見出し画像

【けだものは神に祈るのか?】 #4


【総合目次】

← #3



「あぐっ! うあっ、ああっ! やめ、やめろぉぉ……っ!」

 聞こえてくるはずのない悲鳴と打撃音に、ケネトは振り返ることを止められなかった。

「エメリッ!」

「うがううゥゥッ!」

「ッ!」

 巨漢の右フック。左腕を盾にするが、衝撃に吹っ飛ばされる。ケネトは地面を二度跳ね、ごろごろと転がった。

「かはっ……! ち、くしょ……ッ」

 拳を地につけ、体を持ち上げようとする。

 自分のいる位置はおそらく畑の外。《癒しの祈り》の範囲外だ。極めてまずい。そんなことよりもケネトを打ちのめしたのは、後ろ手に拘束されてもがくエメリの姿だった。屋根上にいたはずのあいつが、何故。

「離せ、離せよクソ野郎どもッ!」エメリは身をよじらせて騒ぎ立てる。

「うるせえ。大人しくしとけや」

 賊の一人が彼女の鳩尾を殴りつけた。ケネトは「やめろ」と叫ぼうとしたが、背中を踏み潰されて叶わなかった。いつの間にか自分も囲まれている。

「よくもまあ、引っ掻き回してくれたもんだよなァ」ケネトを踏み躙りながら、賊は嗤う。「お頭ァ! こいつどうします?」

 ケネトは歯軋りしながらも何とか抵抗しようとした。しかし背中だけでなく両手も押さえつけられ、手にした武器も奪い取られた。痛みと悔しさで震える他、できることはなかった。

「術師でもない男だからなァ。憂さ晴らしに首ィ落としちまうか。……いや、やっぱ待て」

 にやついた笑みを取り戻した頭領は、相変わらず遠くの位置から言う。

「おい、中にいる奴! お仲間は二人ともこっちが捕らえた! こいつらを殺されたくなけりゃあ、術を解いて出てこいや!」


 その声に、レイチェルの祈りはかき乱された。

「そんな……! 一体なにが……きゃあっ!?」

 背後から何かが覆いかぶさってくる。それで彼女の祈りは完全に途切れた。

「す、すまねえ。大人しくしててくれ」

 賊ではなく、門番の声。彼は「すまねえ、すまねえ」と繰り返しながら、レイチェルの体を締め付ける。

「ど……どうしてですか! こんな……」

「し、しょうがねえんだ。しょうがねえんだよぉ」

 門番はレイチェルの髪に顔をうずめるようにして答える。生暖かく荒い息が彼女の耳を撫でた。

「あいつらの言うこと聞かねえと、攫われた女子供たちが……。だから、これはしょうがねえことなんだ。お優しい修道女様なら、分かってくれるよなあぁ」

 レイチェルは背筋を粟立たせる。男は明らかに興奮していて、震える声は笑っているようにも聞こえた。

 ようやく彼女は悟った。村人たちが浮かべていた昏い色の名前。謀ることへの罪悪感……!

 男はレイチェルを抱き締めるように拘束したまま歩かせて、外へ出る。二人の仲間たちを見て、彼女は沈痛に顔を歪ませた。

「こ、この女ですぜ、旦那方」門番はレイチェルを突き飛ばす。

「あっ」

 膝をついて倒れ込むレイチェルを、すかさず賊が囲んだ。それぞれに下卑た笑みを浮かべ、囃し立てる。

「ほおン。上玉だな。連中に売るのがもったいねェ」

 頭領は満足げに顎をなでた。

「どンな気分だい、修道女様? でっち上げの依頼にノコノコ釣られ、裏切られ、売り飛ばされるってのはよ」

「……ッ」

 レイチェルは歯を食いしばって睨んだ。頭領はくつくつと嗤った。

「いいねェ、そそる目つきだ。本当にもったいねえ。引き渡しまでは程々に遊んでやることにすっか」

「この……破廉恥な……!」

「そりゃそうさ。誰を相手にしてると思ってンだ? 《オニキスの蠍》と言やぁ、あっちゃこっちゃの娼館に品を卸してきた人さらい集団だぜ。ヘマやらかして、こんな田舎まで追いやられちまったがよ」

 彼は唾を吐き捨てた。それでも笑みは揺るがない。

「まあ、安心しとけ。今のお得意さんは、娼婦じゃなく神への生贄とやらをお求めだ。老若男女なんでも買うイカれた連中だが、術が使えるくらいの魂の持ち主で、加えて処女なら、そりゃあ高値で買ってくれる。だから遊ぶにしても『程々に』、だ」

