閲覧録20231116-20231215
【閲覧録20231116-20231215】修士論文の提出期限は2024年1月10日(水)17時。それに向けての、集中の一カ月間かな。しかし多分、修論に直接関係のない読書・閲覧も続ける。「その後」もあることだし。修論提出後の進路調査の締切は11月24日。年寄りに「進路」もないもんだが。
20231116
『梅棹忠夫著作集 第7巻 日本研究』(中央公論社 1990)了。「日本とはなにか 近代日本文明の形成と発展」、p487「文明とは文化と社会の総和であるとかんがえておきましょう。さまざまな要素が、あるひとつのデザインにしたがって組みあげられて、ひとつの生活様式をつくっている。その全体を、あるいはその全体のデザインが文明であるというわけです。」、p491「西洋文明と日本文明との関係についてのわたしの解釈は、もはやあきらかでしょう。それは、模倣説でもなく、転向説でもありません。それはいわば、平行進化説というべきものであります。」。p627、守屋毅「要するに歴史と地理である。」
20231117
責任編集 荒川正晴・冨谷至『岩波講座 世界歴史 7 東アジアの展開 8~14世紀』(岩波書店 2022)。刊行順に読んでいるんだが、ここまで中国周辺巻が多く「講座 東アジア歴史」感強し。内容が理解できない。しかし、梅棹忠夫の比較文明論周辺を読んだ後だと、それも当然かと思える(と自分を慰める)。
20231118
『鶴見俊輔集 7 漫画の読者として』(筑摩書房 1991)。「漫画の戦後思想」1973、手塚治虫・白土三平・水木しげる・つげ義春など。「4 忍者ー白土三平ー」p173「すぐれた大衆作家は、ほとんどが、同じプロットのくりかえしにたえる人びとである。」。これはポピュラー音楽家もそうかも。良いマンネリ。
20231119
司馬遼太郎『街道をゆく 9 信州佐久平みち 潟のみち ほか 新装版』(朝日文庫 2008)始。1976年「週刊朝日」連載分。「潟のみち」「播州揖保川・室津みち」了。日本列島改造論の人は前々年暮れに首相退陣しているとはいえ、土地投機の盛んな時期で、それに対する批判の言説が多い。もう47年前なのね。
20231120
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年7月21日~8月15日分。七月二十五日、p327「晴。大倉男一九三〇来談(Z金物ノ件)。」脚注6「大倉喜七郎」、7「電波兵器の秘匿名か。」、喜七郎は大倉財閥2代目総帥、札幌市民にとっては大倉山シャンツェの人。「電波兵器」とは?八月九日、p357「「ガンヂー」等ヲ収容ス。」、脚注「Mahatma Gandhi インド独立運動指導者。反英不服従運動により九日逮捕。」、宮の関心はどの辺に。情報伝達速度、速い。「国民学校」、脚注「昭和十六年四月より使われ始めた小学校の新呼称。ドイツのVolksschule の真似と言われる。」、だと。p361、宮の報道批判、「「ソロモン」海戦ノ発表ハ大本営発表ノ説明ハ実ニ「デタラメ」デ、報道部ハ大本営発表ノ外ハ無責任ナ記事指導ヲスル癖アリ、ケシカラヌ話ナリ。今度ノ様ナノハ実ニ甚ダシク内外トモニ日本ノ発表ノ信ジラレヌコトヲ裏書スルコトニナル。敵ノ攻略企図モ上陸モ云ハズニ、マルデ「ネツゾウ」記事ナリ、アトノ報導ニモ差支ヘル。」、正論。八月十日、p361「新京、慶祝運動競技ニテ、藍球中華対満試合ニテ中ガ入場スルヤ拍手旺ンニ、満ノ入場ニハ拍手入リ、中側不振トナルヤ日系審判不公平トテ小石等ガ競技場ニ投ジ試合中止トナル。満人ノ民族意識ノ動向ヲ見ルベキ最近ノ実例ナリ。」、興味深い。この辺りから、ガダルカナル島の戦いに関する記述が多くなる。p369補注には、8月8日深夜、第八艦隊による「第一次ソロモン海戦」についての解説。一方、八月十一日、p371、「浜田氏ヨリ火鉢ノ見本到着。」、脚注「浜田庄司、陶芸家」。皇族の民芸趣味。宮は一貫して良き趣味人。
20231121
『網野善彦著作集 第五巻 蒙古襲来』(岩波書店 2008)p89「時頼はたびたび海賊の取締りを行ない、とらえたものを「夷島」(北海道)に流している」、マジか。p104「このような金融業者を、当時、借上といった」、北海道春鰊漁「仕込金融」と似てる。実質物々交換だが、一定期間後に、利子支払と回収。
