【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #18
雪は凍てついた光の粒なのかもしれない。
幼い頃、そう考えていたことがあったな。静謐なる寒さのなか、クリストファーはそう思い出していた。
獣たちも寝静まった夜の森。しかし辺りは完全な闇でなく、幽かな藍色に染まっていた。降り積もった雪の白さのためだ。
月の光は雲と葉叢にさえぎられ、ここまで降りてきていない。角灯も点けていない。にもかかわらず、一面に敷き詰められた小さな氷の結晶が、夜の底をぼんやりと滲ませている。
「不思議だね。ここが聖なる白き森だからかな?」
「……」
バルドは少し離れたところに立ったまま黙している。独り言のつもりだったから、彼には意味がわからなかったろう。
さくり、さくりと、乾いた雪を踏み歩きながら、冷たい空気をゆっくり吸い込む。
肺を刺すような痛み。血液から熱を奪い、凍てつきそうなほど清らかなもので洗われていく感覚。
この森の空気は昔から変わらない。そう、思いたかった。
だが……違う。この森に救われてきたクリストファーにはわかる。
穢されている。昔ほどの清らかさではなくなっている。光の力が弱まっているのだ。
浅ましき豚に堕したあのカンディアーニは、白き森から産出される光霊珠をひそかに濫獲していた。結果、この地をめぐる霊脈は痩せ衰え、森は聖なる場所ではなくなった。あの男はそうなることを知っていながら、餌欲しさに最悪の愚行に手を出していたのだ。
しかし、奴には裁きが下った。だから奴のことはもういい。
真に許されざるべきは、奴の飼い主──豚と悪魔を金の力で従えて、クリスの両親を、レイチェルの故郷を、己の欲望のために奪い取ったあの男。
ヘクター・ハドルストン。
あの老人が生きている限り、クリストファーの憎悪の熱が冷めることはない。
「会長」
バルドが沈黙を破った。
「ひとつ、お聞きしたいことがあります」
「いいよ。何?」
「何故、あの女に教えたのですか。我々の抱える憎悪のことを」
静かだが、詰問するような口調だった。クリストファーは目を細めた。
「レイチェルのことか」
「……」
「前にも言ったとおりさ。僕の心の弱さゆえだ。君以外にも理解者が欲しかった。特に彼女にはわかっていてほしいと、そう願うのを抑えられなかった」
「本当にそれだけですか」
「何が言いたい?」
「会長は予想しておられたのではありませんか。ミーティスを魔物どもに襲わせると教えたら、あの女は必ず止めにくると」
挑むようなバルドの視線がこちらを突き刺してくる。痛いところを突かれたな、と、クリストファーは目をほそめた。
確かに、彼の言うとおりである。わかってほしいという願いに嘘はなかったが、同時に、わかってもらえないだろうことも十分に承知していた。それどころか、わかってほしくないとさえ思っていたのかもしれない。彼女には自分の憎悪に理解をしめす人間でいてほしくないと。
いま思えば、明らかに矛盾している。バルドの視線が鋭くなるのも道理である。
「なるほど。つまり君は、僕が心変わりしたんじゃないかと思っているわけだ。本当はレイチェルに止めてもらいたがってるんじゃないか、と」
バルドは無言。クリストファーは、ふ、と笑みを零す。
「心配しなくていい。ここまで来て引き返そうだなんて思わないよ。……証拠も見せよう」
クリストファーは懐から、うすい長方形の金属容器をとりだした。
蓋を開けると、中には一本の注射器がしまわれていた。紫色の液体でみたされている。彼は袖をまくり、常人よりなお青白き静脈に針を突き刺し、薬液を注入した。
「うっ……く、うぅ……!」
彼は呻き始めた。
