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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #19


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 ミーティスの南にひろがっている野原は、ふだんは牧草地として利用されている。春から秋にかけての時期ならば、羊がのんびりと草をはむ姿を見ることができる長閑な土地である。だが今は、草花たちは一面の銀雪の下で眠りについている最中だ。

 そんな生命なき冷たい世界を、自慢の氷霊銀の槍アイスミスリルスピアを肩にかつぎながら、冒険者サイラスは眠たげな目で眺めていた。

「気の滅入る景色だぜ。月が出てりゃあ、酒でも吞みながら愉しみたいもんだが」

「意外だな」

 ぼそりと呟いたのは、緑がかった黒髪の剣士ヒースである。サイラスはじとりと睨んだ。

「何がだよ」

「雪景色を愉しむなんて概念があんたにあったことが」

「あのなあ。俺をなんだと思ってんだ? こう見えて氷属性クールな男なんだぜ」

「そうか。だからいつも懐が寒いのか?」

 サイラスは思いきり顔をしかめた。この男は声も表情も平坦だから、真面目なのか冗談なのかわからない。

 背後で「うひっくしぃ!」と、くしゃみがまき散らされる音がして、ふたりは振り返った。くしゃみの主はもこもこのローブに身を包んだ少女術師マッハで、鼻をひくつかせて二発目を放とうとしている。

「うへっ、うひっ……くしょおい! んあ゛あ゛~鼻水でるう゛~」

「おいコラやめんか! 何しとるんじゃクソガキ!」

 黒いコートに洟をこすりつけられ、老人がわめく。いくさ屋七代目チェーンウィップ。グランダース地方で十指に入るといわれる歴戦の冒険者も、マッハにかかれば形無しである。

「乙女の鼻からベチャベチャしたもんが出てるのよ。拭ってあげるのが男の役目でしょーが」

「なァにが乙女じゃい。さっきから唾だのなんだの飛び散らかしおってからに。もっと距離を保たんか」

「だって寒すぎるんだもん。雪なんて冷たいし邪魔だし、白いクソみたいなもんだわ。あ~寒い寒い! あっためてよ、おじいさまぁ」

「ええい、密になるな密に!」

 少女と老人はぎゃいぎゃいとじゃれ合った。ヒースは横目でサイラスを見やる。

「あんな感じだと思ってた」

「不名誉だ。金とっていいか?」

 とはいうものの、サイラスの鼻頭もひくついているのは事実だ。グランダース地方でもこのあたりの気候はとくに寒冷である。盛大にまき散らしたくなるのも仕方がない。

 一方で、素肌の半分以上をさらけ出した格好でありながら、まるで平気な者もいた。筋骨隆々の拳闘士デルフィナは、太い腕を組みながら、自慢げに口角をあげる。

「だらしないツラしてるねえ。あたしの熱い筋肉で抱き締めてやろうかい?」

「……遠慮するぜ。火傷しそうだ」

「あたいはお願いしたいのだわぁ」

「あんたは洟ふいてから言いな」

 今度は女ふたりが騒ぎ始めた。サイラスは白い息を吐いて視線をはずし、森のほうを見ている野暮ったい顔の男に目をむける。

「どうだヨーナス。動きはありそうか?」

「そうだなァ。そろそろ準備しといたほうがいいかもしンねェ」

 訛りの強い口調でヨーナスは言った。ふだんと変わらない口ぶりだが、ただでさえひん曲がり気味の背が嵐のあとの穂のようになっていることから、彼もこの寒さは堪えているらしい。

「うまくは言えねンども、どうも森がざわついてる気がすンなァ。嫌な感じだ」

「同感だな」ヒースが言った。「風がかわった。肌がひりつくような気配が混じってきている。この土地のものじゃない」

「そうかい」

 サイラスが頷くと、他の冒険者たちの様子も変じた。弛緩した空気が音もなく引き締められた。

 そもそも何故、交易都市リディアを拠点とする冒険者六名が、ミーティスの雪原にたむろしているのか。当然、依頼クエストである。依頼主は特任騎士アルティナ、そして同業の冒険者レイチェルだ。

 彼女らが言うには、「近日中、ある魔霊術師に操られた魔物の群れが、ミーティスの村を襲撃する可能性が非常にたかい」とのことだった。ミーティスには大富豪ハドルストン率いる私兵隊はあるが、敵方も承知しており、それを凌駕する戦力と作戦をもってくると予想される。神珠教団にも応援を頼んでいるが、襲撃までに動いてくれるとは期待できない。そこで相応の実力者であるサイラスたちに、応援がくるまでのあいだの守備を願いたい──そういうことらしかった。

