も少ない歌を選ぼう。そう考えながら、kiroroの「好きな人」と出会った。リズムもいいし、歌詞も繰り返しの部分が多い。歌詞はもちろん理解できるレベルではなかった。ただ単にすべての歌詞を平仮名にして、kiroroの録音を聞きながら練習し始めた。

 私の大学は、この都市のほかの大学と比べると、古くて狭かった。部活用の設備や場所もそんなに多いわけではない。練習は、ただ誰もいないときに、キャンパスのすみっこで、MP3でkiroroのオリジナル版を聞きながらこっそり歌ってみる程度。さすがに昼間に堂々と大きな声で歌う勇気がないから、朝5時ぐらい、まだみんな寝ているタイミングで、誰もいないキャンパスの廊下で歌っていた。

 練習はつらかった。コンテストの準備期間は、たった1か月しかなかった。歌詞を覚えなければいけないが、そもそも歌詞の意味など一切わからない。堅苦しく五十音図の並び順序を覚えるだけ。毎朝5時、喉が痛くなるまで歌って、1限目の授業で声が出れないほど頑張っていた。

 そして、コンテストの日。まるでロボットのように、ただ暗記した歌詞・リズムをコピペして歌った。結果は悪くなかった。新入生で、日本語ただ3か月程度で勉強した私は、2等賞を獲得した。その後日本語の勉強がますます忙しくなり、日本のアニメやドラマも見はじめ、視野も日々広がっていた。1年生の時歌った「好きな人」は、だんだん記憶の底に沈んだ。


2021年

 今年はちょうど、大学入学の年から十年。母校から卒業し、母国から離れ、日本の大学院に進学し、そのまま日本で就職した。おそらく人生の中でも結構不安定な十年だといえよう。忙しい生活からたまにリラックスして、ワンカラで好きな歌を歌っている自分。ある日偶然ヒット曲の中に「好きな人」を発見した。懐かしいと思い、歌を予約した。実際歌うと、十年前のあの時よりぜんぜんうまかった。少なくとも、ロボット感は完全に消えてしまった。

 気づかないまま、何回も、何十回も同じ歌を歌っていた。そして、いつの間にか頭の中に、私の母校、あの都市のほかの大学と比べると、古くて狭かった大学の一木一草に満たされた。母校は、日本語の世界で生まれたばかりの私を、大きく育ててくれた。どんなに古くても、どんなに狭くても、たっだの4年間で、母校で堪能した日本語の世界は、どんな世界より華やかだった。

 6年前、母校と離れ、その後すぐ母国とも離れた。その時から、母校には一度も戻らなかった。いつか、母校に戻って、朝5時だけではなく、昼間でも、大学の廊下で大きな声で、「好きな人」を歌いたかった。

 背中にまわされた大きな手、それは私の母校。
 離れてても、心の中、母校がずっといるから。

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