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note連続20日スマホで続けてみて感じること雑感 -スマホで100日連続noteに挑戦day21-

続きましたねえ、はい。20日^_^

結論から書くと、自分なりの続ける秘訣はこんな感じ^_^

・質こだわりすぎず
・できるだけ感じたままに
・できるだけ短く
・スマホ入力で
・移動時間や朝イチの誰にも邪魔されない時間をフル活用→所要時間20分以内目指す

というのが自分の場合、いいみたいです。

次の10日間に向けて、現時点での気づきをメモ。(タイトル画像は昨夜の名月とススキ^_^雰囲気のみ)

質にこだわる、という最大の壁

自分の場合、続ける上ではこれが最大の壁になるなあ、と最初の10日でわかったので、ここ、とことんゆるく基準を設定しました。

でも、書き方に対する配慮が足りないと、全く想定外の地雷を踏んでしまいお叱りを受けることも体験しました^_^ SNS洗礼?これも収穫^_^

これはプログとはいえ、書き手の姿勢やスタンス、価値観と直結するところなので、鍛えていきたいところです。

20日間書いてきて、いまこの場で感じているのはこんなこと。

・まずは自分自身のために書く
・自分の感覚や気づきには、なんらかの代表性があるかもしれないと信じて書く
・自分ごとから、誰かの役にたつかもしれないと信じて書く
・褒められたいとか、すごいと言われたいとかの承認欲求は、いったん横に置く
・批判はできるだけ過去に置いていく

自分のメンタルモデルの場合、こういうスタンスが、一番無理なく、毎日続けられる秘訣な気がしてます。

信じて書く、というのがなんかシェア高いですな。自意識と潜在意識と身体感覚と日々の現実の中で、書きたいことを、無理なく一つ一つ見つけていければ嬉しいなあ。

自分で嫌になっちゃうんですよね、上記のような部分を握りしめすぎてると。たぶん。

探求したいのは、眺める力、感じる力

とはいえ、自分の場合、ありたい姿からつい求めてしまう"センスや価値"のようなもの、は結果として出るかもしれないもの、とおいて、できるだけ追いかけない。

まずは日々の事象から感じ取る訓練というか、眺めて、感じる力を意識して暮らしたいなあ、という感覚です。"丁寧に生きる"というテーマに近いかも。

いろんな方が言ってるように、質は量から生まれるかもしれず、アウトプットし続けることはインプットの質を高める、学習効果や学習効率を高める、かもしれない。

20日間続けてみて、自分もそう思います。
もっとアウトプットしても楽しいかも。近々、ゆるい感じの音声メディアにもチャレンジしたいなあ。

日々とにかくアウトプットすることで、日々の生活を見たり感じたりする、それらの"センスのやうなもの"が、一歩でもいいものになったらいいなあ。

息子たちに向けた、ながーい遺書?

ここまで書きながら見つけたのですが、中学生と小学生の男子の親としては、息子たちにながーい遺書を書いてるような感覚もあり。

noteさんが何十年もつづくサービスになるとしたら、息子たちが自分の年齢になった時にこれらのnoteが残っていたら、彼らが読めるよね、とある時気づきました^_^

自分の場合、それは自分自身が欲しかったもの。同い年の頃、父が何を考え、何を感じ、どんなことで日々悩んだり喜んでいたのか、なにを人生における大切にしたいものとしていたのか、などなど^_^

実は、20年以上前、亡くなった祖父が若い頃の日記を本人には失礼ながら勝手に読ませてもらったことがあるのですが、あまり人間的には知らなかった祖父を、すごくすごく身近に感じたのでした(じいちゃんごめん)

読まれること前提のnoteなら、より伝わりやすいかな、、、なんて感じつつ。

さあ、次の30日目指して本日も日々を生きますか^_^

あなたは、どんな10日間でしたか?^_^
あなたはどんな、長くて日常的な遺書を、残したいですか?



そして探求はつづく。

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(台風一過のとたんに咲いて香る金木犀^_^めちゃいい香りです^_^)

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