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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #27
冒険者と黒角の魔物たちがぶつかり合う戦場を、ミンミは樹に手をついて寄り添いながら眺めていた。
「どうしよう……。どうしたらいいの……?」
少女の心には、不安と混乱の嵐が吹き荒れていた。視界がぐにゃぐにゃする。鼓動は加速しながらも、沈むように重くなっていく。
冒険者の味方をするべきなのだろう。かつてミンミは魔物をあやつる力を悪人に利用され、人殺しをさせられていた。大嫌いな記憶だ。けれど、同じ力でその反対のことをするのは気持ちが良い。クリストファーがそれを教えてくれた。だからミンミは、人を守るために魔物をあやつる術師となった。
だが、あの黒角の軍勢は……そのクリストファーが差し向けたものだ。ミンミにはそれがわかる。
ミンミに人としての命をくれた彼が、あの悪人たちと同じことをしているというのか。
そんなはずはない。絶対に違う。
これはクリストファーの復讐だ。ミンミが《ベルフェゴルの魔宮》を、エメリを傷つけた奴らを殺したのと同じだ。ミーティスという村のことは何一つ知らないが、きっと彼の心を深く傷つけるような、ひどいことをしたに違いない。だったら彼の味方をするべきだ。彼は恩人なのだから。
……そう短絡的に信じられたら、どれだけ楽だろう。
「わかんない……私……!」
相反するふたつの理に責め立てられ、ミンミは項垂れた。呼吸が荒れる。煙を吸ったみたいに胸が苦しい。そして彼女を責めるのはそれだけではなかった。もっと深く、魂の底から、彼女を突き動かそうとする衝動がある。それが力づくで心の天秤を傾けようとしている。ミンミの理性はそれに抗う。
「苦しい……苦しいよ……誰か……!」
少女の呻きに気付くものはない。
「「「キュキューッ!!」」」
邪悪な有角ナイトラビットたちが一斉に跳び上がり、邪悪な巨大凍結ニンジンランスを一斉に投擲した。ニンジンランスは楔のように雪原に突き刺さった。ナイトラビットたちはそこへ着地、飛び石めいて渡り、冒険者たちへ襲いかかった!
「キュヤーッ!」
「ちッ!」「……!」
サイラスは槍で払い、ヒースは斬撃で裂いて凌ぐ。《凍てつく風の絨毯》は足下の自由を奪う攻撃。その弱点を突かれた。上方の有利は奴らにある!
「キューッ!」「キュキューッ!」
「クソッ! こいつらキリがねえ!」
サイラスは毒づく。黒角の魔物たちは半端な傷では止められない。心臓を貫いても、半身を斬り落としても、死にゆく躰を執念で動かし、鋭い牙や角で反撃してくる。そうしている間に第二陣がニンジンの足場を渡ってくる!
「キューッ!」「キューッ、きゅ?」
ニンジンソード垂直斬りを繰り出そうとした数匹のナイトラビットは、しかし、空中で糸がほどけるようにボタボタと落下した。
何が起きたのか、サイラスにはわかった。毒草煙を吸ったのだ。
「ヨーナス!」
「悪ィが次で最後の一服だァ。あとは、ゴホッ、頼むべ」
そう言って、ヨーナスはパイプを思い切り吸った。そして大きく猫背を反らし、紫煙を吐き出した。進行ルートを定められたナイトラビットたちに躱すすべはなく、次々と足場ニンジンから落下し、無数の死出虫に喰われる幻覚にのたうち回る。そこへサイラスが一匹一匹にとどめを刺していった。
彼はヒースに叫んだ。
「次の波が来るぞ! お前が足場を崩せッ!」
「ああ!」
ヒースは《風の靴》を履き、駈け出した。稲妻のような軌道を描く剣閃が、足場ニンジンの根元を次々と砕いていく。ヒースが足を止めるのと、煙が晴れるのと、ナイトラビット第三陣が降下してくるのはほぼ同時だった。
「「「キュキューッ!!」」」
足場を失おうと、ナイトラビットたちの剣気は曇らず! ヒースは振りかえらないまま、背後に声をあげる!