20231122
『開高健全集 第10巻』(新潮社 1992)。p235「世界にむかってたえまなく、おれたちは選民だ、選民だ、どの民族もできなかったことをおれたちはやってきたのだと、この二千年間の流亡の歳月のなかでつぶやきつづけてきた彼の自尊心」、が今のイスラエルハマス戦争のベースにあるのだろうかなどと思い。
20231123
山本義隆『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』(みすず書房 2003)了。実は人間の世界認識には本人たちが思っているほどの確固たる核はなく、認知バイアスの積み重ね・集積をもって、それをしているんではないか、とふと思ったりした。部屋の掃除みたいに、常に認知バイアスの除去が必要なのかも、とも。
20231124
橋本治『完本 チャンバラ時代劇講座』(徳間書店 1986)、始。完全に習作期を終えた印象。以後、2005年「ひらがな日本美術史」連載終了辺まで、20年近い黄金期を迎えるのだろう。行掛りで生まれて初めて太宰治『人間失格』を読んだのだが、チャンバラと失格はそれぞれ同年代での執筆。作家の人生とは。
20231125
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。『How I Became A Christian: Out of My Diary』(1895)。行掛りでE.H.Carr『What is History?』1961 読んでる。それと比較すると内村の英語は優しい・易しい気がする。が、読んで理解できているということでは全然ない。いつこの巻を終えられるか。
20231126
北田暁大・筒井淳也編『岩波講座 社会学 第1巻 理論・方法』(岩波書店 2023)了。自分の能力不足で、理解足らぬまま。全体のまとめ的な、筒井淳也・北田暁大「変化する社会と向き合う理論と方法」、P286「「人々の方から問題を受け取る」という社会学の分野的な特性」というフレーズを反芻している。
20231127
『漱石全集 第十二巻 小品』(岩波書店 1994)。「永日小品」「長谷川君と余」(1909)から「満韓ところどころ」(1909)途中まで。長谷川君は、長谷川辰之助=二葉亭四迷(1864-1909)。追悼文。「満韓」は日露戦争戦後・韓国併合前年の旅行記。p256、中村是公・漱石同窓という橋本左五郎が登場して興味深かった。清水孝純・桶谷秀昭「注解」によれば、p688「橋本左五郎 慶応二(一八六六)ー昭和二十七(一九五二)年。岡山生まれ。明治二十二年札幌農学校を卒業、二十八年から三十三年までドイツに留学し、のち、札幌農学校教授、東北帝国大学農科大学教授となる。」。8期生。ちな内村は2期生。
20231128
『柳田國男全集 第五巻』(筑摩書房 1998)。「明治大正史 世相篇」1931。「第二章 食物の自由」「四 魚調理法の変遷」、p378「現に徒然草には鎌倉人の鰹を食ひ方が乱暴だと言つて笑つて居るのである。」、第一一九段、最近流行りと書いて別に「笑って」はいない。多分兼好も食べてる。そういう奴。「第六章 新交通と文化輸送者」「五 旅と商業」、p471「日本の文化の次々の展開は、一部の風来坊に負ふ所多しと言つても、決して誇張ではなかつたのである。」、「六 旅行道の衰退」、p472「世間師」が登場。後に宮本常一が頻用する語だけど、1931年当時も普通一般に使われる用語だったのだろうか。
20231129
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-12 アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家』エルサ・モランテ/ナタリア・ギンズブルグ 中山エツコ/須賀敦子訳、了。「モンテ・フェルモの丘の家」1984、一気読み。原題「La città e la casa」。自分的には「街と家族」がニュアンス的に近いかと思った。
20231130