 実際には、村の防備はハドルストンの私兵が固めている。サイラスらの仕事は守備というよりも邀撃ようげきだ。敵の進軍路上で待ち受け、殲滅し、村に被害がおよぶ可能性を極力排除する。

「予想じゃどれくらいの数がくるって言ってたっけな?」

「おそらく数百。具体的な数は予想できねッて、特任騎士さまは言ってたなァ」

「敵さんが兵力を二、三に分けたとしても、こっちに百以上はくるわけだ」

「ンだなァ」

「それを六人で殲滅しろって……なあ」サイラスは肩をすくめた。おどけるように。「無茶いうぜ、あの姉さんがた」

「『あたしらならできる』って思ってくれたんだろ。滾るじゃないか」

 デルフィナは歯を剝き出しにし、両拳を打ちつけた。彼女の腹筋に抱きつきながら、マッハも笑った。

「そうそう。むしろ過小評価ってもんだわ。この天才術師マッハちゃんにかかりゃ、百匹だろーが千匹だろーが消し炭よ!」

「洟たれ娘が吹かしよるのぉ」ウィップはコートについた粘液をぬぐい終えると、一同を見回した。「……しかし実際、リディアの若手ンなかでも特に優秀といわれる連中ばかりじゃな。あの特任騎士さんも短期間でよう集めたもんじゃ」

「報酬がよかったからな」サイラスは応える。「万単位の賞金、それも一人あたりだ。多少の危険はあっても乗らない理由はないぜ。なあ?」

 サイラスはヒースに水を向けた。彼は頷くが、

「それもあるが、俺が受けたのは……あの二人だったからこそ、だな」

「へえ。ま、どっちも美人だもんな。朴念仁のお前でもコロリとなるか」

「ちがう。俺はあの二人に借りがある。だからそれを返したい。それだけのことだ」

 いっそう小さな声だった。サイラスは片眉をあげ、それ以上からかうのをよした。

 あの二人だったから。サイラスも同じかもしれない。一緒に仕事をする機会はそれほどなかったが、おなじ安宿を根城にする者どうし、レイチェルとはそれなりに縁がある。彼女の朗らかな性格もよく知っている。アルティナも似たようなものだ。美人だが強面の女騎士はしょっちゅう宿をおとずれて、レイチェルと酒を飲み交わしていた。時にはサイラスたちもご相伴にあずかることもあった。

 冒険者は盃を交わして縁をはぐくむ。縁があれば、助けたくなる。そういうものだ。

「カカカ。戦う理由はみな同じじゃな。友人をたすけ、村人をたすけ、ゼニも貰える。冒険者っちゅうのはいい仕事じゃの」

「とくにゼニがね。うひひひっ」

 マッハは指で輪っかをつくった。あんまり下品な顔をしているので、サイラスは吹き出した。

 ひとしきり笑ったあと、彼は、森の方角に体をむけた。

「さあて……やるとすっか」

「ああ。クールにな」

 ヒースが言った。その言葉を皮切りに、冒険者たちは、それぞれの目線を同じほうに向けた。誰もが感じているのだ。戦いの気配を。

 背中から、静かな風が吹いた。雪原を撫で、白い塵がちいさな波のように駆け抜けた。やがてそれが消えたころ──やつらはあらわれた。

 まず飛び出したのは、茶色い毛皮の騎士兎ナイトラビット。ふつうの兎を大きくしただけの愛らしい姿ではあるが、主食は人肉だ。邪悪な巨大凍結ニンジンを槍や剣にみたてて襲ってくる、騎士は騎士でも野蛮な盗賊騎士である。

 次に目についたのはゴブリンの群れ。魔霊術師のあやつる尖兵としてはお約束だ。しかし武装はしっかりとしたもので、武器、盾、軽鎧、どれも鉄製にみえた。魔霊術師が金に糸目をつけずに揃えたか。サイラスは眉間に皺を刻んだ。

 さっと見渡したところ、ミストやアビスのような眷属種がいないのは幸いか。しかし……

「あいつら、黒い角がはえてないかい?」デルフィナが言った。

「そうみたいだな。なにか手を加えたか」

 魔霊術師が魔物を改造するのはたまにある。かつてサイラスたちも、猛禽の魂を植え付けられて有翼化したゴブリンを相手にするはめになり、死ぬ思いをした。どんな性質をもつのか予測しにくいこともあって、場合によっては眷属種よりも厄介になりうる。