心臓が拍動するたび、闇の霊素が血のなかを巡って、全身の細胞にねむる魂の記憶を呼び起こした。闇黒の霊気が陽炎じみて立ち昇る。見開かれた瞳孔が魔性の紫に濁り輝く。
その薬液は、メイウッド家に代々伝わってきた製法によりつくられたもの。
かつて彼の先祖が手懐けた闇黒一角獣の角を原料とした霊薬である。
一角獣の角は、服用した者に尋常ならざる癒しの力をもたらす。傷害、病毒……肉体的な死をもたらすあらゆるものから遠ざかる力を与えてくれる。ゆえに、昔から多くの者たちが彼らを狩ろうと躍起になった。そしてほとんどが、逆に死に捕まるという皮肉な報酬だけを得た。
一角獣は気性の荒い生き物である。特に清らかでないものに対する嫌悪は甚だしく、欲をもって近付いてくる相手がいれば、それを殺すまで決して憤怒を治めはしない。たとえその末に、己自身を滅ぼすことになろうとも。
闇黒一角獣は、この憤怒の側面がとても強い種族だ。このような伝説がある。娼婦から成り上がったとある富豪が、数十人の手下を使って捕縛しようと試みたが、怒れる魔獣の前に手下は全滅し、女は逃れた。しかし闇黒一角獣は地の果てまで追いかけてきた。そしてその角で女を貫き殺したのち、憤怒を治めた魂はその身から離れ、息絶えた……と。
己の命をも滅ぼす激しい憎悪。それこそが闇黒一角獣の本質であり、クリストファーの本質だ。
この薬は、それを呼び起こす。
「うあ、あ……あああぁぁっ!」
クリストファーは天を仰いだ。その額には、一本の黒い角が生えていた。
彼の中の激情のあらわれ。けだものの証。
「ハァーッ……ハァーッ……」
息を整えながら、蒼白な顔をバルドに向ける。
「これで僕は……闇黒一角獣の化身となった。君のように戦えはしないけれど、この黒角が僕の魂魄を固定してくれる。憎悪があるかぎり命はつづき、命があるかぎり憎悪はつづく。ハドルストンへの、ミーティスの民への憎悪を遂げるまで、この循環はもう止まらない」
「……会長」
「復讐を遂げ、憎悪が消えたその時が、僕の死だ」
伝説のなかの闇黒一角獣と同じように。
「僕の命は奴らを殺すためにある。それ以外は何もいらない。たとえレイチェルが僕を止めるために来たとしても……躊躇なく彼女を殺すよ。そう決めている」
「……」
バルドはしばし黙って、頭を下げた。
「失礼なことを申しました。お許しください」
「いい。君の懸念ももっともだ。むしろ君の方こそ、引き返したっていいんだよ。本来、君には関係ないことなんだから」
「……会長は、かつて俺の復讐を手助けしてくださった。俺も同じことをするだけです」
「懐かしい話をするね」
出会ったころのバルドは、《霧の魔王》の復活をたくらむ魔女を追っていた。もとは光珠派の高名な司教だったというその女は、魔王に魅入られて肉欲に溺れ、街ひとつを差し出すという大罪を犯したらしい。バルドはその女をひどく憎んでいた。クリストファーはその復讐を手伝った。それが彼との始まりだ。
「ずいぶん遠くまで来たものだ」クリストファーはひとりごちる。「いや、違うな。帰ってきてしまっただけだ。とても幸福な遠回りだったけれど……結局、僕たちの魂は、こうなることから逃げられはしないんだろう」
彼は振り返った。
雪明かりに滲む闇のなか、そこには無数の魔物たちが蠢いていた。
ゴブリン。騎士兎。毛むくじゃらの魔猿。種々の武芸を鍛えし竜人兵。樹上には人喰い鴉の群れ。岩と肉とが融合した岩肌巨人。禍々しい深紅の光を明滅させている甲冑のような影は結晶魔人だ。ある切り株のうえでは一匹のオークがどっしりと腰かけ、東方産の鎧の着付けをゴブリンたちに任せている。
ユニコーン騎士団が捕縛してきた魔物たち。その種族はばらばらだが、彼らはみな共通して、一本の角を生やしていた。クリストファーのそれとよく似た角を。