『寺田寅彦全集 第十一巻 俳諧及び和歌』(岩波書店 1997)始。全集全巻読破の予定も、この巻が最難関になりそう。俳人・歌人としての寅彦に期待してないし、そもそも俳句・和歌を鑑賞したり作ったりの習慣もないわけで。寅彦の俳号は寅日子。ちなみに夏目雅子さんの俳号は海童(なんや藪から棒に)。
20231201
永井荷風『荷風全集 第八巻 暴君 新橋夜話』(岩波書店 1992)。「小説 新橋夜話」1913>「昼すぎ」、p188「日本が朝鮮を取つた騒ぎもその頃の事でしたね。」という時代感。>「妾宅(随筆)」、p213「かく口汚く罵るものゝ先生は何も新しい女権主義を根本から否定してゐる為めではない。」、「女権主義」には「フヱミニズム」のルビ。日本の「フェミ」も、用語として、百年超の歴史があるんだな。p216「「江戸人」」、括弧入りの「江戸人」で、この語の周辺、優れた日本文明論になっている。p218「健全なるジヨン・ラスキンが理想の流れを汲んだ近世装飾美術の改革者ウイリアム・モオリスと云ふ英吉利人は、現代の装飾及工藝美術の堕落に対して常に、趣味Goûtと贅沢Luxeとを混同し、また美Beautéと富貴Richesse とを同一視せざらん事を説き、趣味を以て贅沢に代へよと叫んでる。モオリスは其の主義として藝術の専門的偏狭を憎み飽くまで其の一般的鑑賞と実用とを欲した為めに、時には却つて極端過激なる議論をしてゐるが、然し其の言ふ処は、敢て英国のみならず、殊にわが日本の社会なぞに対しては此の上もない教訓として聴かれべきものが尠くない。」。白樺派の活動と同時期とはいえ、ウィリアム・モリスの紹介者としても、荷風は先駆者だったりするのではないか、とふと思った。
20231202
中岡哲郎他編『新 体系日本史 11 産業技術史』(山川出版社 2001)。「Ⅰ 分野別産業技術史」、野原健一「3章 鉄鋼」、鈴木淳「機械技術」。p147「一九三四(昭和九)年には製鉄合同が行われ、日本製鉄株式会社が成立した」、世界恐慌から昭和恐慌まで浜口民政党総裁期、企業合同が流行だったんだね。
20231203
『志賀直哉全集 第三巻 城の崎にて 和解』(岩波書店 1999)了。「焚火」が圧倒的。志賀には珍しく「不快感の表明」がないのが興味深い。前日、太宰『人間失格』の読書会に参加し、ほとんど読んだことのなかった太宰作品(と太宰のあり様)について考えていたのだが、その思考が深くなった感じもある。
20231204
『谷崎潤一郎全集 第11巻』(中央公論新社 2015)始。「神と人との間」1925、了。1923-24年、「婦人公論」に関東大震災による休載などをはさみながら連載されたそうだ。また『人間失格』の話だが、太宰の自死とほぼ同年齢で、谷崎の関西生活が始まる訳だ。志賀直哉の『暗夜行路』の書き始めも同年齢。
20231205
エドワード・W・サイード/板垣雄三・杉田英明監修/今沢紀子訳『オリエンタリズム 上』(平凡社ライブラリー 1993)始。原著は1978年刊行。梅棹忠夫『文明の生態史観』が欧州各語で翻訳されたのは1980年代以降。サイードが読んでいたらどうだったか。p112、ヘンリー・キッシンジャー登場。2023年没。
20231206
『家政論 今和次郎集 第6巻』(ドメス出版 1971)。和次郎は1973年10月没、この著作集発刊時には存命だった。内井乃生「後記」によれば、この巻はタイトル『家政学』として発表されたものを『家政論』に、和次郎の意志もあって改題されたそうだ。日本女子大学始め、家政学部を置く日本の大学は20校弱。
20231207
『柳宗悦全集 第九巻 工藝文化』(筑摩書房 1980)。「新体制と工藝美の問題」1940、水尾比呂志の解題によれば、「新体制への迎合や運動の方向の変更ではなく、「新しい体制を正しい方向に深める積極的な仕事」という信念を披瀝し、物価統制に品質統制を並行されることを提案している。」、とのこと。
20231208
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(三)』(新潮文庫 1954)。「第十二章 レイモン・スボン擁護」、例によってモンテーニュ愛のあふれる関根の解説文、p708「この章は、モンテーニュの生活思想の中に一転機を画するものとして、彼の心髄に徹せんとする者の特に精読を要する重要な章である。」、熱い。
