【けだものは神に祈るのか?】 #3
「けえぇぇッ!」
「なッ」
咄嗟のことに、ドアに一番近い位置にいたケネトは反応できなかった。エメリも同様だ。レイチェルだけが例外だった。
彼女は一瞬で椅子を引き、腰を上げながら、半分ほど残されたシチュー皿を手にし、男の顔面に向かって投げつけた。
「ぶげッ」
「えいっ!」
そのまま間合いを詰め、つま先で男の股間を思い切り蹴り上げる。男はシチュー塗れの顔で声もなく悶絶し、その場に崩れ落ちた。
「二人とも立って!」レイチェルは後退しながら言った。「まだ来ますよ!」
「んだオラァァァッ!」
意味のない罵声を轟かせながら、両手に短剣を手にした二人の男が流れ込んでくる。今度はケネトたちも怯まなかった。
ケネトは自分の椅子に立てかけていた剣を手に取り、突進してくる男に向けて、鞘に収めたままの剣先を鳩尾に突き入れた。「うげっ」とうずくまった男のうなじに柄を叩きつける。男はうつ伏せで動かなくなった。
エメリを見る。彼女は村長を守るように立ち、もう一人の男と向かい合っていた。男が飛び掛かってくる直前、その側面に転がり込み、すれ違いざまに鳥の文様の短剣で足首を斬った。
「痛ッ……つァァッ!」男はテーブルの上の料理を巻き込みながら床に倒れた。「こん、の、クソガキぃ! よくもやりやがっ」
「うるっせぇぞ!」
喚く男のこめかみに向け、ケネトが剣の鞘を振り下ろす。三度で男は気絶した。ケネトは肩で息をし、額から汗を流していた。
「くそっ、何なんだこいつら」手の甲で汗を拭い、村長を振り返る。「村長さんッ! こりゃ一体どういうこった!?」
「わ、わ、わ」村長は壁に背を付け、痙攣したように首を振り続けた。「儂は知らん! そいつらはむ、村のもんじゃない! わ、儂は、儂は」
ケネトは舌打ちし、脱いでいた手甲を装備しつつ入り口まで駆け寄った。身を出さぬようにしながら、外を窺う。
「ひっ……! お、お許し、お許しくだせぇ、どうか……」
腰を抜かして震えている男がすぐ傍にいた。見覚えがあると思って目を凝らすと、門番の男だった。さっきドアを叩いたのもこの男だろう。連中が脅してやらせたか。
「おい、あんた、早く中へ!」
「ひ、ひいぃ」男は這いずりながら家の中へ入った。
夜は深けていたが、月明かりと篝火のおかげでいくらか見通しやすい。あちこちに人影がある。こちらを睨む複数の殺気。どう考えても村人のものではない。
「山賊団か……? このタイミングでかよ」
ツイてない、と零しかけて、ふと、違和感がよぎった。
襲おうとした村に冒険者が来たのを察して、門番を脅迫して利用し、奇襲をかける。そうして邪魔者を始末してから略奪を開始する。そういうことなのだろうが……すんなり行き過ぎてはいないか。ケネトたちの存在を察したのが偶然だとしても、何かが……。
経験不足ゆえか、奇襲された緊張が災いしてか、ケネトの思考はそれ以上まとまらなかった。どのみち迎撃するしかないのだ。目の前のことに集中しろと、己に言い聞かせる。
そのとき、家の周囲を囲むように、うすぼんやりとした光が立ち上ってきた。敵の攻撃霊術かと警戒したが、どうやら違う。彼は振り返った。
「レイチェルさん?」
「《守護壁の祈り》です」両手を組んだまま彼女は答えた。「この家を半球状に取り囲みました。物理的な攻撃なら、いくらか凌げます」
その後ろで、奇襲してきた三人をエメリが手際よく縄で縛り上げている。彼女は村長に問うた。
「村長さん、屋根には上がれそう?」
「あ……は、はい。向こうの部屋から」
「ケネト、あんた、打って出るんでしょ?」
「もちろんだ。他の民家が襲われるかもしれない。こもってるわけにゃいかねえよな」
「援護する。視覚外からの攻撃は任せて」
「頼んだ」彼は頷き、レイチェルに向き直った。「確認させてくれ。あんたの《癒しの祈り》とやらは……」
「あそこの畑くらいまでなら届きます」レイチェルは先んじて答える。「とは言っても、離れるほどに効果は薄まりますから、注意してください」
