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『関心領域』-ガザやウイグルの前に

久しぶりに映画館へ行きました。話題になってる『関心領域』です。
第二次大戦中のポーランドにあったアウシュヴィッツ収容所の所長、ルドルフ・フェルディナンド・ヘスの家庭を描いた異色の作品です。
(ちなみにナチス副総統だったルドルフ・ヘスとは別人です)

独特の撮影方法や、音響、映像効果など、映画技術としての作品性も特徴的で、映画館で鑑賞すべき作品との評価も頷けます。
赤外線画像を使ったシーンは意図が分かりにくかったし、個人的には特別に高く評価するほどではありませんが、良い作品であることは事実で、映画館で見て損のない作品だったと思います。

簡単な紹介

舞台になるのは、アウシュヴィッツ収容所と壁を隔てたヘスの邸宅。贅沢な庭のある瀟洒な家に、ヘスの妻や子供たちが、何人もの使用人を使って暮らしています。
塀の中ではユダヤ人が強制労働に苦しみ、虐殺され、焼かれています。その悲鳴や看守の怒声は壁の外にも聞こえており、死体を焼く焼却炉は常に音を立てながら煙を上げています。
映画では塀の中は一切映されることはなく、ヘスの一家も塀の中で起きていることに関心も持たず、ひたすら日常の物欲に従って暮らす様子が描かれます。

ヘスの一家は、美しい庭のある邸宅で、非ドイツ人(おそらく地元ポーランド人)の使用人を使い、収容所のユダヤ人から奪った財物を身に着けたりして、不自由なく暮らしています。
ヘスの妻は、その豊かな暮らしが少女時代からの夢だったといい、ヘスの転勤に抵抗し、アウシュヴィッツに留まろうとします。
彼女は俗物的な欲望を満足させる一方、塀の中で行われていることに一切関心を示しません。彼女たちは、自分たちの豊かさがなにに由来しているのか理解しているにもかかわらず、悲鳴や焼却炉の煙には徹底して無関心なのです。
この映画は、ヘスの家族のように「無関心な加害者」を描くことで、観客に自らを問い直す機会を与えているようです。

クリシェで安易に片付けてはいけない

こうなると、アレントの言った「凡庸な悪」というクリシェ(決まり文句)を口にする人も出てきますが、アレントの真意を巡っても議論があるのに加え、このテーマをクリシェで片付けてしまうことは、とても危険なように思います。

ネット上の批評では、ウイグル族の強制労働で製造された製品を使うことについて、被害への無関心だと語っている人もいました。
しかし、その感想こそが恐ろしいと、僕は思うのです。
新疆自治区でのウイグル族弾圧は、多くの日本人にとって、中国を悪魔視するためのクリシェであり、人権問題を装った憎悪煽動であることが多いからです。

つまり、ここで安易にウイグル問題のクリシェを持ち出すような人は、映画で描かれたナチスと同じように、ただの民族憎悪に陥っているのではないかと思うのです。

僕が最初に思ったこと

実は、壁を隔てたヘス一家の豊かな暮らしを見て、まず僕の頭に浮かんだのは、三沢や沖縄にある米軍住宅地区の豊かな環境でした。

嘉手納基地の住宅地区

普天間、嘉手納、三沢、横田など在日米軍基地は、その外側とフェンスや壁で仕切られた内側に、緑豊かな住宅地区が広がっています。
敷地は基地の中なので一般の日本人が入ることはできませんが、エッセンシャルワーカーとして多くの日本人が働いています。ちょうど、ヘスの邸宅で働くポーランド人のようです。
基地勤務者の家族が住む住宅では、公共料金など多くの費用が日本政府の「思いやり予算」で賄われ、もちろんNHKの受信料なども徴収されていないのです。

もちろん沖縄の人たちは、アウシュヴィッツのユダヤ人のように虐殺されてはいませんが、基地騒音被害に苦しんだり、多くの不自由を強いられています。アメリカ兵よる犯罪も、表に出ない性犯罪も含め、後を絶ちません。

ヘスの一家ほど豊かではないかもしれませんが、それでも一般の日本人よりもずっと快適な生活が、在日米軍の家族には約束されています。ポーランドを占領したナチスは、ポーランドで快適な生活を送れたでしょう。
そこは彼らの言う「東方の生存空間」(レーベンス・ラウム)です。

自分たちが見ようとしないものを考える勇気

ナチスに好意的だったポーランド人がどれほどいたかわかりませんが、アメリカ軍に好意的な日本人は、米軍基地を抱える沖縄の苦しみに対し、あまりにも無関心なように思います。
本土の人にとって、琉球沖縄の人は同胞民族ではないからでしょうか?
実際、ナチスのユダヤ人迫害に協力的なポーランド人も多かったのです。

また、日本の入管で「不法滞在」だとして収監され、満足な医療も受けられずに虐待死させられたウィシュマさんのような外国人のことはどうでしょう。
殺されないまでも、多くの人が劣悪な環境で収容され、看守からの暴力やネグレクトに晒され続けています。

『関心領域』という作品に対する感想を見ると、ガザ地区の虐殺だとか、ウイグルだとか、日本人にとって「安心できる」クリシェが語られています。
しかし、そうしたクリシェで問題を他者化することこそ、自分から目を逸らすことではないでしょうか。

起きていることから目を背け、ヘスの邸宅から逃げ出すのは簡単です。大事なのは、自分が「知っている」ことに対して声を上げ、抵抗すること。それができなくなっているのが、今の日本人ではないでしょうか。

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