「黒い角かァ。何の魂を混ぜたンだべな。あれは……うーン……闇黒一角獣ダークユニコーンか。たぶンそだ」

闇黒一角獣ダークユニコーンだあ? 超希少な幻獣じゃねえか!」サイラスは思わず大声をあげた。「もしそうだとすると、ええっと……どんな性質だ?」

「己の死でさえも怖れぬ怒り。それを支える自己治癒能力」答えたのはマッハだった。珍しく真顔だ。「手足を落としたくらいじゃ止まらないかもしんないわよ」

「クソだな」

 サイラスは眉間の皺をさらに深くし、三度舌打ちした。

 憤怒に駆り立てられた有角の魔物たちがせまる。サイラス、ヒース、ウィップが前衛へ。デルフィナとヨーナスはその後ろ。最奥ではマッハがぴょんと大岩に跳び乗り、雷霊珠の杖サンダーオーブ・ロッドを高々とかかげる。

 そしてその杖からほとばしった雷光が……戦のはじまりを告げた!

《うひひのひひひのうひひひひ》! もひとつついでに《うひひひひ》ーッ!」

 おちょくるような詠唱から繰り出されたのは、まばゆい光の雷球! その数10発! それぞれが放射状にすすみ、電撃の鎖を手近な魔物に結びつける!

「「「ギュギューッ!?」」」

「「「ゴギャババババッ!?」」」

 有角の魔物たちは阿鼻叫喚! だが鎖をすり抜けるものたちもいる。マッハは統率者らしく掌を前方へむけ、サイラスたちに迎撃を命じた。

「さあ出番だわよ男ども! 今のうちにやっちめーッ!」

「はいはいよっと」

 三人の男たちは散開し、走った。

 サイラスは正面から迫りくる武装有角ゴブリン部隊に向かった。足の遅さゆえに電撃をのがれたか。サイラスは力強く踏み込み、前方の雪面すれすれを氷霊銀の槍で薙ぎ払った。

 穂先から凍てつく冷気が走り、有角ゴブリンたちの足に纏わりついた。霊術の霜柱で敵の動きを封じる技、《凍て薙ぎ》である!

 さらに周囲に満ちる雪の霊素を利用して術を強化! 普段なら足首までのところ、膝までを瞬時に冷却し、がっちりと捕らえる! 有角ゴブリンたちは動けない!

「ギギッ!?」

「悪いなゴブリンども。恨むなら雪を恨めよ……なッ!」

 さらなる踏み込みからの、薙ぎ。氷の霊力は槍の穂先に収束し、氷の刃と化している。伸びた間合いと怜悧なる斬撃によって、有角ゴブリンたちは揃って胴体を両断された。一網打尽!

「ギギャァァーッ!」

「おっと!?」

 否、生き残りあり! 運よく霜柱を逃れていた有角ゴブリンは、狂ったように剣を振り回す! サイラスは槍で細かく払いながら後退し、間合いをとろうとする!

「ギッ! ギッ! ギッ! ギアッ!」

「くっ……こいつ……!」

 しかし有角ゴブリンの勢いは尋常のものではない。いくばくかの傷がつこうと一向に意に介さず、ただただ前進を試みるのみ。

 サイラスがいいかげん辟易し始めた、そのとき、彼の後方から、拳大の石が飛来した。

「ギャッ!?」

 石は有角ゴブリンの顔面に命中し、のけぞらせた。サイラスはすかさず反撃。踏み込みからの素早い突きで、黒角ごとゴブリンの額をつらぬいた。引き抜くと、ゴブリンはうつぶせに雪へ斃れた。雪面に血がにじんでいった。

「フゥー……ちと焦ったぜ」

「なっさけないねぇ、三男坊!」

 後方からデルフィナの檄が飛んだ。彼女はたっぷりと集めた石を用い、投げ紐スリングで援護する役割だ。女拳闘士の顔にはありありと不満が浮かんでいる。何でもいいから殴りたいのだろう。

「あたしにこんなつまらない役目を押し付けてんだ。惚れちまうくらい気張って見せな!」

「おうさ。期待してろよ!」

 サイラスは息を吐き、ふたたび走り出……そうとして、つんのめった。忘れてたといわんばかりにデルフィナを振り返り、

「援護、ありがとな。助かったぜ!」

 そう言った。そして今度こそ前を向き、次なる魔物たちへ駆けていった。



【続く】

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