20231209
『勝海舟(中) 子母澤寛全集 七』(講談社 1973)始。前も書いたかもだけど、二浪目(二十歳前後)のとき、角川文庫の『氷川清話』を何度か読んで、なぜかすごく感銘を受けて、大学入ってクラス(!)配置されて、自己紹介アンケートの座右の書欄に「氷川清話」と書いた記憶。学術文庫版、読まねば。
20231210
兼好法師・小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫 2015)。第六一段【御産の時に甑落とすことは】から第八一段【道具の品格は持ち主の人格】まで。読めば読むほど、注釈・解説が適度適切で、文章もわかりやすい。ほとんど人に本を薦めることはないんだけど、この本なら推せる。
20231211
『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 1 昭和二四年二月~二五年九月』編集:古川隆久 他(岩波書店 2021)始。孫にあたる田島圭介の序文、古川隆久「総説」・茶谷誠一「解説」と本文をほんのちょっと読んだだけだけど、面白そう。田島道治、キャラが立っていてすごい。ケジメ、必要だよね。
20231212
『旧約聖書 Ⅷ エレミヤ書』関根清三訳(岩波書店 2002)。ヤハウェがいくら「姦淫すんじゃねえ」と言ってもやっぱりヤッテしまうユダヤの民。しょうがないよ。ヤルよ。人類皆穴兄弟。どの宗教もほぼほぼなんらかの形で制限される「姦淫」。各宗教の姦淫禁忌の比較研究みたいなものはあるのだろうか。
20231213
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター 1996)。「北海道拓殖史」1947、了。2018年が北海道命名150周年とやらで、なら「北海道拓殖史」は命名79周年時点の著作ともいえ、2023年は「北海道拓殖史」76周年ともいえ、改めて「戦後」の長さを思うなど。拓殖は成功したのか?
20231214
『宮本常一著作集 9 民間暦』(未来社 1970)始。「民間暦」1942。p127「奈良県十津川は明治二二年に大水害があって、ついに六〇〇戸ほどは北海道へ移住を余儀なくされた所であるが、これがやはり村のいくつもの行事を中絶せしめている。」。高倉「北海道拓殖史」中の一頁的。拓殖は成功したのか?p184「正月の祖霊を祭ることについては古く『徒然草』に「晦日の夜なき人の来るとて、魂祭るわざはこの頃都にはなきをあづまの方には猶する事にてありしこそあはれなりしか」と見えている。しかしこのことは今も存し、かつ東国のみに限っているのではない。」。民俗学の基礎教養としての『徒然草』。
20231215
筒井清忠編『昭和史講義【戦後文化篇】上』(ちくま新書 2022)始。自分の生まれ育った時代にぐんと近づいてきて、空気感もわかるだけに、面白い。中でも、三浦雅士「第8講 石坂洋次郎 マルクス主義と民俗学の対立を生きる」が出色。「先取りしていたのはマルクス主義と民俗学の対立」、p141「石坂のの眼には、マルクス主義は男の視線、民俗学は女の目線ほどの違いがあったろう。」。「文学も政治も経済もほんとうは感情の問題である」、p147「柳田は婿であり、単身者・折口もその父は婿である。戦後一世を風靡した「サザエさん」は、姓の問題はともかく、家付き娘の典型のようなものだ。家付き娘の民俗学ということでは宮本常一を参照するがいい。マルクス主義者よ、あなた方はこういう問題を真剣に考えたことがあるか、と、石坂は問うのである。」。ちなみに、三浦は石坂の、弘前高校の後輩と思われる。青森・津軽に家付き娘・婿養子の伝統は濃かったのか。北海道拓殖期には間違いなくあり。宮内淳子「第13講 有吉佐和子 戦後女性作家の肖像」、「ルポルタージュへの挑戦」、『日本の島々、昔と今。』1981、読まねば。岩波文庫で再刊されているようだ(2009)。p236には橋本治も登場する。1984年有吉没年追悼特集に触れて。橋本「誰が彼女を殺したか」は『恋愛論』講談社文庫,1986、所収。
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