それらもまた、薬によって生やしたもの。真正の一角獣の角をもちいたクリストファーとは違い、彼らに飲ませたのは複製品である。だが効果は実証済みだ。まがい物の闇黒一角獣と化した彼らを《操魔の呪法》によってあやつり、憤怒の尖兵とする。
「メイウッドさん」
ひとりの少年が話しかけてきた。
彼の名はケネト。フィリップ隊に配属されていた冒険者だ。ユニコーン騎士団との契約は事前に全員破棄したが、彼だけは例外だった。彼自身がそれを望んだのだ……脅迫といえる手段を以って。
「俺の仕事を教えてくれ。何だってやるぜ」
「ああ、うん」曖昧に頷きながら、考える。「そうだね。ひとまず君は、森のなかで待機してもらう。僕の護衛だ」
「護衛なら、その人がいるじゃないか」
ケネトはやや不満そうな顔だ。彼はこの場で薬を服用していない唯一の存在だが、その目は誰よりも荒んでいる。
「バルドは常に僕のそばについてもらう。君はもう少し離れた位置にいて、僕に近付こうとする存在を察知したら《ささやく翡翠》で報せてくれ」
「こんな森の奥までくるやつが?」
「いる。きっとくる」
ケネトは少しの沈黙のあと、渋々と頷いた。
「わかった。見つけたらあんたに報告して、そいつを止めればいいんだな」
「いや、報告だけでいいよ。君は自分の安全を……」
「だが、殺せそうなら殺しちまっていいんだろ?」
「……やめた方がいい。はっきり言うけど、君には荷が重い」
「やってみなきゃわからないだろ」
クリストファーは眉をひそめた。
この少年には金を稼がなければならない切実な事情がある。そういう冒険者が、点数稼ぎのために前のめりになるのは普通のことだ。だがクリストファーはもとよりすべてを捨てるつもりだったから、すでに十分すぎるほどの金を渡してあった。この少年の、必死というより捨て鉢な姿勢はどこからくるのだろう。いったい何を求めている?
「とにかく君の役目はそれだけだ。金糸雀色、もしくは白い髪の修道女を見つけたら、報告して素通りさせてくれ。バルドが始末する」
「白い髪の……修道女?」
「そうだ。何か?」
「……いや、何でもない。仕事はするさ」
ケネトは踵を返し、離れていった。
「本当にあの少年を連れていてよろしいのですか」
バルドが小声で言った。息を吐き、クリストファーも小声で応えた。
「仕方ないだろう。こっちは脅迫されてるんだ」
「俺がどうとでもします」
「そういう物騒な気持ちは敵のためにとっておいたら」
「だからです。あの少年、ハドルストンの間者ではありませんか?」バルドはいっそう声を低くした。「金目当てならすでに目的は達したはず。にもかかわらず、危険な仕事にみずから同行することを望むなど……」
「うん、まあ、そう考えるのが自然だよね」クリストファーは認めた。「でもそれはないと思うんだ。彼は演技とか隠し事とか、しようとして失敗するタイプだよ。あの荒み具合は本物だ。根拠はないけど」
「だとしても素直に聞くことはないのでは」
「それもそうなんだけどね」
なぜ彼の要求を鵜呑みにしたのか。クリストファー自身もそれをはかりかねている。彼のことを思うなら、ほかの仲間たちと同様、金だけ渡して突き放すべきなのだろう。だがそうしなかった。そうすることが、彼にとって、そして彼の大切な人にとって、より悪い事態になるような、そんな気がしたのだ。これも根拠はないが。
そこまで考えて、クリストファーは笑みをこぼした。自嘲の笑みだ。バルドが訝しげにした。
「いや……自分が可笑しくてさ。化身だの何だの言っておいて、人間じみたことを考えてるなって」
「……」
「もういい。考えるのはやめだ。僕らは憎悪に狂った憤怒の獣。ただただ滅びに向かって突っ走ろう」
「はい」
クリストファーは魔物たちの方へ向きなおった。
