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泥の中から美しいものを咲かせる、とは -スマホで100日連続noteに挑戦day42-

タイトル画像はハワイ島で出会った蓮の花。ティクナット・ハンさんがマインドフルネスの象徴として説明していた、泥の中から美しいものを生み出す象徴。

風邪ひいて、今日はいろいろ役目があるのになあ、というやるせない感じの心情で、もーろーとしながらメモ。熱が下がりきりませんねえ。37.3度。。。

そもそも自分は体力なくよく風邪引きます。無理せず働けるようになってからはかなり頻度は減ったのですが、インフルエンザも、毎年予防接種してるのに毎年かかるしなあ(遠い目)

愚痴はさておき、蓮の花。

混沌や悪感情から、どうやってべつのループに入るか?

恨み辛みや嫉妬、怒り。あせり、そういう、いわゆる悪感情や負の螺旋から、どうやって抜け出すか?というプロセスの一つの表現と理解しています。

日常で、忘れないように思い出せるように、いつも蓮の花をイメージしておく。

誰かのせいにしそうになったり、誰かを恨んでしまいそうになったり、悪意を持ったり敵意を持ったり。

平和に暮らしてるとそれほど強い悪感情には支配されることは少ないとは思うのですが、、、人生の局面において、理不尽な暴力や事故、悪意にさらされることはありますよねえ。

そんなときに、どう、その"泥"から抜け出すか?
(泥、というのはあくまで比喩なので、個人的には田んぼの泥も睡蓮鉢のどろも、なんだか触りたくなる安心できる象徴です)

ひとつは、人は泥から蓮の花のような美しいものを咲かせることができる、ということを「知っている」ことが大切かなあ、と。

知っていれば、それが起こりうることを忘れずに済みます。その上で、何を選びたいのか。どう生きていきたいのか。

自分の大切にしたい人生観や価値観で、行動は選べます。

願わくば自分の今後の人生で、"泥"から悪意や負の螺旋の行動に身を染めるのではなく、蓮の花を咲かせる人生でありたいと感じます。

それは心情的には簡単なことでは無さそうです。果たして自分にできるでしょうか。わかりません。ただ、この蓮の花の美しい佇まいはいつも心に置いておきたいと思うのでした。

人生、何を選んでもいい

と、思います。もちろん。

ただ、その際にその行動がどんな世界につながる行動なのか、泥から敵意と悪意を連鎖させる行動なのか、泥から蓮の花を咲かせて人に安らぎと希望を与えるのか、そこには自覚的でありたいと思います。

風邪のヤマを超えて、本日の役割が果たせるかどうか不安な気持ちをもったまま書き出しましたが、書いてみるとなんだか気持ちがスッキリして一定の気持ちとカラダの浄化作用があるように思いました^_^

昨日はご縁があったインド人のアーユルベーダの先生の考え方に、伝聞ですが触れる機会が少しあったのですが、その「全体性」にはとても惹かれる感覚あります。ひとの健康は心と身体だけでなく、あらゆる外部刺激や行動や人間関係や気持ちの使い方にも影響うけることを、学びました。

ご縁があれば、自分も診断してもらう機会があるでしょう^_^

アーユルベーダの全体性は意識して日常を生きたいと思います。

まあ、まずは風邪をひきにくい暮らしを探求しないと。。。

そして探求はつづく^_^

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数年前に自分ちで咲いた蓮の花。今年は咲かなかったかなあ。泥が元気なくなってるのかも。。。

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