「それで、私たち冒険者を狙ったのですか……!」

「察しがいいね。術師でかつ処女なンぞ田舎にゃ期待できねえが、冒険者ならそこそこいるだろ? 実際、あンたがそうなら三人目だ。間違いなく高値がつくぜ、よかったな」

 頭領は声を出して嘲り笑った。

「ちくしょうッ! やめろ下衆どもッ! 二人を……離しやがれぇッ!」

 ケネトがもがきながらも叫んだ。頭領は冷たい眼でそれを見る。

「うざってェ。おい、黙らせろ」

「へい」

 足で踏みつけている賊が曲刀を振り上げる。エメリが「だめえっ!」と悲鳴を上げた。

「やめてください!」レイチェルが懇願する。「どうか、彼の命は……!」

「慈悲深いこったな、修道女様。しかしそっちからお願いするってンなら、誠意を見せてもらいてェな。素っ裸になって土下座するとかよ」

 絶対的優位を確信した頭領の言葉。賊どもが哄笑する。

「ゥゥゥ、おガしら、オデ、もう我慢できねえ。やらしてくれよおゥ」

「駄目だ。値段が下がっちまう。他の玩具で遊ばせてやってンだから我慢しろ」

 駄々を捏ねる巨漢。賊どもがまた笑う。

「二人とも……! 俺に構うな……何とか、逃げてくれ……っ!」

「う、ぅ……やだよぉ、こんな……」

 折れた腕でなお抵抗しようとするケネト。項垂れて涙を流すエメリ。

 民家から覗く村民たちの、罪悪感に沈んだ目。屋根の上で村長は絶望と謝罪の言葉を吐き続ける。門番は昏くたぎる情欲に引き攣り笑う。

(ああ、神よ)

 レイチェルは両手を組み、目を閉じて、世界を閉ざした。

 彼女の心は、あるひとつの感情で荒れ狂っていた。解き放ってしまえば取り返しのつかない衝動。抑えがたき生来の気質。彼女の背負う、罪。

 そんなとき、彼女はいつも祈る。目を閉じて祈れば、そこは夜の静けき森。彼女の魂の故郷だ。そこに帰れば、やわらかな光の影が言葉を伝えてくれる。

 彼女の神の言葉を。

 決して忘れてはならない、大切な言葉を。

(神様。私の神様。どうか私をお導き下さい)







 ……『決断を躊躇するな』……


 ……『決断の実行を躊躇するな』……



『大いに迷いなさい。迷い、考え続けなさい。あなたが善く生きたいと思うなら、考えることを止めてはなりません』


『人は愚かだ。人が人で在る限り、完全なる理に則った行動など生み出せはしない。しかし一つの理もなき行動も、また生まれはしない。少なくとも、善く生きようとするお前の中からは決して生まれん』


『善く迷い、善く考え、善く生きようとするあなたが決めたことならば、たとえそれが何かを傷つけるとしても、必ず何かを救えるはずです。人が生きることはそれの繰り返しなのです。だから』


『だから、決断を躊躇するな』


『そして一度決めたならば、もう迷うな。決断の実行を躊躇するな。お前が信じると決めた道ならば』


『まっすぐ、まっすぐ、まっすぐに歩いていきなさい』




『『気高く愛しい、【白狼の子】よ』』







「はい。そのように致します」

 レイチェルは目を開けた。

 にやついた顔の賊。正面に立ち、彼女を見下ろしている。

「お祈りは済んだか?」

「うん。済んだ」

 冬が囁くような声。賊は眉をひそめた。

 修道女が祈りの手をほどく。

 次の一瞬に起きた出来事を、賊は知覚できなかった。

「がっ……は……ッ?」

 賊は呻いた。彼の体は、瞬間的に立ち上がったレイチェルに首を掴まれ、片腕で吊るされていた。爪が食い込み、血がにじみ出た。

 レイチェルは低く唸るように呼吸する。光の霊力が血脈をめぐる。全身に治癒の力が満ち、人の器には収まり切らぬほどの生命力が、その躰をつくり変えた。

 金糸雀色の髪は雪のような純白へ。

 細い筋肉はきしむほどに密度を高める。

 紫の瞳孔は凝縮し、ひと粒の深き夜がごとく。

 山賊たちも、ケネトも、エメリも、村人も……その場にいるすべてが息を飲んだ。寒気をともなう畏怖の念が、その場を満たした。

「な……な」「何してやがる、てめえ……!?」

 囲んでいた賊がざわめく。レイチェルは目だけをぎょろりと動かした。賊は恐怖に硬直した。

 レイチェルは首を掴んだまま、賊の躰を振り回した。

「なッ」「ぐわーッ!?」

 何が起きたか分からぬまま、半分が薙ぎ払われる。返す一撃でもう半分。棍棒のように扱われる仲間の躰に打たれ、何人かは吹き飛び、何人かは頭を砕かれて死んだ。

「あ……あぁ、あ……!?」

 一人は膝を曲げて逃れていた。レイチェルは腕を振り上げ、ぐったりとして動かなくなった賊の体を、その脳天に振り下ろした。

「ばがッ!?」

 まだ生きている。もう一度振り上げる。振り下ろす。頭蓋が砕けた。そこで限界が来たか、振り回していた賊の体がちぎれた。レイチェルの手に首だけが残った。

「ひ、ひ、ひ」

 レイチェルはちらりと後ろに目をやる。門番の男が尻餅をつき、首を振りながら掌を向けていた。彼は失禁していた。

 振り返らぬまま、賊の首を無造作に後ろへ放る。首は門番を吹っ飛ばした。門番は白目を剥いて倒れた。

「おい……おい……! 何だ、こいつァ……!」

 頭領が声を震わせる。

 レイチェルは彼を見た。静かな殺意を込めたけだものの眼が、まっすぐ、まっすぐ、まっすぐに射抜いた。彼女は言った。

「お前たちは全員殺す。そう決めた」

 頭領は絶句した。

 そのけだものの名を、頭領は……彼の魂は知っている。根源的な恐怖とともに、刻まれたその名を思い出す。

 不吉な声で月に吠えるもの。憤怒の罪を背負う肉食獣。

 おおかみ。


#5へ →

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?