ソクラテスのつぶやき:結局コンテンツが最強説(最終回):その中でエンタメ会社として何ができるか?
こんばんは。これまで2回にわたって”結局コンテンツが最強なのか?”という議論をすべく、記事を書かせていただきました。本日は最終回なのでコンテンツの優位性のみならず、そうした中エンタメ会社としてどのような価値を提供できるかについて取り上げさせていただきたいと思います!まだお読みになってない方は是非とも過去の記事もご覧下さい。
早速ですが、結論はタイトルのとおり結局コンテンツが最強です。
その理由として、コンテンツそのものの再現性とコンテンツの作り手・売り手がの間に存在する可逆性の関係にあると筆者は考えてます。
また、その中でエンタメ会社(コンテンツの売り手)として何ができるかと申し上げますと、
クリエイターが気持ちよく多くの人々に共感されるようなコンテンツを生み出せる最高の環境を提供してあげることです。
以下深堀していきます。
第1回では良いコンテンツの定義を再考しましたが、その本質は”再現性”と”共感性”にあると言及させていただきました。
第2回では"コンテンツを売ること"について議論しましたが、ここではコンテンツを売り手の役割はクリエイターが生み出した0→1の価値を1→10の価値にしていくこと、そして良い"コンテンツの売り手"ははコンテンツのLTV(Life Time Value)を最大化する仕組みを持っている会社と結論づけました。
ここから”再現性”を軸に議論しますと、2つ大事な真実が浮かんでくると筆者は考えています。
1)本当に良いコンテンツは真似できない
2)どんなに良いビジネスモデル(売り手の仕組み)も真似される
本当に良いコンテンツの条件としてより多くの人々が共感するということを挙げさせていただきました。この”共感”というプロセスを改めて考えますと、それは見ている人自身の体験・経験と重なって何か共通の思いを喚起させることだと思います。この共感という作業はまさしくコンテンツの受け手と作り手の世界が重なることを指しています。言い換えれば人々がコンテンツに共感するというプロセスにおいてコンテンツの作り手とコンテンツは切り離せません。なんせ作り手も共感を生み出しているコンテンツの一部になっているからです。
対照的に、ビジネスモデル(売り手の仕組み)はあくまでもそのコンテンツを売るための手段に過ぎません。ミッキーマウスというコンテンツに対してはほぼすべての人がディズニーと関連付けます。しかし、ビジネスモデルはいかがでしょうか。サブスクリプションモデルといってその作り手や紐づく唯一無二のコンテンツが彷彿されますでしょうか。されないですよね。
また、コンテンツの作り手・売り手の関係性を考えますと、コンテンツの作り手は優れた”コンテンツの売り方”を学べば、ビジネスモデル(売り手の仕組み)は再現できます。一方で、コンテンツの売り手がいくらコンテンツを学んでも、同じコンテンツを再現することはできません。クリエイターあってのコンテンツですので。
コンテンツは唯一無二であるということです。
筆者自身もエンタメ業界でいわゆる”コンテンツの売り手”として働いてますが、コンテンツあってのエンタメ会社なので、自分の仕事の意義を問い直すことは多々あります。
その中で思うことはコンテンツ至上主義は変わりません。ただコンテンツ売り手として出来ることは、1)クリエイターの世界を理解する努力をすること、2)クリエイターが知らない世界・切り口を持ち込むことで売り手として提供できる価値を最大化することです。
そして結果としてクリエイターが気持ちよく多くの人々に共感されるようなコンテンツを生み出せる最高の環境を提供してあげること、これに尽きると思います。
最後までお読みいただいた方はありがとうございました。皆さんのご意見・感想・質問お待ちしております!!
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