無数の眼差しが彼を見る。クリストファーと同じ、魔を宿した眼差し。だが仲間意識など欠片もない。それどころか互いも憎悪を向ける相手同士だ。そのぶん、躊躇なく使い捨てられる。
「さあ、魔物たちよ。この世に生まれ落ちるべきでなかった者どもよ」
彼の黒角が、妖しくひかった。体中に魔と闇の霊力が満ちた。
「僕の憎悪を代弁してきてくれ。憤怒のおもむくまま、立ちはだかるものすべてを屠れ。そして死ね。僕とともに」
彼はゆるりと右手を伸ばした。
魔の霊力が、呪法の波となって拡散する。魔物たちの角と共鳴する。植え付けられた感情に操られ、彼らは幽鬼のように立ち上がり、その眼差しを北へとむけた。
滅ぼすべき者どもの方角へ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
有角の魔物たちは、三つの部隊に別れて進軍を開始した。
イラの村……いまはミーティスと名をかえたその土地は、南と東を草原にさらし、北を川に、西を白き森にまもらせている。クリストファーらがいる場所は、村から見て南西の森のなかだ。二つの部隊は森から草原に出て、片方はまっすぐ村の南側、もう片方はぐるりと回って東側をめざす。
そして三つ目は、南北にのびた白き森を北上し、西側から奇襲をしかける部隊である。
聖光の霊気にみちていた白き森は、本来、魔物の侵入など許されない領域であった。しかし光霊珠の濫獲はそれを可能にしてしまった。この事実に住民はまだ気付いていない。人の手で踏みにじられた聖域より押しよせた魔物によって、彼らは殺戮されるのだ。
奇襲部隊は、武装したゴブリンや竜人兵を中心とした数十匹ほどで構成されている。部隊といっても、《操魔の呪法》による支配は限定的であり、その足並みに統一感はない。
特に目立つのが、一匹の有角ゴブリンだ。己の膝まで積もった雪を乱雑に蹴り散らしながら、他の魔物より突出して先に進んでいる。もともと攻撃的な個体なのだろう。
「ミギギギ……ミゲッ!?」
と、有角ゴブリンは唐突に、雪のなかへうつぶせに倒れた。
顔を上げ、苛立たしげに唸った。彼は自分の脚をとったものの正体を確かめようと、振り返った。
手だった。女の。
雪の下からのびた女の手が、足首をつかんでいる。
「ギッ……!?」
有角ゴブリンは後続へ警告の声を張り上げようとした。しかしその声は無惨に潰れた。
かぶっていた雪をぼそぼそと落としながら、潜んでいた者が立ち上がる。白い光のような影。
「ギギッ!?」「シィィッ」
異常を察知した数匹の有角ゴブリンと有角竜人兵が走り出した。
駆け寄ったとき、白い光の気配はすでになかった。あったのは、角ごと頭部を砕かれたゴブリンの死体だけだ。いかに一角獣の治癒の力があろうと、即死すれば意味はない。
「シィィ……ッ!」「ギギギッ!」
「ウキャーッ!」
魔物たちが警戒態勢に入るなか、有角の魔猿がするすると樹をのぼっていく。程よい高さの枝にのると、血走った目を地上にすべらせた。そこから次々と枝を飛び移り、それを繰り返した。
「ウキィー……!」
しかしいくら探しても見つからない。足跡すらない。魔猿はさらに身を乗り出し、目を凝らした。
ぬう、と。
その頭上の葉叢から手が伸びて、魔猿をつかみ、引きずり込んだ。
「ウキッ!? ウキャアアアァァァーッ!?」
断末魔がひびきわたった。
他の魔物たちは弾かれたように振り返った。魔猿のいた樹を囲むように近付いていく。
そこへ複数の物体が落下してきた。
魔物たちは武器を構えながら、それを観察した。
落下してきたのは……分割された魔猿の死体だった。腕、脚、胴体、首。計六つの部位が、凄まじい力で引きちぎられている。断面の肉がまだ生命の残滓にふるえていた。