「分かった。必要があったらあんたも出てくれ」
「どうかお気を付けて」
三人は頷き合う。エメリは村長とともに奥の部屋へ、レイチェルはその場で祈り、ケネトは外へ飛び出した。
新調したばかりのはがねの剣を鞘から抜き、構える。周囲を見回す。
手斧や短剣、曲刀を手にした賊が多数。弓手もいる。見える範囲の総数はおそらく二十前後。術士は確認できない。一人、異様に肉のついた上半身裸の巨漢がいる。武器は手にしていないが、注意すべきか。
そして村の入り口。傷だらけの体格を誇るような男がいた。異様な大きさの剣を片手で持ち上げ、肩を叩いている。一目瞭然。あれが頭領だ。
「チッ、やっぱり失敗してやがったか。使えないカスどもめ」
頭領の男は忌々し気に吐き捨て、低く濁った声を張り上げた。
「ナメた真似してくれるじゃねえか坊ちゃんよォ! どう落とし前つけてくれンだ、えェッ!?」
「こっちの台詞だぜ!」気圧されないよう、ケネトは叫び返す。「薄汚い賊どもめ。お前ら全員やっつけてやる!」
「はッ。西の国でちったァ鳴らした俺たち《オニキスの蠍》を、たった三人でか? そいつはちっとばかし無茶ってヤツじゃねえかなァ」
頭領は挑発するように手招きした。
「なァ、冷静になろうや。取引しようぜ。坊ちゃんの連れは二人とも女なんだろ? そいつら差し出しゃあ、坊ちゃんは身ぐるみ剥ぐ程度で許してやるよ。処女だとなおいいンだが、どうなンだ?」
他の賊どもの笑いがそこかしこから聞こえてくる。「下衆どもめ」と歯軋りする奥で呟き、ケネトはそれ以上の会話を打ち切った。
夜の空気を裂き、矢が飛んでくる。光の守護壁がそれを弾いた。その音が狼煙となった。
囲んでいた賊どもが一斉に飛び掛かってくる。
出鼻を挫くため、ケネトはあえて壁の外に踏み込んだ。曲刀を大上段に構えて隙を晒す賊の首に狙いをつけ、裂く。
「かッ……」
血が噴き出る前に横へ跳ぶ。
その先に手斧の賊。予期せず目標が移動したことで動きが止まっている。まず左足で着地、右足で力強く踏み込み、賊の顔に剣を振り下ろした。頭蓋を砕く感触の後、鼻筋を滑らす。
「あ、兄貴ッ! てめえよくもォッ!」両手に短剣の賊が叫んだ。
「おっと、そいつぁ悪かったな。お詫びにお前も後を追わせてやるよ」
ケネトは己を強いてタフに振る舞う。賊が怒りの咆哮を挙げ、しゃにむに突っ込んでくる。
迎え撃とうとした所で、風切り音を察知。反射的に身を屈ませる。頭があった場所を賊の矢が通過した。
ケネトは舌打ちしつつ、崩れた体勢で剣を縦に構え、襲い来る賊の短剣を受けた。
「ぎゃっ!」遠くで短い悲鳴。ごろごろと転がり落ちる気配。エメリが屋根上の弓手を射たのだろう。頼りになるヤツ、と言いたいが、あと一瞬だけ早くしてほしかった。
「死ね、死ねやこのガキッ!」
「ちっ……!」
兄貴の雪辱を晴らさんと、賊は血走った目で短剣を振り回す。挑発して御しやすくする作戦だったが、横入りのせいで裏目に出た。反撃する隙がない。
遂に均衡は崩れ、賊の短剣がケネトの左肩に突き刺さる。痛みが走るが、同時にそれは好機であった。
刺してきた腕を刺された腕で掴み、固定する。右から切りかかる短剣は手甲で弾く。やっと生まれた隙。間髪入れず、頭突きを喰らわせた。
「ぶっぐ……!」
鼻を潰され、賊はのけぞる。ケネトは刺さった短剣を抜き、右手の剣で鳩尾を貫いた。
「ゴボッ」
「ようやく詫びれたぜ」
もはや返事もできない賊を蹴り、剣を抜いた。
左肩の傷に触れる。筋は傷付いていないが、剣を握る力は確実に弱まるだろう。少しまずい。
そう思っていると、ぼんやりとした光が傷口を包んだ。痛みが引いていく実感。レイチェルの術だ。
「すげえな。期待以上だ」
癒しの霊術は多くの場合、対象と直接触れるほどでないと十分な効果を発揮できないと聞く。だがレイチェルの《癒しの祈り》は、円環状の広い範囲に渡り、術印を施した複数の対象へ同時に力を行使できるらしい。門外漢だが、かなり高度な術であることは確かだ。
