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忘れていること、思い出すこと【訪問看護ステーション開設802日目】

前回のお正月の投稿から、はや半年以上、ほんとサボってましたね〜。。。書く頻度にムラがあります。。。リハビリ兼ねて再び書き始めます。なんとなく訪問看護ステーション開設1000日目に到達するまで毎日何か書いてみますか^^。

前回の投稿で、書きたかったテーマのうち、3つ目の「父の死と、自分自身の変容の自覚(きざし?) 作品への感度」というのを書き残してしまったのですが、、、当時の感覚を思い出しつつ、忘れてしまったこともあり^^;タイトルのような所感を書いてみようと思います。

前回の投稿から濃密な日々が過ぎてしまい、ウィル訪問看護ステーションよこはま北山田も2歳になりました。皆で2歳の誕生日をお祝いした時の写真はこちら(近所のショッピングモール屋上のバーベキュー&グランピング会場)

信頼できる仲間が増えました。ありがたや🙇


一番上のタイトル画像は、先週末うちのメンバーが登ったり、救護所のボランティアに参加したりだった富士山八合目からの日の出の画像を頂いて拝借。

自分は学生時代に、今はもうなくなってしまったサークル「山岳旅の会」という夏山登りのサークルに入っておりました。当時、登っていた山の記憶がつづら折で思い出されるような美しい「山の写真」をタイトル画像に使わせてもらいました。。。

30年くらい前の日本アルプスの燕岳での後輩の滑落事故から捜索・救命、事故処理や報告に奔走した自分と先輩後輩たちの表情などなど、、、濃密な体験のありとあらゆること、、、、それらは全て忘れていたこと。そして美しい山の写真1枚で思い出すこと、でもありました。

人生は忘れていることと、思い出すことでできているなあ、、、

と思うのでした。加齢に伴い、忘れていることは増えていくわけですが、、爆)
ほんのちょっとの、何かのきっかけで鮮明に大量に思い出すこともあり、人の記憶とは不思議なものです。


お花シリーズ:今年の夏にうちの訪問看護ステーションの事業所のベランダの睡蓮バチで咲いたホテイアオイのお花。こんな美しい花が咲くことを知りませんでした^^。驚き!!

気づけば、2023年もすでに後半。猛暑/酷暑だった夏も終わりに近づき、外はツクツクホーシも鳴き止んだ気配。秋の虫の音が聞こえます。

報告したいことが山ほどあるので明日以降も、1つ1つ日々書いてみたいと思います。


本日は(お正月に書いた)前回の宿題:

父の死と、自分自身の変容の自覚(きざし?) 作品への感度

について。

父が亡くなり、ますます認知症の利用者さんや易怒性の高い(怒りっぽい)高齢男性との関わりがなぜか増えてきているのですが^^;

ご世帯ごと、利用者さんごとにカオスの様相やラビリンスな感じがそれぞれ個性に溢れ、毎回驚かされたり、感銘を受けたり、こちらの想像の幅を大きく広げないと対応できないなあと、メンバー全員と頭を悩ませたり、相談したりな日々、、、

そういう営みの中で、父が認知症を経て亡くなったことの意味や実感みたいなことが少しずつ理解できてきた気がします。父が認知症であった当事者としての自分が、そのまんまな形で認知症の利用者さんと向き合っているご家族と関わること。その意味や意義、みたいなことを日々感じています。

人ごとだったこと、他人事だったことが、自分ごとになっていく。

地域が違って見える、地域の概念が変わってくる、と以前も書いた気がしますが、、、

他者のお困りポイントや認知症家族への感情や実際の生活上の制約や工夫などなど、いろんな要素に、自分の当時の実体験や心情が重なり合っていきます。

その上で、自分たちにできることは何か?考えます。

自分にとっては自分の父のことの先に、全ての認知症の利用者さんたちがいる。

そんな気持ちがあるようです。それはうまく言えませんが、心地よいというか、家族の延長というか、拡張家族というか、そんな感覚をいただいています。

訪問看護を自分にとって「人生の全てを内包してくれる大きなどんぶり」に以前例えました。その感覚を、2年実践を積み重ねてきて、ますます強くしています。

父の死によって自分の中に作っていた様々な制約や「べき論」のようなものがふわっと溶けたような感覚もあります。父の存在は自分のメンタルモデルにも影響があったのかもしれません。。。

最近は、おかげさまで、より自由に、より日々の冒険を楽しみ、自分の内側から湧き出るエネルギーに忠実に生活できている気がします。自分を信じる、ということにもつながっている気がします。

お花シリーズその2:同じく、うちの事業所の睡蓮バチでこの夏咲いてくれた睡蓮の花。今年は暑さのおかげ?か何回も咲いてくれました^^。泥から生まれて美しい花を咲かせるマインドフルネスの象徴。
人の“怒り“をより美しいものや別の表現に変える象徴としても大切にしたいお花です。


忘れていること、認知症の父や利用者さんのこと、それらを思うこと、思い出すこと。そんなことを考えながら秋の夜の虫の音を聴いています。

父の死と訪問看護という「大いなるどんぶり」のおかげで、自分のものの見方が変わり、他者との関係性や地域との関係性が変化変容して、大事にしたいことやこれからの仕事で成し遂げたいこと、作り上げたい場のイメージが変わってきています。

人の死によって、残された人が何か影響を受けて、そしてその変化によって新しいものが生まれ続いていくことがあるとしたら、、、その人の死は意味のあることとして別の何かに引き継がれていることにもなるような気もして、、、全てはつながっていくような気もしています。

自分は、訪問看護事業を通じ、多くの利用者さんの死に接し、伴走(走るというより、ゆっくり歩く道連れ)させていただくことで、ゆったりとゆっくりと父の死を悼むプロセスをいただいているようにも感じます。

人の死とはなんだろう?人の生とはなんだろう?と。

(話がずれますが、この歌を聴いていても同じことを考えます。自分たちはどこからきてどこへいくのか。。。)

映画や漫画や音楽など、日頃接するコンテンツや作品にも、感じることや求めることが変わってきている気もします。ChatGPTのおかげで自分の趣味の外のコンテンツにも触れる機会が増えてきました。コルクラボの勉強会で読んでいる「関係からはじまる」からも多くの学びを得ています。この夏に自由研究課題としていくつかの場づくりの実践の場を見学させてもらいました。こちらも今後の投稿でシェアさせてもらおうと思います。

まとまりませんが、今日はこの辺で。
日々書くことで、自分や仲間たちとの実践の意味や全体像について、一歩ずつ理解を深められたらと思っています^^。

そして探求はつづく。

パプアニューギニア原産、沖縄で育ったデンファレ、ジャックハワイ。今年初めて知ったお花でしたが、自分の中では今一番好きなお花。水切りするとなが〜く元気でいてくれます^^。とても惹かれます。



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