魔物たちは後ずさり、樹上を見上げ、警戒した。恐怖は黒角がもたらす憤怒で塗りつぶされた。まだ姿も見えない敵への殺意を高めながら、武器をにぎる腕に力を入れる。
そして修道女は降り立った。
有角竜人槍兵の身体が、とつぜんに裂けた。落下と同時に爪をたたきつけられたのだ。両隣の有角竜人剣士が反応したが、つむじ風のごとく振るわれた爪が彼らの首を跳ね飛ばした。白い長髪が血飛沫をかわし、夜に舞った。
「ギギッ!?」「シャアッ!!」
有角の魔物たちがいっせいに振り向いた。
白い髪の修道女は、憎悪にみちた視線を一身に受け、睨みかえした。
「怒ってるんだね。お前たち」レイチェルは言った。「私はもっと怒ってる」
彼女の姿がかき消えた。
殺戮の白い光が、縦横無尽に魔物たちを裂いた。
彼女の戦いはきわめて単純なものだった。強く、素早く、急所をねらう。一撃で頭をくだき、風のように首を刈る。奪った剣で心臓を刺す。剣が折れれば槍で。両手が塞がれば蹴りで、あるいは牙で。すべてが回避不能な致命の一撃。白い光が吹き荒れるたび、魔物たちはなすすべなく血肉をまき散らす。
否。対応できているものもいる。深淵の赤黒い血で肌をそめた竜人双剣兵だけは、白い光を目で追えていた。そのうえ他の魔物たちが攻撃されている隙をつき、幾度かの斬撃を浴びせることにも成功していた。
とはいえ、レイチェルの肉体はかすり傷程度ならすぐさま癒してしまう。尋常ならざる治癒力を持つもの同士、たがいに意味を持つのは致命の一撃のみ。竜人双剣兵はそれを悟り、賭けに出る!
「シィィィッ!」
竜人双剣兵はおおきく双剣を振りかぶり、クロス状に斬りかかった。レイチェルは大樹を背にしており、躱す場所はない。襲いくるふたつの刃をそれぞれの指ではさみ、止めた。
だがそれこそが竜人双剣兵のねらいだった。彼はがぱりと顎をひらき、黄土色の息吹を吐き出した!
「シャアアァァァーッ!」
「……ッ!」
レイチェルは正面からそれを浴びた。彼女は目と口をとじながら前方に脚を突き出すが、竜人双剣兵はすでに身をひき、後方転回で距離をとっていた。
吹きつけたのは強烈な麻痺毒の息吹である。常人なら皮膚に触れるだけで手足がしびれ、まともに吸えば瞬時に心停止する。いかに癒しの力もつレイチェルであろうと動きが鈍るのは必至!
竜人双剣兵は身体をねじり、必殺の構えをとった。
レイチェルは殺意おとろえぬ目で睨みつけた。そして痺れる躰を無理やりに動かし、かぎ爪でえぐり取るように地を撫で、雪煙を巻き起こした!
「シィィィ……ッ」
竜人双剣兵は構えを維持したまま、油断なく様子をうかがう。
煙幕にまぎれて奇襲するか。それとも逃げるか。どちらにせよ今までのようには動けまい。雪煙が晴れるころには決着がつく……!
ゆらり。白い光が浮かび上がった。左前方。
竜人双剣兵はおどりかかった!
「シィィィィヤッ!!」
裂帛の叫びとともに放たれた双撃が、鈴の音のように風を裂いた。
だが裂いたのはそれだけだった。
竜人双剣兵は目を剥いた。たしかに光はここにあった。見間違いなどありえぬ。まさか、幻影?
逡巡する刹那、彼の耳は木々のざわめきを捉えた気がした。森の息づく音だった。己を惑わせたものの正体を、しかし、彼が掴むことはなかった。頭上に跳び上がっていたレイチェルの垂直踵落としが、彼の頭を粉々にくだいた。衝撃波が雪を円環状に波立たせた。
「GRRRR……」
レイチェルは低く唸りながら、あたりを探る。
もう命の気配はない。あるのは自分がまき散らした血肉の臭い。そして凍てつく空気にかすかに混じる、懐かしいにおい。
それを確かめると、彼女は迷いのない足取りで進みだした。
めざすは南。殺すべき友のにおいはそこにある。
【続く】
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