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4月は春のはずなのに

もう4月だというのに、今日のダブリンは最低気温0度。昼間にあられも降ってきた。ああ、春はどこに行ってしまったんだろうか。

日本では新年度、新学期が始まっているだろう。多くの人が新たな場所で、環境で、出会いを、挑戦を、たくさんの新しいが待ち受けているのではないだろうか。

こちらでは4月に新しいスタートというイメージはあまりないようだ。
かくいう私も今までと変わらない生活を過ごしていくはずだった。だが、4月がそうさせたのが、ただ単にタイミングなのか、転職を決意した。

転職と言っても私がしているのはアルバイトみたいなものなので、職種にしてもたいして大きくは変わらないのだけれど、今までのぬるま湯の中にいるような生活からはきっと抜け出さないといけなくなる。私にとってきっと小さいけれど、大きなチャレンジだ。

少し前からずっとずっと転職を考えていたのに、いろいろな言い訳を自分自身に言い聞かせて、自分で自分にブレーキをかけていた。

一つのブレーキをかけていた理由は、私はひどく他人に迷惑をかけること、嫌われることを恐れているのだ。今私が抜けたら。。。このタイミングで辞めるのはまずいよね。。。そんな思いが頭の中をずっとぐるぐると駆け回って止まらなかった。

私はいつもいつも周りの人の空気を読んで、気を使って生きているような人間だった。今もそうだ。自分がどう思うかよりも、人からどう思われるか、他人が何を求めているのか、そればかりを気にして生きていた。人に嫌われないようにどちらにもいい顔をして、どちらからも少し距離を置かれる。

こっちの人たちはいい意味でみんな自分のことしか考えていない。いつだって自分が一番だ。決して「自己中心的」とは違う「自分を中心に」生きている。

私の周りには南米系の子が多い。その中でほとんどの子の携帯の待ち受け(今でもそう呼ぶのだろうか。もう死語なのだろうか。。)はその子自身のソロでの写真だ。友達とのでも、パートナーとの写真でもなく、自分一人の写真なのだ。きっとみんな自分のことが大好きだ。


「気を使う、周りに迷惑をかけない、空気を読む、協調性、謙虚さ」私はこの言葉達と育って来た気がする。どの言葉もきっと社会に出るには必要だった。
でもこれからは「自己評価、自己愛、自信、自己主張」なんだか並ぶと自我が強そうな言葉たちだが、もう少し自分を中心に世界を見てもいいのかもしれない。もっとわがままに、自分のやりたいように、やりたいことを。

そんなことを春の新たな始まりに考えたりしている。







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