「サイラス! やるぞ!」
「おうよ!」
サイラスは、全力の《凍て薙ぎ》を以って応えた。ヒースはその場で高速回転、履いていた《風の靴》を《風の絨毯》へと転化した。風と冷気は渦巻きながら《凍てつく風の絨毯》となり、着地した瞬間のナイトラビットたちを根こそぎ捕らえた。
「キュキュッ!?」
「はあああッ!」
渦の中心で冷気を逃れていたヒースは、己の風に吸い寄せられるようにして、氷上を滑った。そして流麗な剣さばきで、ナイトラビットたちの首を落としていった。その姿、さながら氷上の剣舞踏家がごとし。
すべての兎の首を刎ねたところで、ヒースは膝をつき、息を荒げた。消耗にかすむ目で、南を見る。
「後続は……尽きたか……?」
ナイトラビットの部隊は見えない。小鬼も、竜人兵も。ようやく、ようやく軍勢の底が見えた実感に、彼は一瞬、意識を手放しそうになった。
その肩を、ぽんと叩く者があった。サイラスだった。
「俺もそうしたいとこだがよ。ここは寝るには寒すぎる。もう少し気張ろうぜ」
「ああ」ヒースは彼の手を借り、立ち上がった。「まだデルフィナたちが戦ってる。俺たちも……」
その時だった。彼は南の森から、何かの影がのそのそと歩いてくるのを認めた。人型で、体格が大きく、そして見慣れぬ甲冑を着込んだ影……。
「雄雄雄雄雄雄──ッ!!」
影は大音声で張り叫んだ。己の存在を、この場の全員に知らしめるために。その目論見は成った。
雪の白さに浮かび上がった甲冑は、禍々しい赤黒だった。ヒースはその形に見覚えがあった。はるか東洋の、刀を使う戦士が着るという甲冑だ。だが中身は人間ではない。兜と面頬の隙間から覗くのは黒角と、戦意に満ちた黄色の眼。濃緑の肌。
有角の侍悪鬼である。
「我、鬼首雄九郎也! 強者どもよ! 血戦を所望するッ!!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ぬうん!」
バルドの振り上げた裏拳が、レイチェルの躰を殴り払った。レイチェルは一度跳ね、雪に膝と鉤爪を立てて滑り、やがて停まった。
両者は睨み合った。
レイチェルとクリスの瞳は互いによく似た紫色。殺意で染め上げた視線が交錯する。言葉もなく、それぞれの意志を交わし合う。
そこにバルドが割って入った。
「会長」
「……うん。任せた」
クリスは数歩下がる。バルドが太い右足をゆっくりと持ち上げ、強く地面を踏む。地霊術の波動が地中を巡り、四枚の《ストーンウォール》が雪を割って生え、四角錐陵墓のようにクリスを囲った。
「会長は殺させんぞ、裏切者め。故郷を陵辱した連中に尻を向ける売女め」
バルドの声は憎悪に軋んでいた。
「なぜお前はそちらに立つ。お前の故郷を奪った強欲爺を許すというのか。お前の森を喰い荒らす豚どもを許すというのか。なぜだ、レイチェル!」
「怒ってるから」レイチェルは言った。「あんたたちに」
彼女は立ち上がる。無音の風が吹き、真っ白な髪を揺らす。
「私はいつだって私自身の怒りに従う。私の神様の声に従う。裏切者? ふざけるな。私になんの幻を見てる?」
「……お前は俺たちと同じと思っていた。憤怒の獣だと」
「そうかもしれない。でもそれを決めるのはあんたじゃない」
レイチェルは睨む。
「あんたは決めちゃったんだね。自分が獣だって」
「そうだ。俺たちは一角獣だ。憤怒のままに、憎悪のままに、お前もあの村も踏み潰してやる」
「獣のくせに恨み言か」レイチェルは前傾姿勢をとった。「あんたは人だよ、バルド。私がそう決めてやる」
びきり。バルドの筋肉が膨れ上がった。
レイチェルは走り出した。
髪が後方になびき、白い風となる。レイチェルは跳ぶ。振り上げた鉤爪を、バルドの頭に叩きつける。
だが、それは届かなかった。
レイチェルは空中で眼を見開いた。手のひらを貫かれている。バルドの額から生えた、黒い角に。
「確かに。獣に言葉など不要だったな」
バルドが静かに言った。凄絶な眼光がレイチェルを見上げている。
レイチェルは本能で危険を察した。バルドの胸板を蹴り、ふたたび距離をとった。バルドは小揺るぎもしなかった。
いまやバルドの躰は一回りも大きく、異様なものとなっていた。闇の霊気を放出しながら膨張した上半身は、文字通り服をはち切り、黒々とした筋肉を外気にさらした。悪魔的だった。その証は、顔にもあらわれていた。
彼の頭部は人の形状を失って……憤怒に歯を食いしばり、憎悪の黒に眼を染めた、闇黒一角獣のそれとなっていた。
人の躰に一角獣の頭。楽聖馬頭鬼めいたその姿。レイチェルは慄いた。怖れにではなく、己の魂が共鳴していることに。
「もはや語りは終いだ。相容れぬ二匹の獣として、ただただ殺し合うとしよう。魔女を殺したあの日のように!」
バルドは突進した。
レイチェルは横に躱そうとした。しかし、肩が、何かにぶつかった。樹ではない。土の壁だ。闇の霊気でみっちりと隙間を埋めた、アースウォール。
「ぬうううん!!」
バルドが拳を振り抜いた。左腕の骨が砕け、土の壁が砕け、レイチェルの躰は吹っ飛んだ。
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