見出し画像

うつ病の当事者による優れた闘病記『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』

病気のしくみ(病理)は、身体疾患の場合、手術で切り取ったものを顕微鏡で調べたり、亡くなった人を解剖したりすることで解明していく。ところが、精神疾患のしくみ(精神病理)はそういうふうには調べられない。ではどうするかというと、医師や看護師が観察した結果をもとに考察するのだが、患者さんの症状を見た人間が考察することと、患者さん自身のなかで起こっていることが必ずしも一致するとは限らない。そこにはどうしても限界がある。もしかしたら、とんでもない的外れもあるかもしれない。

これに対して、患者さん自身が語る言葉は限りなく真実に近いはずだ。精神病理は、病気や症状の嵐を乗り越えた患者さんが振り返って言語化することで解き明かされてきた部分が多いと思う。

本書はうつ病を患ったプロ棋士9段による闘病記である。言語化が非常に巧みで、読むと「うつ病患者の心のなか」を知ることができる。

私の前には膨大な時間があったが、ヒマだとはまったく考えられなかった。ヒマだ、あーどうしよう、という考えはうつの人間にはないのである。焦りとも違う。ヒマを感じないというのは、うつの症状そのものといってもよいのではないだろうか。

精神科の本に書いてあるようなことではあるが、当事者がこうして言葉にすると、より実感を伴って伝わってくる。うつ病の人と接点があまりないと、この文章は少し分かりにくいかもしれないが、うつ病治療に携わる人の多くが「なるほど、そういうことか」と納得するのではなかろうか。

うつ病の人の家族や上司から「どう接したらいいか」と問われることが多い。著者の言葉が非常にシンプルである。

うつのときは、元気な人、声がおおきい人のそばにいるだけでたまらなく疲れるのである。
もっとも嬉しいのは、みんな待ってますという一言だった。うつの人の見舞いに行くときはこの一言で充分である。
うつの人間は自分なんて誰にも愛されていないのだと思うので、みんなあなたが好きなんだというようなことを言われるのが、たまらなく嬉しいのである。

これらは今後の診療で活かせそうだ。

回復し始めてからについては、当事者である著者がこう語る。

(うつ病が)回復しだしてからは健康だったころの自分と比べるのではなく、半月前、一ヶ月前と、今よりも悪かった時期と比べたほうが精神的によいと思う。うつ病はよくなっていると実感することがもっとも大切なのである。

そして、うつ病の本質を突いたような言葉にハッとさせられる。

うつ病はひたすら耐える病気である。苦しさの度合いが違うだけで、最悪期も回復期も本質は変わらないのだ。

著者には9歳年上で精神科医をしている兄(先崎章先生)がいる。先崎先生が著者に送り続けたのは、たった一行のラインであった。

「必ず治ります」

これには同じ精神科医として深く胸を打たれ、先崎先生に対して尊敬の念を抱いた。我々精神科医ができること、しなければならないことは、先崎先生のように、患者さんの中の希望の火が消えないよう守ることだろう。

また、先崎先生はうつ病治療についてこんなことを言っていたそうだ。

時間を稼ぐのがうつ病治療のすべてだ。

うつ病治療のポイントをズバッと突く一文に感銘し、先崎先生がなにか本を書いていないか検索したが見つからなかった。残念。

最後、自殺について。著者も自殺を考える時期があったようだ。そんな弟に先崎先生はこう言う。

究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ。

将棋ファンはもちろん、うつ病当事者、家族、治療者と、誰が読んでも得ることの多い本だろう。そして、精神科領域にとっては非常に貴重な資料になるのではかろうか。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?