ものの数秒も待たずに傷は塞がってしまった。大した傷でなかったとはいえ、この治癒速度もかなりのものだ。最初の奇襲も彼女の反応は速かった。経験を積んだ冒険者はさすがに違う。
(とはいえ、致命傷を喰らえばさすがに生き返れない。気ィ締めなきゃな)
ケネトは両手で剣を構え直す。勢いづいていた賊どもは、一転してじりじりと間合いをはかっている。思わぬ反撃にビビったか。
これまで背を向けていた方にちらりと目を向けると、首筋に矢を突き立てた賊が二人倒れていた。幼馴染への感謝の言葉は胸の中にしまい込んだ。
一方、離れた場所で戦況を眺める頭領は、徐々に苛立ちを濃くしていた。
「けッ、ガキどもめ。手こずらせやがる」
先遣隊を含め、既に手駒を八人とられている。この調子だともっと増えるだろう。数では圧倒的に勝るとはいえ、所詮は有象無象の集まり。やはり最初の奇襲が失敗したのが手痛い。
剣士の小僧ひとりなら問題はない。厄介なのは、屋根の上から的確に援護する弓手だ。それを排除しようにも、術の壁に阻まれて飛び道具は届かない。ならば力尽くで壁をこじ開けるか。否、その前に陣取る小僧が邪魔だ。
奴らの連携がうまいこと噛み合っている。それは認めざるを得ない。自分が行けば小僧一匹など問題にしないが、弓矢に射抜かれる危険がある。高見の座を捨てるつもりはさらさらなかった。
そうとも、厄介事は他の連中に押し付け、自分は安全に旨い汁をすする。これまでそれで上手くいってきた。何故こんなことになっている? 連中がちゃんと働かないせいだ。頭領は忌々しさに頬を吊り上げた。
「おおぉぉいッ! 日和ってんじゃねぇぞてめェらあァァッ!!」腹の底から蛮声を張り上げ、村中に轟かせる。「しゃんとしねェと、どうなるか分かってんだろうなあァァッ!?」
屋根上にまで響く大音声に、エメリは顔をしかめた。
「ああやって手下を恐怖で従わせてるってわけね」
大嫌いな人種だ。村の監督官を思い出す。あの威張り散らしのクソ野郎。あいつのせいで、ケネトの父は……!
ふつふつと湧き上がる感情を、首を振って払いのける。今は関係ない。ケネトを援護しなければ。
地上を見下ろす。彼は半裸の巨漢と向き合っていた。
「お、おガしら、おゴってる。おゴってるよおゥ」巨漢は粘性の高い怯えた声を出す。「お前、さっさとどけよおゥ。どいて、オデたちに娘ッゴさ寄ゴせよおゥ」
「嫌だね。力づくでどかしてみろよ。できるもんならな」
ケネトは挑発した。巨漢は「がああゥ!」と唾を吐き散らしながら襲いかかる。
彼は丸太のような腕を躱しながら、エメリに視線を送った。
血脂にまみれた剣じゃこいつはやれない。お前に任せる。そんなところか。
「ったく人使いの荒い……。あたしがいないと駄目なんだから、ホント」
エメリは笑みを浮かべて呟いた。ケネトを邪魔しようとする賊を牽制しながら、巨漢の頭を狙う。
「エ、エメリさん」
後ろから呼び掛けてくる声。村長だ。危ないから屋内に戻るように言ったのだが。
エメリは振り向かないまま返事した。
「何? いま大事なところだから。手短に」
「すみませぬ」村長は謝った。その声は震えていた。「本当に……、すみませぬ。恨んで下され」
「……?」
訝しみ、振り返ろうとする。
その背中に衝撃を感じた。
視界が回る。転げ落ちている。停まった思考と裏腹に、現象は容赦なくエメリを動かす。
手にしていた矢を屋根に突き刺して抵抗する、が、むなしく折れた。ふわりと宙に放り出され、一瞬後、右半身に強い衝撃。地面に叩きつけられたのだと遅れて認識する。
「う、ぅ……なん……」
なんで、と呟こうとして、数人の賊に囲まれていることに気付く。守護壁の外。
ナイフを抜こうとした。暴力がそれを遮った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?