人生の目的は、突きつけられるもの フレデリック・ラルーさんの記事に寄せて -スマホで100日連続noteに挑戦day32-
本日は先日のシェアに続き、「ティール組織」の生みの親、フレデリック・ラルーさんの、この記事について考えたことを^_^
人生の目的は見つけるものじゃない。いま、やるべきことにベストを尽くすだけ──ティール組織 著者の天職との出会い方
タイトル画像はご近所のお花🌸いろんな色が混ざっててかわいいすね^_^
以下、記事中のラルーさんの発言を引用させていただきながら感じたことをメモ^_^
アイデアがわたしを選んでくれた
「アイデアが突然降ってきた」というものと同じだと思います。わたしが本のアイデアを選んだのではなく、アイデアがわたしを選んでくれたんですね。
実はこういう話はあまり人には話さないようにしてるんです。「どうかしちゃったんじゃないの?」って言われるから(笑)。
記事中でのラルーさんの発言^_^
とても面白い捉え方、感覚^_^
そして自分も、これ、なう体験中です。
そう思えるネタに出会ったこと、いまのこのタイミングで、これまでの全てのconnecting the dotsで、選ばれた感覚で。。。多幸感と創るよろこびの中にあります。
皆さんは、そういう感覚になったこと、ありますか?
逆にこれ、そういうタイミングで行動しなかったときに、全く同じコンセプトのことを他の人が実現した、というエピソードもあったらしく。動かなければ、他の人に行くんですね。
今思えば、働きながら映画学校に通ってた頃、似たような体験をしたことがあります。選ばれた時に動けるかどうか、をテーマに、特にこの100日連続投稿の残りの期間、自分を通して生きるべき現実を生きてみようと感じています。
自分の人生をオープンにし、目的が入ってくるためのスペースを作る
人生の目的は神秘的なもので、自分で発見するようなものではありません。わたしがすべきことは、人生の目的がわたしを通して実現されるように、できる限り自分の人生をオープンにし、目的が入ってくるためのスペースを用意することです。
これ、何をどうすることなんでしょうね?^_^
ラルーさんの日常のディテールや、細かい心がけとか、なにかを日常的に選択するときの基準みたいなことがわかれば、わかるんでしょうか?
それとも、マインドフルネス的な内的な気づきの話なのかなあ。
自分の人生で体験していくことがどんなディテールなのか、楽しみです。
この記事を読んで素朴に感じるのは
・忙しくしすぎない
・ぼーっとする時間を日々の暮らしの中で持つ
・からだの声を聴く
・他者の声をちゃんと聴く
・自分の感情、内的な声に、耳を傾ける
・食べる、体を動かす、出す(排泄する)、お風呂に入る、セックスする、みたいな体感を、味わう
みたいなことなのかなあ。。。
自分なりの答えを見つけるために、実践あるのみかな^_^
ほかにアイデアのある方、ラルーさんの発言のディテールご存知の方、ぜひご教示ください^_^
って、ここまで書いて気づきましたが、ラルーさんのスペースを作るプロセスと、マッキンゼーで悩みながら働いていた、子どもの頃いじめにあった体験や時間は無関係ではないのだろうな、と感じます。
スペースを作るには、器みたいなものを作るには、そのための粘土や外壁みたいなものの材料が必要で、スペースや、そこに入ってくる"目的"の大きさや深さや強さ、、みたいなものは、それまでの人生で、どんな材料やスパイスを見つけてきたか、にも左右されそうな感じ^_^
器づくりなのか、料理づくりなのか、お花のめしべやおしべづくりのメタファーなのか、、、
いずれにせよ、"材料"のひとつひとつ、そこに至るまでの人生のあらゆる体験に意味がありそうです。
頭で考えるのは、身体が決めた後
この生き方を実行する過程で発見したのは、頭脳は大して役には立たないということでした。本当にすべきことか、しなくてもいいことかは、身体が決めてくれます。どうしてその決断をしたのか、それが今後の人生にどうつながっていくのかを頭で考えるのは、身体が決めた後です。
どうやら、スペースを作る、ということと、身体性はとても密接なつながりがありそうです。
スポーツのメンタルトレーニングでは「身体の気づきのスピードを上げる」ためのトレーニングがいろいろありますが、使えそうだなあ^_^
人間存在が身体なくして語れないように、身体性に依拠したさまざまな気づきメソッドと、「人生の目的が自分に入ってくるためのスペースをあける」こととの関連を探求したくなりますね。。。
この1年半くらい月に2度ほど実践しているヨガは、大好きな探求者でインド政府公認ヨーギーのみっちゃんのおかげで、そういう時間になっている気がします^_^
人生の目的は自分が宣言するものではなく、突き付けられるもの 。自分はそれに従えばいい。
でも、いまは人生が自ら語ってくれるのを待ち、その声が聞こえたらベストを尽くすだけ。人生の目的は自分が宣言するものではなく、突き付けられるもの 。自分はそれに従えばいい。
これは個人だけでなく、組織の人生にも当てはまることです。
これはなんだか、自分的には気が楽になる考え方です。
自分に降ってきている事業アイデアが、どんなふうにその目的自身を、表現されたがっているのか、実現されたがっているのか。
自分自身も動きながら、仲間たちとその声に耳を傾けたいと思います^_^
このタイミングで、ラルーさんの考えに触れることができたのは、僥倖でした。自分の今の状態がどういう意味を持つのか、少し理解が進んだ気がしています^_^
お会いしたことはないですが、ラルーさんとラルーさんの旅に、そして今回のイベントを実現してくれた方々、運営に関わられた関係者のみなさまに感謝して^_^
そして探求はつづく。
全然関係ないけど、先日行った熊本城。スペースをあける、スペースを作る、歴史や歴史的な空間からも、ヒントはもらえそうです^_^